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20240324 NUANCE 川井わか卒業公演「わかった」

※注意:肝心の卒業公演の感想は後半1/3くらいからです。


「NUANCE」「川井わか」に出会うまで

NUANCEはデビューして割とすぐにいわゆる楽曲派ドルヲタ界隈がざわつきだして、知り合いにも通い出す人が幾人もいた。
音源も時々聴いていて、その時々の状況もTLから自然と入ってきていた。
実際に現場で観る機会はと言うと、かなり前の東川口の対バンでニアミスしてたとか、TIFでチラッと見たとか位で、自分の主現場(寺嶋由芙、フィロソフィーのダンス等)がこの頃は大きいフェス等を除くと、いわゆる地下対バンイベにそこまで多くは出なくなっていたのもあって、以前はよく通っていた渋谷・新宿・下北あたりの対バンイベントからは少し足が遠のいてしまっていた。
なので、NUANCEを目当てにちゃんと生でLiveを見るのは県民ホールワンマンがほぼほぼはじめてと言ってよい位だった。
その前のZepp YOKOHAMAのワンマンも、親しいヲタ仲間から誘っていただいてはいたのだが、その時は残念ながら予定が合わず、なので次の大一番にはなるだけ優先的に行こう!と意識したのを覚えている。

両親共に神奈川県庁職員の家に生まれた自分にとって横浜とは……
・親が若かりし頃にキャッキャウフフしてたであろう街
・小学生の頃は(家の歯の主治医が横浜だったので)矯正で数年定期的に通っていた、来る度に街の様子が変わっていく、ちょっと一人では迷ってしまいそうな街。
・田舎者(社会人になるまでは相模原市民)にとっての華やかで羨ましい隣町。

新潟のNegicco、広島のまなみのりさ等を経て、この少し前から静岡のfishbowlとかも時々観るようになって、では自分にとっての「地元的なもの」「おらが村の誇り的なもの」を感じられるグループって何になるんだろう?
町ガ?NUANCE?
うんうん、どちらも楽曲好きだしな〜。
NUANCE、そう言えば最近体制変わったって情報が流れてきてたなぁ。
え、次は県民ホール?バンドセット?それは見てみたい!

そんな流れでやってきた県民ホール。
その時の感想ツイート。

今、久しぶりに当時のツイートを読み返して思い出しても、本当に凄くいいワンマンだったなと思う。
・楽曲の良さ→パフォーマンスもひっくるめて凄く良い!に変わった。(しかも3人が加入後一年とかの新メンバーで、この変態曲群・この曲数を、バンド演奏で普通に歌い踊りこなしてるのが正直意味がわかんない!)
・ちょいちょい高度な手振りを要求されるのが、ほわどるから流れてきた振りコピ勢的にとても楽しい!
・幕間劇やMCから感じられるメンバーの人柄、まわりの人たちとの関係性がどれも好感触だった。
・アットホームなヲタの雰囲気が、自分が大切にしているものと近い感じがした。

その日の公演後の特典会はすごい人数だったのと、後ろに予定が控えていたのもあって参加は見送ったのだが、次の機会には川井わか列に並ぼうと決めていた。
上手いだけとはまた違う、何だろう?手の動きのしなやかさから来るものなのか?目を引く、他の誰とも似ていない特徴的なダンスパフォーマンスと、そして、もちろん、最後にただ一人残っているオリジナルメンバー・リーダーとして、加入後まだ期間が短いメンバーと一緒にチームを盛り立てていく姿を見て。
離れるオリジナルメンバーがいる中、「残って続ける選択」をした人というのは、重い悩みと相当な覚悟が必要なはずで、そういうものは詳しい事情は知らなくても、たとえ表面上はつとめて明るく振る舞い、その結果、軽くへら~っとしているように見えていても、裏では準備と修練と熟考とをしっかりしているような、そういうタイプの人なんじゃないかなと、なんとなくステージ上の姿を見てそう感じた。
この日の公演以降、「NUANCE」と「川井わか」は意識的に情報を拾う対象として、自分の中での見方が変わってきた。
要するにTwitterでPush通知設定を入れた人になった。

「おわよる」「木菟あうる」との出会い

その年の夏は、自分の主現場(寺嶋由芙)でここ数年で一番という位にのめり込んだリリイベがあり、それが少し落ち着いた秋口に、自分にとって価値観がひっくり返るような新たな推しとの出会いがあった。
「終わらないで、夜」の木菟あうるさん(なんとなく敬称付きが合うので今もそう呼んでしまう)を卒業するひと月前というタイミングではじめて見て、熱病のように追いかけ始めるという、そういう経験をした。

今回のトピックの趣旨とは外れるので割愛するが、自分にとってこの期間が再び対バン現場に足を運びだす契機になった。
この頃のNUANCE運営スケジュールを見ると……

こんな粋なメッセージが書いてあったり……

自分らの現場が終わり次第、こちらの応援に駆けつけてきてくれたりと、これまでの期間に両グループがどういうお付き合いだったのかは全然知らないのだが、Twitterの過去ログとかを漁っていると、恐らくは同じ時期を駆け抜けてきた者同志、またはイベント主催の運営同士も色々共闘もしてきたのだろうなぁ、という感じがなんとなくだが見てとれた。
あうるさんの卒業以降、引き続き4人体制のおわよるを応援する事に決め、対バンでNUANCEが一緒だったりすると本命と同じくらい楽しんでいた。
仕事的になかなか平日現場に行くのは難しく、リキッドとか、わか生誕とかは都合がつかなかったのだが、この時期だとZepp ShinjukuでのNUANCEのステージはとても印象深かった。

この手の対バンイベントは並行物販も多く、ステージをメインに観たい自分としては、特典会に行くタイミングをずるずると逃し続けていたのだが、そんな中、川井わかの卒業がアナウンスされる。

卒業発表〜卒業の日まで

また卒業発表後に追いかける形となってしまったのだが、それでも遅過ぎるという事はないな、どのタイミングからでも会いに行って「あなたを推しているヲタがここにもいたよ」と推しに伝える事にちゃんと意味はある、というのをあうるさんの卒業の時に学んだので、まだこの後3ヶ月時間があるのは大変幸福な事に思えた。

クリスマスイブの月見ル君想フでの対バンにて、晴れてはじめましての御挨拶。

年明けすぐには、開歌との共同主催の開ヌュがあったり、川井わかLAST YOKOHAMA TOUR『さいしょのわがまま』という建付けでの主催企画が連続していたりと、ものすごい精力的にLive出演を続け、多分それだけ場を作ってくれたおかげで自分のように新たに会う機会を得られた人も多くいるのだと思う。

yokohama mint hallでのluxury NUANCE。
アコースティックセットでの演奏ほんとに大好きなので、それがたっぷりワンマンで聴けるこの企画はこれからも定期的にやって欲しいです。

本人の思うlaxuaryポーズ

自分のような遅れてきたヲタにとってはクリフサイドでの2ndワンマンは伝え聞く伝説みたいな所があった(あと名だたる色んなアーティストが撮影した場所としても)ので、本人が最後に叶えたい事としてクリフサイドでのワンマンを挙げてくれ、実現してくれたのも嬉しかった。

ここで自分はルービックキュー部No.51としてようやく加入できた。
ヲタク、すぐ『星の王子さま』に例えてしまいがちなのだが、わかちゃんが最後にルービックキューブにハマって、みんなを巻き込んでいってくれたの本当に良かったなぁと思っていて、他の人にとっては何でもないものでも、特別な経験を持った人にとっては、見える星の光がバラであったり、王子さまであったり、そういうものを見いだせるように、僕らはルービックキューブを手慰みで回していれば、いつでもそこに「川井わか」を感じる事ができる。
去っていく推しを見送るヲタには、そういったものが必要なのだ。

卒業最後の月、3月に入ると年度末の隙間にNUANCE現場で遠征をねじ込めないかと思うようになってたりしてきた。
vividbird1周年記念の対バンを頭から終わりまで楽しんだ後、そのまま名古屋に遠征して、早朝からサウナで整えたのち名古屋無銭!とかだいぶハードだったけど、心から楽しかった!

代官山UNITでのVIVIDFIRSTにて
ラスト遠征名古屋無銭全曲披露(疲労)後→とても元気

この頃になってくると、普段のTwitterの言動も含めて、Pのフジサキさんという方がだいぶアタマのおかしい(褒めている)という事が「わかっ(てき)た」。
遠征先でその時点での全曲Liveというのも、それを無銭で集客するというのも、そこでBund driveを初披露というのも、相当イカれてると思うが、同時にこの上なく冴えたやり方だとも思ったし、思いついたからといって(主に金銭面で)なかなか実現できるものでもないよなぁ、と。
自分もベイホール前になるべく多くの曲を現場で体験しておきたかったし、振りを身体に叩き込むのにちょうど良いイベントだなぁとまんまとのせられて遠征してしまった。
運営がどうかしているイベントをやると、ヲタもどうかしてしまうので。
むしろどうかしてしまいたい。

また、曜日を決めての個人space配信をやってくれたのも良い施策だなぁと思った。
卒業までの間、なるべく川井わかを見逃したくない・集中したいという気持ちがある一方で、各メンバーの魅力に触れられるのは、生での音声配信が一番有効なので。
県民ホールでアコギ弾き語りを披露した時から魅力的な歌声だなぁと思っていたが、配信を通じてその人柄にも魅了されてしまい、名古屋でははじめて恭美ちゃんともチェキを撮った(前日の配信があまりにも面白かったと伝えたかったので)。

はすみまして!

卒業前日、フェヌXはチケットも買っていたし、メンツも好きなグループばかりだったので行くつもりだったが、前日までの疲労困憊と気圧性の頭痛が夕方まで続いていたので見送る事にし、翌日に向けてなるべくコンディションを整えておこうと思った。
楽しむには無理をしないのが一番肝要。

卒業の日

2024年3月24日(日)
川井わかLAST YOKOHAMA TOUR『さいしょのわがまま』
NUANCE BANDSET ONEMAN LIVE
川井わか卒業公演「わかった」
横浜ベイホール

横浜ベイホール

当日のセットリストはご本人によるblogから。

卒業公演がNUANCE初現場になる人もいるはずとの考えから、誰にでも楽しめるド定番のセトリとしたという。
卒業発表時のコメントにあった通り「NUANCE=楽しい」だし、自分もみんなも楽しくありたい、あって欲しい、そんな想いがセトリからも伝わる。
「一番になりたい」、卒業発表コメントにも、最後のMCにもあった言葉。
長く活動を続けてきたグループは、これはどこでもそうだが、ヲタクが自分にとって一番良かった時期を勝手に一番としたがるフシがある。
舞台表現をする者、現役で活動を続けている者は、今その瞬間をこそ「一番」「最高」にする為に、ある意味それを使命に活動している。
だから、勝手に過去のものにされてしまう事、今ではない過去の自分を「一番」「最高」とされてしまう事に対しては徹底的に抗う。
メンバーでも曲でも「今を一番」とする為に、あの頃が大好きだった人にも伝わる、最近ハマった人、今も昔もずっと追い続けてくれる人にも響く、以前はなかった71曲から、グループ立ち上げから参加し、現在は振り付け等クリエイティブにも参加するメンバーが、自分の好み以上に目の前にいる人を「楽しませたい」「一緒に楽しみたい」と選び並べたセトリ。

めちゃくちゃ良かった!
演者としてパフォーマンスが素晴らしいのはもちろん、過去バンドでやった時、これが盛り上がった!という手応え、経験、ヲタが何を求めているかちゃんと「わかって」いる分かり手としての才能、最初からのnuanceを知っていて、この日最高到達点に届いて卒業する「川井わか」にしか組めないセトリになっていたと感じた。

この日、自分はなるべく川井わかの姿を見逃さずに目に焼き付けるつもりで現場に臨んだが、でも結果として、今までで一番4人をそれぞれを注目して見た公演になったな、と思った。
それ位、それぞれのソロパートの時、3人がはじけていて「今までで一番の4人」を完成させるのに寄与していた。

多分「一番楽しい」には、客席のみんなやメンバーをあまりしんみりさせない、そういう事も意識していたのかな、と思った。
結果としてしんみりとなっちゃうのは仕方がないけれど、MCとか構成とかの時点ではそうはならないように、事前に配慮できる所は配慮しまくっている。
なんかそういう部分が、とても彼女らしい部分なのかな、と思った。
自分が主役の卒業公演でも、いつも頭にあるのは客席のヲタや一緒にステージに立つメンバーの事で、もちろん自分がどう楽しくあれるかも大切にするけれど、それと同じか、時にそれ以上なくらい、まわりの人を大切にする。
そういう気遣いや心優しい部分、意識的にどう振る舞うかを考えてしまうステージのプロとしての部分、そういった特性を持った人が、最後のMCを伝えるに当たり、文面は一度手紙にしたためておき、ステージ上では心のまま、気持ちのままに想いを伝える。
それがちゃんとできたようで(あとでblogにそう書かれていた)、本当に良かったと思う。

「bund drive」のセリフ部分、この曲を名古屋で初めて聴いて、大好きでこの日までも繰り返し聴いてきたけど、この日ここで「さよなら」と言われてしまうのはあまりにも悲しいと思っていたら、わかちゃんがそこを「ありがとう」と言ってくれた瞬間にブワ~~っと泣けてしまって、その後はそのまま終演までの盛り上がりの間、ずっと笑顔で泣き笑いしながら踊り、コールをしていた。
自分はNUANCEの事も、川井わかの事も、まだ全然知らない。
勝手に好きだけれど、全然わかっていないヲタだと思っていたので、この日こんな気持ちまで高まってしまうとは、正直想像していなかった。
自分が普段かけているメガネでは、後方からだとステージ上の顔まではよく見えないくらいにぼやけていて実はそんなに鮮明には見えないのだけれど、泣きながらだと涙のレンズ効果で普段より良く見えて、こんなにステージ上の表情までくっきり良く見えるものなっだという事を初めて知ったし、泣きながらフリコピする「元町・中華街行き」がこんなに楽しい!って事も初めて知った。
この瞬間、全曲で一番好きかもしれない。
他のどの曲も、これまででいちばん楽しかった。。。

アンコールの「sunshine」、わかちゃんはよく太陽に例えられている。
実際明るいし、晴れ女だし。
だけれど、強烈な強い日差しというよりは、緩めのポカポカ系で、人に寄り添えて、あったかくて「救われる」というよな、冬から春にかけての日差しの感じがとても近いなと思った。
卒業前最後の追加曲がこの曲で本当に良かった。
「シャララ」での締めくくり。
本当に楽しかった。
赤いペンラの景色と合わせて、ずっと忘れられない公演になったなぁ。

特典会。
年末から卒業までの期間、もちろん人によって濃度は違うのでそれは様々なのだけれど、自分の中ではかなりの濃度でNUANCEにハマり、追っていた。
特典会列で並んでる最中、今後使う予定のない特典券を知り合いのヲタに渡して去って行く人がいたり、この日だけ卒業を見届ける為に来た、そういう人も普通に多いのだな、と思った。
それが悲しいとかではなく、普通に当たり前にある新陳代謝として。
逆にその為だけに現場に来てくれているというのは凄い事だとも思うし。
自分にとっても、この日でメインの推しは卒業して去っていくが、space配信等も通じて、また何よりこの日の公演でメンバーそれぞれの「一番」を更新して、これから自分たちが引き継いで続けていくぞ!という強い決意でステージに立っていた3人に「これからも来ますよ」と挨拶してから帰りたかった。
これは次回公演では遅い、この日伝えておかないと意味がないなと思ったので。

蓮見恭美さん。次からは緑のペンラを振るとお伝えしてきました。
初音まして!汐崎初音さん。spaceやRTで既に認知があったみたい。
城戸海月さん。7か月で現体制50曲が実現できたのはあなたの頑張りのおかげ。

残念ながらここで時間切れで、最後は推しとはノーチェキでフィニッシュとなりました。
推しと撮って3人とは後日というムーブの方がもしかしたら良かったのかもしれないが、上記の理由で自分的には3人とはこの日に撮っておかないと意味がないと思ったので、この判断には納得がいっています。
最後尾の人が最後のチェキを撮り終える頃には22時近くに迫っていたので、きっと楽屋に戻り次第大急ぎで着替えて最終撤収の時間だったでしょう。
一応最後まで残って、タモリ式の三本締め(?)を一緒に出来たので満足です。

スタンド花(帰り時点での撮影なので場所は階段踊り場の隅に寄せられてました)

はたして「わかった」のか?

「わかる」
リアル知人の人は知っているが、自分が日常で一番使わない言葉だ。
「わかるなんて(勘違い)とても言えない」「人がわかりあえる事なんて最終的にあり得ない」が口癖なくらい。
趣味的な感性でとても響き合えたと思えた時、「(わかるという言葉を普段は極力避ける慎重な自分ですが、敢えて)わかる!(と言わせてください)」と島本和彦方式で「右手で握手をしましょう!」と言う事がたまにあるくらい。

期間が短いし、特典会で話した言葉の数は全部合わせても少しだけ。
彼女からのTwitter、Blog、配信、ステージ上でのMC等の発信はなるべく拾いつつも、彼女の言葉を言葉通りにちゃんと誤解せず拾えてるのかな?
ヲタクはそもそも「あって欲しい形」を推しに投影しがちだしね。
言葉にならない行間の想いがちゃんと察せられていたかな?
「わかった」「わかりきった!」なんて、やっぱりなかなか言えない。
少しでも、僅かでも、本人がそれくらいで充分だよと言う程度に
「わかる事ができたかな?」
という所くらいまで口にするのが、自分の限界です。
うんうん推敲して、いやいやこれは言い過ぎだ書き過ぎだ、ヲタクの妄想だと訂正して、このnoteが書き終わったのも卒業して1週間以上、SNS活動終了後2日経過してから、という体たらく。

まぁ、でも僕からはこう見えていました。
そんな川井わかさんを推せて、ヲタクとして幸せでした。
これが伝えられたら、自分はもう充分です。

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