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閲微草堂筆記(244)貞女の無念

巻七 貞女の無念
 許南金先生が言うことには、康熙の乙未の年に、阜城の漫河を通った時の話である。時節は夏で、雨が降って地面がぬかるみ、馬は疲れて進もうとしなかったので、先生は道端の樹の下で休憩することにし、腰を下ろして仮眠した。

 すると、ぼんやりと娘の姿が見え、先生に向かって礼をしながら述べた。

「私は黃保寧の妻で、湯氏と申します。この場所で暴漢に襲われ、必死に抵抗しましたが、数太刀、刃を受けて死にました。お役人さまは賊を捕らえ、罰してくださいましたが、私はすでに汚されておりましたので、貞女としてその名を残すことはできませんでした。冥府のお役人さまはその貞烈を憐れみ、私をこの地に遣わし、横死した魂たちの長としたのです。そのようにして今や四十年あまりになります。さてこの度、他の郷からやって来た乞食の婦人が一人歩いておりますと、突然屈強な男が三人現れて彼女を樹に縛り付け、恣(ほしいまま)に凌辱したのです。賊を罵り、死を求めるほかに、彼女にできる術はございませんでした。歯を食いしばりながらも辱めを受けましたのは、力が敵わなかっただけで、決して貞節が固くなかったというわけではございません。しかし、判決を担当した者は彼女に厳しくすること際限がありませんでした。これはあまりに不当な扱いではないでしょうか。あなた様の風貌は儒者のようで、必ずや道理にも明るいはずでございます。どうかこのことを白日の下にさらしてくださいませ。」

 先生は夢の中でその婦人の郷や住居を尋ねたが、霍然としてすでに目が醒めてしまっていた。後に、阜城の士大夫に聞いてみたが、その事件について知っている者はいなかった。また、年配の役人たちに尋ねてみたが、事件の調書を探し出すことはできなかった。
 その昔、烈婦として名を残すことができずに人知れず埋没し、長い年月が経ってしまっていたのだろう。

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