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フラーレンとサッカーボール ~炭素ボールの予測と発見~

その構造を見ただけで興味が出てくる不思議な物質。
1996年のノーベル化学賞は「フラーレンの発見」に贈られました。
受賞したのはアメリカとイギリスの3人の化学・物理学者。
リチャード・スモーレーとハロルド・クロトー、ロバート・カールの3氏です。

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ハロルド・クロトー(Wikipedia)

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ロバート・カール(Wikipedia)

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リチャード・スモーレー(Wikipedia)

炭素にはグラファイトとダイヤモンドという同素体が存在します。
同素体は、同じ元素から構成される物質で、異なる化学的・物理的性質を示すもののことです。グラファイト(黒鉛)とダイヤモンドは同じ炭素から出来ていますが、構造は別物です(下図)。そのため、硬さや透明度も全く違います。

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ダイヤモンドとグラファイト(Wikipedia)

多くの人は、炭素の同素体はグラファイトとダイヤモンドだけだと考えていました。

1970年、北海道大学の助教授を務めていた大澤映二は、炭素原子60個からなる新しい炭素の同素体C60の存在を提唱します。
きっかけは、コランニュレンという、湾曲した皿状の炭素構造の解析でした。

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正六角形が繋がったコロネンは平たい構造ですが、コランニュレンは真ん中が正五角形です。五角形が入ると湾曲した構造になります。
そして、サッカーボールを見て球状の構造を思いつきます。
新しい球状構造の炭素物質について論文を出したものの、日本語だったこともあり、あまり注目されませんでした。

1973年、ロシアのグループがC60構造の電子状態を計算し、ロシア国内の論文に投稿しましたが、受け入れられませんでした。この研究は大澤映二の研究とは関係なく、独立して行われたものでした。
他にもC60を推測した研究者はいましたが、その考えが支持されることはなく、ほとんど注目されませんでした。

同じ頃、サセックス大学(英)の ハロルド・クロトーのグループは、宇宙空間で観測される未知の分子について研究を行っていました。特に、長い直鎖状の炭素分子構造に興味を持ち、生成メカニズムなどを研究していました。

一方、ライス大学(米)のリチャード・スモーレーロバート・カールは、クロトーの研究している炭素物質を生成可能な実験装置・技術を開発していました。レーザーをターゲットに照射して分子を生成する、レーザー気化技術というものです。スモーレーとカールは、シリコンやゲルマニウムなどの半導体を研究するためにこの装置を使用していました。
*具体的には、「レーザー蒸発クラスター分子線」という装置です。

レーザー気化技術に注目したクロトーは、スモーレーとカールに連絡し、共同研究を行うことになります。

スモーレーとクロトーの研究グループは、巨大な炭素星からの赤外線放射の研究にインスピレーションを得ていました。
炭素星とは、恒星大気中に酸素よりも炭素が多く含まれている赤色巨星のことです。

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数ある炭素星の1つ「ちょうこくしつ座R星」(Wikipedia)

赤色炭素星から放射されたのと"同じ波長の赤外線"を放射する"炭素の塊"を作るために、レーザー気化技術を使用しました。
クロトーは、レーザーのターゲットに黒鉛(グラファイト)を使用し、目的の炭素分子の生成に挑戦します。
そして、1985年、最初の実験で生成した炭素の塊を質量分析にかけてみると、分子量720の位置に大きなピークがありました。
分子量720の炭素物質、これがC60=フラーレンだったのです。
スモーレーとクロトーは、この物質がサッカーボールと同じ構造の球状物質だと推測しました。

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フラーレンの棒状構造図(Wikipedia)

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サッカーボールの図 (Wikipedia)

クロトーは天文化学者で、前述したように"宇宙空間に存在する物質"を追い求めていた中、偶然フラーレンを発見したのでした。
共同研究を行ったスモーレー、カールもそうでした。
科学的な興味を追求していく過程で得られた新物質。
この発見は世界に衝撃を与えました。

冒頭で触れたように、六角形のみが連なると平面のシート状になります。

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グラフェンの構造(Wikipedia)

グラフェンが多数積み重なったものが黒鉛(グラファイト)です。
そして、グラフェンが成長する途中に五角形が出来ると、平面だったシートは湾曲し、五角形が12個になると閉じた球状のフラーレンになります。
サッカーボールが綺麗な球状になっているのは、「五角形が隣り合わず、等間隔で並んでいる」ためです。フラーレンも同じ構造になっています。
五角形が生成して球状になる条件を、クロトーとスモーレー達は偶然見つけたわけです。

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サッカーボールは"黒い五角形のパネル12枚"と"白い六角形のパネル20枚"で構成されます。この白と黒の二十面体のデザインは1959年頃から採用されているそうです(Wikipedia)

一方、レーザー気化によって作られたフラーレンは微量だったこともあり、正確な構造を確定するすることは出来ませんでした。
しかし、5年後の1990年、物理学者のKrätschmerとHuffmanによって新たな生成方法が発見され、詳細な分析によってフラーレンの構造が明確にされました。この二人も、純粋な好奇心からフラーレンの研究を行いました。

そして、1996年、スモーレー、クロトー、カールの三人はノーベル化学賞を受賞します。
新たな生成方法を確立して構造を決定したKrätschmerとHuffmanも、受賞に値すると僕は思います。もし受賞者が5人までだったら、選ばれていたのではないでしょうか。

フラーレンは様々な特徴を持っているため、多くの研究者がフラーレンの研究を進めました。内部に金属原子を入れたり、半導体材料として利用することもできます。ラジカルを捕捉する能力が高いため、化粧品に応用されています。難燃剤にも利用可能だと考えられています。

クロトーはC60の構造をイメージするときに、1967 年のモントリオール万博で展示された幾何学的なドームを思い浮かべたそうです。

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モントリオール万博で展示されたジオデシック・ドーム(Wikipedia)

このドームは、アメリカの建築家(デザイナー、発明家)のバックミンスター・フラー(Buckminster Fuller)が設計したものです。
クロトーはこのような構造だと考え、フラーの名を取ってフラーレンと名付けました。また、Buckminsterの方を省略して、"バッキー"ボールとも呼ばれました。

実は、前回ご紹介したバッキーゲルは、ここから取られた名前なんです。

使われているのはフラーレンの後に発見された炭素の同素体、カーボンナノチューブですが、基本骨格はフラーレンとほぼ同じです。

また、炭素原子70個で構成されるC70分子はラグビーボール型をしています。

余談ですが、2010年9月4日はフラーレンの発見25周年だったため、グーグルのトップページが下の画像のようになっていました(https://www.google.com/doodles/25th-anniversary-of-buckyball?hl=ja)。

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見飽きませんねw

フラーレンは発見以来多くの注目を集め、現在も精力的に研究されています。
気を付けて頂きたいのは、「古くから使われていた」「百年以上前から医薬に使われている」といった根拠の無い言説が有り、怪しげな商品の宣伝文句になっているケースがあります(フラーレンが使われているのかも怪しいです)。ノーベル化学賞のあと化粧品にも採用され、有名になった弊害かもしれません。

フラーレンの発見は、無関係とも言える研究分野のアプローチから出てきたもので、その構造や奥深い性質も含めて、基礎研究の面白さと大切さを私たちに教えてくれています。
もしかすると、まだ誰も知らない炭素の同素体が隠れているかもしれませんね。

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