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周期表ストーリー

2019年はドミトリ・メンデレーエフが周期表を発見して150年となる節目の年。
そこで、「国際周期表年」とされています。
国際周期表年の開会式がパリやロシアで行われ、世界中で関連イベントが行われる予定です。
ロシアでの開会式はメンデレーエフの誕生日(2月8日)に行われます。
ちなみに、閉会式の会場は東京です。

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 ドミトリ・メンデレーエフ(Wikipediaより引用)

ところで、周期表はどのような経緯で作られたのでしょうか?
 
18世紀に酸素や窒素、水素をはじめとした多くの元素が発見・命名されました。
「近代化学の父」と呼ばれる天才化学者ラヴォアジェ(フランス)は、33種類の既知の元素を分類した元素表を作りました。

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アントワーヌ・ラヴォアジェ(Wikipediaより引用)

当時は光や土、ホウ酸も元素と考えられており、熱素というものも信じられていました。
熱の正体が分からなった時代、熱素が移動することで温度変化が起こると考えられていたんです。
ラヴォアジェの元素表には熱素も元素の一つとして記されています。
ラヴォアジェの研究はそれまで信じられていた四元素説(この世の物質は火・空気・水・土の4元素から構成されているという概念)
を脱し、物質の構成要素は「元素」だと主張するものでした。
これはとても重要なことで、化学を大きく前進させました。
さらに、ラヴォアジェとほぼ同時期に活躍したドルトン(イギリス)が原子説を提唱しました。
 ・元素は原子と呼ばれる粒子でできている。
 ・同じ元素の原子は、同じ大きさ、質量、性質を持つ。
 ・化合物は、異なる原子が一定の割合で結合している。

この考え方は周期表の成立に大きな役割を果たします。

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 ジョン・ドルトン(Wikipediaより引用) 

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19世紀になるとさらに多くの元素が発見されました。
「元素は何種類あるんだろう?」
「規則性はあるんだろうか?」
多くの化学者が興味を持ち、元素の謎にチャレンジしました。
 
メンデレーエフよりも前に、元素を並べて規則性を見出した人は居ました。
・円筒状にした紙に元素をらせん状に並べた、ベギエ・ド・シャンクルトワ(フランス)
・原子量の順に元素を並べると、8つおきに似た性質の元素が現れることを発見した、ジョン・ニューランズ(イギリス)
・原子の体積に着目して表を作った、ロータル・マイヤー(ドイツ)
 
しかし、どれも単なる偶然だと言われたり、一部の元素にしか当てはまらないなどの理由で支持されませんでした。
 
そんな中、1860年に世界初の化学者の国際会議がドイツで開かれました。
*当時はドイツが世界の化学をリードしていました。
この会議の開催に力を入れたのが、ドイツのケクレです。
ケクレはベンゼン環の六員環構造や、炭素原子どうしが結合して鎖状になることを提唱した化学者です。

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  アウグスト・ケクレ(Wikipediaより引用)

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国際化学者会議にはメンデレーエフも出席していました。
会議の中で、スタニズラオ・カニッツァーロ(イタリア)は
アヴォガドロ(アボガドロ定数は有名ですが、当時は無名の化学者。アボガドロの法則は彼の死後に名付けられました。)の業績を紹介した上で
原子量・分子量の計算方法を示し、その重要性を説きました。
メンデレーエフはこの講演に強い影響を受けたのでした。
 
教師であったメンデレーエフはロシアに帰国後、化学の教科書の執筆で悩みました。
「元素をどうやって説明すれば良いだろうか?」
当時、発見された元素の数は63にまで増えていました。
国際会議で原子量の重要性を感じていたメンデレーエフは、
元素を原子量順に並べて表を作成しました。
それが下の写真です。

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 1869年に作成した周期表(Wikipediaより引用)

よく見ると、今の周期表とは異なる点や不足している部分が多く、違和感を感じると思います(族が横に並んでいる)。
ところどころに空白や?マークが見えます。
原子量と元素の性質に関係があると考えたメンデレーエフは、
作成した表から規則性を見出し、まだ発見されていない元素があると考え、予測していたんですね。
この表を載せた論文は評価されませんでしたが、これが周期表の原型となります。
 
次にメンデレーエフは原子の体積を調べ、他者の論文も参考にしながら周期表に改良を加えていきました。

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 メンデレーエフの第二周期表(Wikipediaより引用)

第一の周期表よりも見易くなり、今の周期表に近くなっています。とはいえ、まだ不足している部分が多いです。
でも、当時はまだ電子も陽子も発見されておらず、原子核と電子からなる原子の構造も分かっていませんでした。
そう考えると、このような表になるのも致し方ないと言えます。
むしろ、そんな状況で周期表の作成を試みた当時の化学者たちとメンデレーエフに敬服します。

1875年にガリウムが発見されると、メンデレーエフの周期表にあるエカアルミニウムに一致することが判明。
さらに、1879年にスカンジウム、1886年にゲルマニウムが発見され、それらが周期表の空白に当てはまりました。
ここでようやくメンデレーエフの周期表は正しいとされ、高く評価されました。

その後、希ガス元素(アルゴン、ヘリウムなど)や希土類元素(レアアース)などを加えて今の形になります。

1906年、メンデレーエフはノーベル化学賞候補にノミネートされますが、アンリ・モアッサン(フッ素の単離)に僅か一票差で敗れます。
その翌年、メンデレーエフは72歳の生涯を閉じました。ちなみに、モアッサンもその年に亡くなっています。
 
1913年、ニールス・ボーア(デンマーク)が提唱した原子模型によって、周期表にみられる元素の性質が説明されました。

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元素は電子配置によって性質が決まっていて、電子の軌道は周期表の周期に対応していたのでした。
 
そして、2016年。
日本の理化学研究所が発見したニホニウム(Nh)が新元素として認定されました。
アジア初の新元素です。
このとき同時に、モスコビウム(Mc)、テネシン(Ts)、オガネソン(Og)も新元素として認定されています。

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大阪市立科学館の元素周期表展示より(1秒以下で消滅する人工元素のため、実物の展示はありません。)

元素の名称には地名や天体の名前などがついているので、その由来を調べると面白いです。
文科省のHPに元素周期表(PDF)があります。リンク先ページの下の方です。

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 http://stw.mext.go.jp/series.html

各元素の用途などが紹介されている上、日本人のノーベル賞受賞者も掲載されています。
ダウンロードしてタブレットで見たり、印刷して壁に貼ってみるのはいかがでしょう?

 
周期表は「水兵リーベ...」
と暗記した印象しか残っていない人が多いのではないでしょうか?
周期表には元素の様々な情報と歴史が詰まっています。
表の元素はどんな物質なのか、その奥深さと面白さの分かる本もたくさんあります。
例えば、元素図鑑

美麗な写真をみているだけでも楽しいです。

「マンガで覚える元素周期」気軽に読める本です。

こう言ってはなんですが、実際の研究では表を見れば良いので、無理に覚えなくても大丈夫ですw
僕自身、周期表の暗記は好きではありませんでした。
原子核や電子配置、イオン化率などの勉強は面倒でした。
でも、化学の道に進みましたw
 
少しでも周期表に、化学に興味を持ってくれたら幸いです。
メンデレーエフもきっと喜ぶと思います。

読んでいただけるだけでも嬉しいです。もしご支援頂いた場合は、研究費に使わせて頂きます。