『半夏生の本 Vol.2』についてふわふわしたことを少しだけ書く 山川創

「半夏生」という語の意味を調べていたら、その過程で、

いつまでも明るき野山半夏生/草間時彦 

という句を読んだ。
草間時彦という人は知らなかったから、Wikipediaの本人の項目を眺めていたら、『勤め人としての自身の生活を詠んだ句が「サラリーマン俳句」と呼ばれ』た旨が記載されていた。
「サラリーマン俳句」で検索すると「サラリーマン川柳」に関するページばかりが検索結果として表示された。

-----------------------

『半夏生の本 Vol.2』は、短歌の同人誌である。
「特集 短歌×エッセイ」である、と表紙に大きめに書いてある。
どのような特集なのかというと、短歌の五首連作が見開きの右側に置かれていて、左側に連作と同一のタイトルのエッセイが置かれているというものである。
また、「会員・寄稿12人競詠」である、と表紙に小さめに書いてある。
「競詠」って、シチュエーションが限定された言葉だなと思う。

秋の味覚弁当 秋が厨房に通されてしばらく秋を待つ/おいしいピーマン『秋の味覚弁当 五百円』

「秋の味覚弁当」は、店員によってより抽象的な「秋」に言葉の上でずらされる。
しかし「秋を待つ」という文脈を取り払えば若干詩的な言い回しは、実際には腹が減って弁当を待っているだけのことである。
長い名詞が初句でバシッと出てくるところとか、店員の言葉に追随する(乗っかってみる)ことのおもしろ感とか、気になるポイントが多い歌である。
そしてこれは連作の一首目なのだが、連作を読み進めると、ここでの「秋」に対する視線がそのあとの歌で身体へ、豚コマへ、内釜へ、スプーンへ並行移動してずらされていくような感覚を持った。そういう意味で、連作の入り方としてとしてのよさを感じる。

踏切を待っているときアニメとかMVみたいと思う 自意識~/城下シロソウスキー『中野区野方』

踏切を待っている自分を、斜め上あたりから見下ろしている視点があって、おそらく具体的な例を思い起こしながら、「アニメとかMVみたい」と思う。しかし一方でさらに上位の視点にいる自分は「自意識~」となっている。このような自己言及のしかたには、なんとも面倒くさそうだなという感想を抱く。その面倒くさそうな感じと「自意識~」は見事に一致していて、「自意識~」としか言い表せないことを言い表している。たとえば「自意識過剰」ではダメなんだよな。

起きたら暗い 起きたら暗い季節が来てとりあえずテレビ付けるといる誰か/平出奔『起きたら暗い』

下句によってあらわされている、テレビをつけることの自動化され具合。テレビの内容には関心があるようには見えないが、しかし「誰か」を認識するためにこのテレビは存在しているように思われる。この「とりあえず」は、本当のとりあえずだなという感じがある。
そういえばわたしにも起きたら暗い時期があって、そのころは病院に通っていたな。こういう感覚は、どこまで共有できるものなのだろう。

-------------------

『半夏生の本 Vol.2』は現在のところ以下から(も)購入可能であり、表紙を見ることもできる。
https://silossowski.booth.pm/items/2551957

2020.12.19 gekoの会 山川創

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?