幾何学の歌―予告編 永山凌平

 文谷有佳里という芸術家がいる。ドローイングを得意とする作家で、作品では巨細の直線・曲線が紙のパネル上に――場合によっては紙以外のもの、例えば美術館の展示ケースのガラス上に――あるバランスを構築しながら躍動する。それは何か具体的な事物を描いたものではないし、線が何かを明確に表しているわけではない。そもそも文谷は下絵のたぐいをしないらしい。作家の経験や感覚に基づきながら即興音楽的に線を構築していく。

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 実は、筆者は学生時代に文谷さんの話を伺う機会があった。そのとき尋ねたのは「何から作品のインスピレーションを得るのか」という質問だったのだが、文谷さんの答えは建築図面を眺める、とのことだった。建築の専門的な知識があるわけではないから、構造計算などの実用面は分からないが、図面上の形状・構成には何か感じるものがあるのだという(……のような話だったと記憶しているが、何しろ8年も前の話なので齟齬があったらごめんなさい)。当時の筆者は建築にそのような見方ができることを知らなかったから、目から鱗が落ちる気持ちで話を聞いていた。そしてそれ以来、文谷さんの作品のような単純な線が描き出すものの美しさ、カンディンスキー風に言えば線の構成が生み出すリズム・ハーモニーといったものに、長い期間興味を持つことになったのだった。

 興味を持つと同時に、それをいかに言語芸術である短歌に表現するか、ということも筆者にとっては考えたい命題である。ただし、これについては先例として加藤克巳の名を挙げることができる。加藤の場合、全体構成の単位を成す形状は、多く幾何学的な要素により表される。例えば歌碑にもなっている代表作、

永遠は三角耳をふるわせて光にのって走りつづける

には「三角」という図形が出てくるし、何よりこの歌を収めている歌集の名前は『球体』である。では、より具体的に加藤の作品における幾何学性とはどのようなものなのか。これについては次回(2か月後)もう少し詳しく見ていきたいと思う。

2021.9.18 gekoの会 永山凌平

画像引用:文谷有佳里「なにもない風景を眺める」(2015) https://yukaribunya.com/works/2015.php

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