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昔の新聞から探る「ウェルシュ・リヴァイヴァル」Part 1

昨今の宗教離れもなかなかものがありますが、歴史的に色々と見ますと、一定のサイクルで宗教離れが起こっています。そしてそれに対するカウンター運動が起こる、それを繰り返しています。

キリスト教史で例を挙げると、有名なところでは、10世紀頃からのベネディクト会修道院の世俗化に対応する修道院改革であるシトー会の設立及び14世紀頃のベネディクト会の自己改革、カルヴァンやルターの宗教改革に対抗する「対抗宗教改革」などがあります。(後者ははかつてはプロテスタント宗教改革への対応という意味で、「反宗教改革」などとも呼ばれていましたが、14正規から続くカトリック内部の刷新運動の一環として「カトリック改革」と呼ぶ向きもあります)

英国の産業革命前後にもカトリック・プロテスタント・英国国教会を問わずキリスト教離れがすすんでいますが、一時的に熱狂的な宗教運動が起こっており、それによって教会から離れていた人々が教会に戻ってくるという現象が起こっています。こういった現象を「リヴァイヴァル」と呼びます。

1904年から195年にかけて、ウェールズでは20世紀最大の宗教運動「ウェルシュ・リヴァイヴァル」が起こりました。

ウェールズの事情

ウェールズではカルヴァン派カルヴァン派メソジスト(ウェールズ長老教会)の宗教指導者によって断続的にリヴァイヴァルが行われていましたが、クリスマス・エヴァンズ(d.1838)、ジョン・エリアス(d.1841)、ヘンリー・リーズ(d.1869)といった強力な指導者が相次いで死去すると、カルヴァン派の影響力は弱まり、1859年以降のリヴァイヴァルは地方で散発的に起こるにとどまります。

ウェルシュ・リヴァイヴァル 1904-1905

ジョゼフ・ジェンキンズ

ところが、ジョゼフ・ジェンキンズという強力な指導者が現れます。

中西部の現在のケレディギオン州にあるニューキーの説教師であったジョゼフ・ジェンキンズは1903年にニューキーでの集会でイエスに対する忠誠を強調した演説をしたことをきっかけに、1904年に中部・北部を精力的にまわり、一大ムーブメントを作っていきます。

エヴァン・ロバーツによる熱狂

ムーヴメントが頂点に達したのは1904年に当時26歳の若者であるエヴァン・ロバーツの登場によってです。

11歳から23歳まで炭鉱で働き、その後、叔父鍛冶屋で徒弟として働いていたロバーツは、熱心な信者としても知られていていました。

ニューキーでリヴァイヴァルに触れたロバーツは、同じ州のニューカッスル・エムリンで同じくリヴァイヴァル指導者のセス・ジョシュアのもとで3ヶ月トレーニングを積んだ後、集会で話をし始めます。

その中でかつて聖霊の訪問を受け(と彼が主張していた)話をした。つまり、神を信じるならばウェールズ全土が天に引き上げられるのだという。

彼の説教内容については次回以降に述べるが、彼の説教は同世代の若者に熱狂的な支持を受けました。エヴァン・ロバーツの活動期間は実質的に2年間程度だが(苛烈なスケジュールもあって心身を病んでしまった)、彼の運動により10万人規模の若者が教会へ戻ってきたといいます。

エヴァン・ロバーツの活動が終わるのと同じくして一大ムーヴメント自体は沈静化しますが、その影響力は凄まじく、イングランドなど他の英国各地のほか、スカンジナビア、その他一部のヨーロッパ、北アメリカなどに長期に渡って影響を及ぼしたとされています。

このシリーズでは同時代のウェールズの新聞を中心に、この「ウェルシュ・リヴァイヴァル」の様子、報道のされ方などを見ていきたいと思います。

1904年から1905年にかけての最大のムーヴメントは前回述べたようにエヴァン・ロバーツの登場です。26歳という若い彼の説教により、ウェールズは熱狂に包まれ、10万人規模の若者が教会に戻ってきたと言われます。

彼の説教のポイントは主に以下の4点です。

すべての罪を告白し、イエス・キリストの許しを得なさい。
生活の中で疑っていること、不安に感じていることを取り除いてください。
すぐに聖霊に従うことができるように準備しておきなさい。
主イエス・キリストを公に告白しなさい。

漢の高祖である劉邦の「法三章」の逸話を彷彿とさせるようにクリスチャンにとっては非常にわかりやすい内容となっています。

当時のウェールズの庶民の教育レベルははっきり言って高くないので、このわかりやすさが良かったのでしょう。

エヴァン・ロバーツの説教が受けたのは?

さて、彼の説教の要するについて、当時の新聞はどのように語っているでしょうか。

ロンドンのウェールズ人コミュティのなかで発行されていた週刊の英語/ウェールズ語新聞であるThe London Welshmanの1905年1月5日号には以下の記事があります。

長い説教と短い説教
エヴァン・ロバーツ氏の心を掻き立てるようなリバイバル礼拝の特徴といえば、何より非常に短い時間しか話をしないということである。疑いもなく、やたらめったら長い説教の日々は終わりを告げた。将来、説教壇での話というものは短くなるに違いない。(p.6)

'Notes from South Wales' The London Welshman, p.6., 05 Jan. 1905.

時期的にはちょうどムーヴメント真っ只中の1905年の1月ですから、まだまだ影響が大きいことを物語っています。

また、南ウェールズからの報告という形を取っているコーナーとはいえ、あくまでメインの読者が「ロンドン在住」のウェールズ人ということもあって、若干揶揄するような表現に見えなくもありません。

とはいえ、ここでもエヴァン・ロバーツの説教の魅力が非常にシンプルでわかりやすく、かつ長ったらしくなかったということであることがわかるでしょう。

私のかつての中学校の教頭先生は朝礼などで挨拶が非常に短く、長めの挨拶が多かった校長より人気があったことを思い出してしまいました。

さて、こういったウェルシュ・リヴァイヴァルの様々な側面を今後も見ていきたいと思います。

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