生き辛さを感じてるならそれって立派な障害では?

めちゃくちゃ主語というかなんか、いろんな意味に捉えられそうなまるで万能ネギみたいなタイトルつけちゃいましたが、いいたいことはあれです。

「診断名がついていようがついていまいが生きづらさを感じてる時点で要支援ですよね!?」ってことです。

「自称ADHDwww」みたいな揶揄を聞かされるたびになんか苦い思いするんですよ。

障害というと何か遠いもの、というか堅苦しいものみたいに思えますが結局のところ噛み砕いて言えばその人の持つ性質なんですよね。
物事に対する覚えはいいですか、に対して「いい」「普通」「時々やばい」「壊滅的」みたいなグラデーションがあって、
「壊滅的」っていう人で実生活に影響を及ぼしてしまっている人とかが障害を持っているというとかなんとか……。
とりあえずいいたいのは、診断名がつくギリギリ手前の性質を持ってる人だっているということです。
そういう人たちは普通に生活できるかと言えばまあできないことはないけどミスは多発するし自分もすごい疲れるし、で実生活に少なからず影響は出てるんですよね。
診断こそ降りてなくてもしんどい人ってたくさんいるんです。

診断が降りてるかどうかはさておき、少しでも自分がそういう生き辛さを感じるのであればそう言った支援に繋がれるような仕組みとかがあるといいし、
そもそも完全白の人も黒の人も問題なく過ごせるようなシステムがあるといいですよね。
ユニバーサルデザインっていうやつです。いい例を思い出せずにいるんですが小学校の頃の何かの教科書に載ってました。
バリアフリーとは違う、そもそもどんな人でも使い勝手が悪くならないデザイン。

ただしその一方で自身の特性を盾にあれやこれやと人に迷惑をかけながらも悪びれる様子がないタイプの人がいてそういうのに苦言を呈したい人がいるのも事実なのでほんと一概には言えないですよね。

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