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閲微草堂筆記(196)人字汪

巻十一 人字汪
 先祖の光祿公は、滄州(現在の河北省東部)の衛河の東側に荘園を所有していた。そこではよく洪水がおこり、溢れた水が左右斜めに長く伸びて「人」の字の形に見えたために、「人字汪」と名付けられた。

 後に、その土地の発音で訛って「人字(rén zì)」を「銀子(yín zi)」と呼ぶようになった。さらに「汪(wāng)」の字が「窪(wā)」に変わって、唇の先で軽く発音するようになったために、音が「娃(wá)」に近くなり、徐々にその原型を失ってしまった。

 その土地は瘦せていて民は貧しく、衰退は日に日にひどくなっていった。
 荘園の南側、八里のところには「狼兒口(狼の口)」と呼ばれる土地があった。(その土地の発音では「狼兒(láng er)」の二文字を合わせて唇の先で発音するため、音は「辣(là)」に近く、平声(lā)になる。)

 光祿公は言った。
「『人』が『狼の口』と向かい合っていては、栄えないのは当然である。」

 そこで荘園の入口を北向きへと改めた。その真北に五里行ったところの土地は「木沽口」といった。(「沽(gū)」の字は土地の発音だと「果(guǒ)」と「戈(gē)」の間の音になる。)

 門の位置を改めてから、人字窪はだんだんと裕福になっていったが木沽口の方はだんだんと衰退していった。
 これはその土地の気が移ったということか。そもそも孤虛の説(※)には真実があったということか。

※ 中国古代の方術。十干と十二支の順序とその組み合わせにより吉凶や禍福を占った。

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