歌会はエンターテインメントなのか 永山凌平

 「塔」2022年3月号に掲載されている橋本牧人による評論「短歌読解のリベラリズム」を面白く読んだ。簡単に要約すると、「短歌連作には一貫した主体がいる」というお約束を例に、読みにおける暗黙の了解(橋本は「コード」と呼ぶ)を外して読むことで従来のコードでは読み落としていた作品の理解を掬い上げること、「読み」を更新することで「詠み」の可能性を広げること、を主張している。特に最終段落の「ぼくたちは短歌の実作者である以上に、読者として短歌読解の既存のコードにときに乗っかりながら、ときに破壊し、その可能性をかぎりなく広げていかなければならない。」という一文には橋本の決意が読み取れる。筆者はそもそも短歌連作における評がまだまだ未成熟で、読みの「コード」でさえ十分に可視化されていないことに不満を感じているのだが、橋本の評論は連作評にも独特なアプローチがあり、その点でも興味深かった。

 そんな橋本の評論だが、本旨ではないところで気になった箇所があった。それは次の部分である。

ぼくたちはあらゆる短歌の解釈をある程度の地点で措定しているのだ。〈中略〉ただ、それ自体は悪いことではないし、普通のことだ。一首を深掘りしてどこまでも解釈しようとしたら身が持たないし、人によって解釈が違うおかげで歌会なんかはエンターテインメントとして機能している。

気になったのは最後の部分である。確かに歌会は楽しい。それは、橋本の主張に沿って言うなら、参加者それぞれの読みが異なることにより各々の読みがアップデートされることの楽しさなのだろう。ただ、それを「エンターテインメント」と呼ぶのか。筆者には違和感がある。「エンターテインメント」は多く「娯楽」と訳されるが、単に「楽しいもの」「楽しむべきもの」の意味ではなく「楽しませてくれるもの」という側面がある(※1)。歌会をエンターテインメントと認識することは、歌会に楽しませてもらおうという立場だろうし、自分の気に入った評だけを受け入れようという姿勢にもなりかねないのではないか。橋本はそのような意図でエンターテインメントと言ったわけではないだろうが、言魂にもなりかねないので、筆者は歌会をエンターテインメントとは呼びたくない。

 上記話題に関連して、「塔」の同号から2つの文章に触れておきたい。

 1つ目は吉川宏志による「青蟬通信」という欄の「「読みの時代」と「作者の時代」」という文章。

現在は、読み自体を楽しむ時代になっているのかもしれない。歌会などで、誰が最も面白い歌の読み方をするかを競う時代。他の人が思いつかないような、新しい評を考えることに、スリリングな興味を見いだしている印象を受けるのである。

なるほど納得感がある。読み自体を楽しむのは悪いことではないが、突き詰めるとエンターテインメントになってしまわないかという恐れも、私にはある。吉川は河野裕子の文章を引きながら次のように結んでいる。

「変革の容易ではない時代は、一方では重層的で高度複雑な歌と読みの成熟をもたらすものであることを思った。それは、ゆるやかな退廃と同時進行しているものであろうけれども。」
 今、すごく身に染みる言葉である。「ゆるやかな退廃」が進んでいるのではないか、という問いは重い。

筆者は河野の原文を読めていないので、河野が危惧した「退廃」が具体的にどのようなことなのか、まだ十分理解していない。今後考えていきたい問題の一つである。

 2つ目は中田明子による「誌面時評」。

日頃歌集を読むときには、惹かれる歌に付箋をつけながら読んでいくのだが、そうした振舞いについては時々、私は好きかどうかという極めて個人的な基準で自分の読みたい歌を読みたいように読んで消費しているだけなのではないだろうかと考え込んでしまう。

作品を「好き」と思う気持ちは大切だ。それを足掛かりに一首を深く読むことにつながる。一方で、自分の好きな歌しか受け入れない、という立場にもつながりかねない。好きな歌を好きであることと同じかそれ以上に、何か引っかかりを覚える歌について立ち止まって考えることも大切だろう。中田は評論を書くことに関して次のようにも述べている。

大切なことは、新しい視点あるいは語られてなお語り尽くせぬ論点を掬いあげ、短歌を考えることをやめない、ということであるだろうから。

筆者も深く頷く。たとえ「好き」を起点としていても、考え続けることはきっと楽しいことばかりではない。考えることが、言葉を生むことが苦しいときもあるだろう。でもその先には「喜び」がある。この喜び・楽しさは、受動的にエンターテインされたものではない、主体的に勝ち得たものだと思う。

※1 以下より。「ブリタニカ国際大百科事典」、「エンターテインメント」の項の「楽しませてくれるもの」という記述。「ウィズダム英和辞典」、「entertainment」の項の「楽しませるもの」という記述。

2022.3.19 gekoの会 永山凌平

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