受け継がれる空穂

 現代における窪田空穂の立ち位置を考えたときに、斎藤茂吉や北原白秋のように人口に膾炙されているわけではなく、佐佐木信綱や釈迢空のように国文学色も強くない、しかしいずれにも存在感を放っている。そして、空穂系といわれる結社は多く、渡辺順三や岸上大作などエポックメイキングな歌人も排出している、そんなイメージを持っている人が多いのではないか。空穂の歌人としての人生は、早稲田大学で教鞭を振るうようになるまでは、雑誌の編集者で生計を立てる傍ら、作歌、古典研究に時間を費やすという極めて現代的な歌人の在り方であった。そうしたリベラルなキャリアが文芸家としてのふり幅を持たせた要因のひとつだろう。最近上梓された田渕句美子著『窪田空穂「評釈」の可能性 近代「国文学」の肖像第4巻』(二〇二一・六/岩波書店)はコンパクトに空穂の文芸家としての在り方を覗くのに好著である。著者の田渕は早稲田大学教育・総合科学学術院教授でまさに空穂の学統であり、空穂系結社の末席を汚す筆者にとっては、普段と違うアプローチであり興味深い一冊でもあった。本書の構成は略伝、創作、教育者・編集者としての空穂、評釈についてと章立てが展開される。主題がバラバラのようだが、その中心には空穂の文芸に対する態度という一本の筋が通っており、そうしたところからも空穂の一貫した文学性を感じることができる。


文藝の研究は即《そく》批評ぞと思ふままにぞ我はしにける 窪田空穂『去年の雪』


 空穂は古典作品を文芸と呼び、文芸の批評こそが研究であるという態度を表明する歌である。田渕は「文学研究が作品の価値を見定めるところにあり、それを自分はやっているのだという自負が感じられる。空穂は大学院で学問研究をしたわけではなく、留学もせず、国家のために育成されたエリートとは別のところで、ひたすら古典研究に対峙し、作品を読み解いた。」と評している。空穂は国文学研究において、古典研究も創作も文芸という点で融合させることで独自性を発揮した。田渕が空穂の学統について述べるときに「早稲田大学において、窪田章一郎、岩津資雄、武川忠一、佐佐木幸綱、内藤明などに受け継がれている。」と歌人の名を具体的に挙げているのも面白い。短歌(和歌)の研究において、国文学者と歌人と二つのアプローチに分かれがちだが、空穂はその橋渡しをしている。また、空穂は編集者として『皇族画報』の企画編集に携わったり、「読売新聞」の身の上相談を担当するなどジャーナリスティックな活動もあった。編集者としての空穂は流行に鋭敏に反応し、身の上相談においては女性からのDVやモラルハザードな相談に対して近代的な価値観に囚われず、リベラルに助言をした。


許さるる限りは軍服著ずといひてさみしく笑ふ士官ありしを 『さざれ水』
金持つと聞けば即ち善からざる人かと思ふ眼に見ぬ人を 『郷愁』


 空穂は経済や権威から距離をおき、批評的に捉えている。一首目は士官の言動を通じて軍人の虚しさを詠っている。徴兵された兵士ではなく士官というところに批評性や、士官のかなしみがにじみでている。二首目は率直な歌だが、直接的な物言いがユーモラスになっており、主義主張がいささか緩和されているが、経済は好きではないのである。随筆「個人解放の完成」では富国強兵と叫ばれる日清戦争後の時代において、空穂の実家である百姓が富国に関与していることを踏まえて「私は百姓になろうと思わなかった。のみならず富国に関係した何事もして見たいと思わなかった。(中略)私のなりたかったのは文学の学生であった。あるいはその方面の読書子であった。」と述べている。空穂は閉塞した社会のなかで文芸という柔軟性をもたせつつ個人の解放、社会の改造を訴えているのであった。歌や散文を通じて、空穂の権力から距離を置き真実と文芸を愛するという価値観を見出すことができる。


乙女らがどつと笑へりこんなにも明るき世かと涙にじめり 岩田正『柿生坂』
和太鼓の乱打ぞたのしわが腸《わた》も心もちぎれんばかりにぞ打つ
雀の餌ひよが堂々と横領す飢ゑは満ちたり雀に鵯に


 時代は移り変わり、大正生まれの岩田はいわゆる戦中派の世代である。自らも徴兵され、周囲も勤労動員などで戦禍に巻き込まれていった時代を経験した岩田だからこその〈涙にじめり〉である。この誇張ともいえる表現に時代的背景が備わると、動かしがたい結句になる。二首目は跳ねるような韻律で、題材も祭りという岩田の好きなものである。歌全体から楽しさが感じられ、文芸を愛する喜びにも通じるようである。三首目は鵯が雀の餌を奪ったことで、雀だけではなく鵯も飢えたのであると、不正や悪事を憎む価値観がみてとれる。三枝浩樹は岩田の作品について「歌壇」(二〇一八・三)で「しなやかで、なんだか温かいその作風。ユーモアと批評性に富んだその歌の世界はひと言でいうなら、空穂を内に留め、あるいは通過してきた人のものであった」と評しているが、まさに真実と文芸を愛する価値観は空穂から岩田に引き継がれ、生き生きと詠われているのである。空穂の関連書を読むとつい、岩田のことを想起してしまうほどに空穂を受け継いでいるのだが、両名とも真実と文芸、ヒューマンとユーモアという文芸において普遍的といっても過言ではない価値感が詠われている。そうしたことからも繰り返し読まれるべき歌人といってよいだろう。いつの時代でもいぶし銀のように光り続けている文芸がある。

2021.6.26 gekoの会 丸地卓也

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