“推”進力 丸地卓也

 「歌壇」二〇二一年四月号の時評で平岡直子が以前ある人物から歌集を出さないかぎり歌人としては「無」なのだと言葉をかけられたことを述懐している。歌集は節目であり暗黙の了解でそのような風潮はみられる。一方で自費出版や謹呈文化への批判もたびたびなされてきた。内容としては経済的な負担の大きさと、読者と作者がほぼイコールで結ばれるジャンルの宿命、商業主義から距離を置くことで文学的本旨を遂げることができるなどの結語で結ばれてきたように思う。平岡自身も歌集がないと歌人ではないという発想自体が間違っているとは思わないと述べ、アーカイブ性と作家性を担保するものとしての意義をみとめている。歌集は流通こそ負担が大きく、歌集の上梓と歌人という称号の結びつきこそ歌壇の独特なカルチャーではあるが、機能性に着目すると文学的に意義深いということに異論はない。さて、平岡の時評で共感を呼んだのは歌集のくだりよりも結論の部分だと思う。そこでは歌壇は才能がある者だけではなく、粘り強く滞在する者を向かい入れると述べている。歌集は作品の蓄積であり、作家論の呼び水であり、そして粘り強く滞在する者の象徴ともいえるだろう。
 その〈歌集〉を上梓するまでに過程として、発表する場が必要である。結社がわかりやすいが、同人誌でもいいだろう。ただし同人誌も長く存続しているもののほうが、アーカイビングしやすいし、作家性の一貫性を見出しやすい。わかりやすく結社に焦点を当てると〈歌集〉への過程のようにも思われたのが、「歌壇」二〇二一年五月号の「わが結社の推し歌人33人競詠」である。以前連載があった「NHK短歌」の「ジセダイタンカ」や、「短歌研究」の「新進気鋭の歌人たち」とは違い、「歌壇」の特集は結社で数年活動をしている歌人ということで年齢の幅が広かったりすでに歌集を上梓している歌人も含まれる。ゆえにそれぞれの歌人の体臭のような文体や、結社の作風・地域性などがより濃くみえてくるのである。

死んでいる貝はひらかず生きている貝を喰うため強火にくべる 有朋さやか
校舎よりヤッホーと叫ぶ児童《こ》らのこゑ空へ返せる木霊のやうに 大久保壽美

 有朋は「短歌人」から推されている。生きている貝を喰うために強火にくべて殺すという、改めて考えると不可解な行為を厨という生活感のある場面から取り上げている。死んでいる貝とあえて初句で取り上げて対称的に詠っているところで不可解さが増す。嘱目詠から深く真実に迫るところにどことなく結社の先達である〈スティックがきらいでチューブ入りの糊を好むわけを教えようか 高瀬一誌『火ダルマ』〉や、〈ひとたばの芍薬が網だなにあり 下なる人をふかくねむらす 小池光『静物』〉などを彷彿させる。大久保は「ヤママユ」から推されている。学校の一場面で、今もヤッホーと生徒が叫ぶような素朴さが残っているのだとほのぼのする歌でもある。引用歌の前の歌には〈桜色の布表紙、前登志夫全歌集に掌を置けば森の中〉という歌もあり、〈木霊〉というのは前登志夫のオマージュであるようにも読める。前は若者を修験者が使役する式神である前鬼後鬼に喩えたが、大久保は教え子を木霊という自然に宿る精霊に喩えた。

体内に湖面いちまい揺らしつつ高飛び込みの動画を触る 田村穂隆
雨は雪にしなだれかかり晩冬の屋根を洗って言葉では無理 塚田千束

 田村は「塔」短歌会から推されている。湖面という内面の広がりから高飛び込みの動画を触るの〈触る〉というトリビアルな具体性に収束している。体内の湖面の揺れているため高飛び込みの動画を見るのか、また飛び込みの動画により体内の湖面が揺れるのか、具体性があるので一見わかりやすそうだが、よくよく読むとわからなくなる。そうしたあてどなさが水のモチーフと呼応しているようだ。さて、引用歌を読んだときに永山凌平の歌を想起したのは同じ結社であるということだけではないはずだ。永山は〈すみずみまで雲ひとつなき青空よ 台風一家は何人家族 永山凌平「gekoII」〉と詠んでおり、台風一過で晴れ渡っている青空と、台風一過から台風一家という家族に飛躍する。前後の歌をみると永山のなかの家族像は全肯定的なものではなくためらいがみられるだが、青空からそうした抒情につなげている。さらなる考察が必要だが詳細な場面描写と内面の対比という作風に共通点がみとめられるのは結社の影響が少なからずあるのではないかと思った。塚田は「まひる野」所属で上句のゆったりとした韻律と下句のスパッとした抒情がはまっている。屋根を洗うほどの雪が積もるという雪国ならではの情景があり、北海道で活動している「まひる野」の歌人の同人誌「へペレの会」の同人であることも思い出す。
 歌壇で何かしらの活動をしていると文体、モチーフ、所属欄に否応なしに、結社・同人誌・住んでいるところの風土・世代性の影響などがプラスマイナスついてくる。各歌人のアプリオリな文学性に加え、これらが添加されることでより作家性が強固なものなるし、33歌人並んで掲載した際に多様性としてみえてくる。無所属や同人誌は結社よりも自由な場であると目されがちであるが、実は結社は多様性を育む土壌でもあるのだ。数年したら本特集で取り上げられた歌人のなかで何冊か歌集を読むことができるかもしれない。その時は推されずとも各々が自身の推進力を持っているだろう。

2021. 05. 01 gekoの会 丸地卓也

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