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閲微草堂筆記(210)来世の婚約

巻十七 来世の婚約
 舎人の劉約齋が言うことには、書生の劉は名を寅と言った。(これは劉景南家の酒宴の席で聞き及んだ話である。南北の郷里ではそれぞれ発音が異なるため、この寅の字であるかは分からない。)

 劉寅の家はひどく貧しかった。彼の父親はまだ若かった頃に、友達と子供同士を結婚させようと約束し、友達もそれを快諾し決定した。媒酌人もいなければ、婚約書も庚帖(婚約時に取り交わす男女の生年月日を書き付けた紙)もなく、また聘幣(結婚の際に贈る礼品)もなかったが、それぞれの息子と娘は互いにこのことを承知していた。

 劉の父が亡くなると、その友人もまた亡くなってしまった。劉はまだ年若く、世事に疎かったために、家はますます貧窮し、ついには僧寮に身を寄せるまでに至った。
 そこで父の友人の妻はその婚約を破棄しようと謀ったが、劉はどうすることもできなかった。友人の娘は、それが原因で鬱々とし、ついには死んでしまった。劉はそのことを知り、ただただ深く悲しみ悼むことしかできなかった。

 その晩のこと、劉は独り燈下に座し、悒悒として塞ぎこんでいた。すると、たちまち窓の外から泣き声が聞こえてきた。誰かと問うが答えはなく、しかし泣きやむことはなかった。

 強く問いただすと、「我(私です)」の一字を答えたかのようだった。劉は即座にすべてを悟り、言った。

「あなたであったか。私にはわかります。ただ事がここに至っては、もはや来世で結ばれるほかないでしょう。」

 言い終えるや、あたりは静寂に包まれた。
 その後、劉もまた若くして亡くなった。惜しむらくは、情趣を解する者がなかったために、二人を華山に合葬することができなかったことだ。

 『長恨歌』にいう

 天長く地久しきも時尽くる有り
 此の恨み綿々として了る期無からん

(天地はいつまでも変わらないが、いつかは尽きる時が来る
 この恨みは綿々として終わることはないだろう)

 とは、まさにこの話のことであろうか。

 この娘は、婚約が解消され何の証も残っていなかったために、貞女として名を残すことはできず、また、病気で亡くなっているために、烈女として名を残すこともできなかった。しかし、その志は貞烈を兼ね備えていたと言えるだろう。

 約齋がこの話を語った時、その宴席に座していた者たちは皆、深く感じ入って嘆きため息をついていた。そのため私は、話の中の劉がどこの出身であるかを問い忘れてしまった。約齋の家は蘇州にあるため、彼の郷里の話ではないかと思われる。

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