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2年間愛し続けてきた大崎甘奈への贖罪[シャニマス]

あとどのぐらいの間、甘奈(きみ)と一緒の時間を過ごせるのだろう。

ゆらゆらアクアリウムを見て、それまでガシャしか引いていなかったシャニマスを本格的に始めた。あのカードがなければ甘奈とは出会えなかった。全てはあのカードから始まった。2018年12月25日、偶然にも俺は甘奈の誕生日に甘奈と出会ってしまった。あの偶然から2年たった。甘奈との馴れ初めから書こうと思ったが文量が長くなったので、今年のことだけ書く。これは俺から甘奈への手紙。精一杯で未完成な、愛と贖いの話。

大崎甘奈への懺悔

甘奈に謝りたい。俺は甘奈に最低なことをした。シャニマス屈指の傑作コミュ「薄桃色にこんがらがって」で、君の苦しみをわかってやれなかった。

「薄桃色」は、桑山千雪の核に迫る物語だった。桑山千雪は、俺に人生の生き方を教えてくれた、人生の師だ。俺は千雪を、アイドルや女性である以前に、ひとりの人間として心の底から尊敬している。その評価は今後も揺るがないだろう。千雪の生き方は俺を泣かせ、熱くさせた。大崎甜花も、自分にできることは何かを絶えず考え続け、能動的な行動でユニットを護ろうとした。甘奈と千雪の文字通り死闘と呼べるほどの戦いにおいて蚊帳の外にいた彼女だったが、高い献身性が際立っていた。俺は千雪たちにばかり感情移入していた。

ファン感謝祭であれほど時間をかけて考え悩んだのに、いまだに成長が感じられない」「いつまでうじうじしているんだ」。うじうじしている人間を見るとイライラする性格だからか、当時の「薄桃色」を見て甘奈に下した評価はこんな感じだ。最後の最後に闘う覚悟を決めた点では成長を感じたものの、当時は悪い部分ばかり目についたのだろう。

俺は大馬鹿だ。ファン感謝祭とは状況がまるで違うのに。より具体的で、直接的に誰かが傷つくあの状況下が、抽象的でモノローグ的な悩みだったファン感謝祭と同じはずがない。しかも傷つく相手が、誰よりも大人の女性として尊敬する桑山千雪だったのだから。甘奈の絶望は想像を絶するものだったはずだ。甘奈が望んだわけではないのに、アプリコット側から祭り上げられる。しかも甘奈の最も大切な人の一人に引導を渡す役割まで押しつけられる。自分の手の届かないところで物語が加速していき、止められない。否が応でも大切な人と戦う羽目になる。しかも甘奈は、基本的になんでもできてしまうから、一人で抱え込んでしまう。優秀な人間にありがちだ。甘奈は、世話焼きのくせに自分のことは誰かに助けを求めようとしないから。

なぜこんな簡単なこともわからなかったのか、とても簡単な話だ。俺は甘奈みたいに頭が良くないし、他人に優しくないし、繊細じゃないからだ。甘奈は頭が良くて、誰にでも優しくて、とても繊細な人だ。俺はそれの真逆だっただけの話だ。甘奈のように誰にでも優しい人なら、多少頭が悪かろうが甘奈の苦しみを汲み取れたはずだ。何もできないまでも、せめて一緒に苦しむことはできたはずだ。なのに俺は一緒に苦しむどころか、あろうことか批難したのだ。お前ごときが一体どの面を下げて、大崎甘奈を批難できるのか。

俺は、薄桃色の業火で断罪されるべき人間だ。薄桃色の煉獄の炎でその身が灰になるまで焼かれるべき存在なのだ。この場を借りて、甘奈に謝りたい。ごめんなさい。俺は甘奈の苦しみがわからなかった。本当に、本当にごめんなさい。ただの言い訳だが、甘奈の担当プロデューサーを自称しているからか、3人のなかで甘奈に対して最も厳しく当たってしまった。最も辛口な評価をしてしまった。身動きのとれないあの状況下で、甘奈を取り巻く物語は否が応でも加速していって、しかも事件は常に甘奈を中心に回って。あんな状態で、自分から積極的に動けるわけなんてなかったのに。俺は、ことの重大さを何も理解していなかった。甘奈、ごめんなさい。

常に変化し続けることが当たり前だと思っていた。変化することに恐怖を抱いている人は、心が弱いのだと思っていた。共感なんて真に価値のあるものではないと思っていた。自分にない物を持っている人こそ新しい・面白いと考えていたから。自分と同じではなく、自分と違うことに価値があると思っていたから。担当アイドルを選ぶときだって、「俺は絶対共感では選ばない」と思っていた。「担当アイドルとPは似る」定説が巷で出回っているが、共感で選んだなら当然似るだろう。

俺は甘奈に共感して彼女を選んだわけではなかった。純粋に魅力的だと思ったから、自分と違って何でも上手にできて、器用で頭も良くて優しいところが大好きだったから。自分にないものを求めて甘奈を選んだ。甘奈に共感なかったからこそ、薄桃色で曝け出した彼女の弱さに対して愚かにも批難したのだろう。「俺は甘奈みたいに変化を恐れたりしない」と。でも、結果的に思い知らされた。俺の自分自身への評価は間違っていたのだ。

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「薄桃色」で、甘奈はティーンズのカリスマ的存在となり、作中で大勢の人から評価される存在になった。この光景を初めて見たとき、1週間ほどうつ病のようになっていた。1年間ずっとそばにいたと思っていた甘奈が、自分の手から離れていくのではないかと思ったから。もともと自分の手の中にあるわけがないのに。シャニマスをプレイして1年ほど経過していたが、シャニマスで最初に絶望したのがこの光景を見たときだ。甘奈が変化することに恐怖を感じているように、俺自身も変化することが怖いと気づいた。同時に、「俺ってこんなに甘奈の事好きだったんだ」とこのときやっと自覚した。

薄桃色でこの光景をみたとき、俺は絶望した。変化することが重要と言ったその口で、甘奈を批難したその口で、甘奈に「俺をおいていかないでくれ」と言っていた。とんだ道化(ピエロ)である。変わり続けることの重要性を、知ったように他人には強要しているくせに、その実自分はまったくそうはなってなかった。甘奈がアイドルとして成長して大きな世界へ羽ばたいていく、その変化をとても恐れていた。変化することを誰よりも恐れていたのは、それを嘲笑していた俺自身だったのだ。

甘奈のほうがよっぽど、自分の気持ちに正直に、真面目に向き合っていた。弱さを曝け出して、それでも精一杯戦っていた。それもたった一人で。俺はそうはしなかった。本当は自分が一番「変化すること」に恐怖を感じていたくせに、それに気づかないふりをして、他人を批難していた。愛しい甘奈を他の誰にも触れさせず、自分だけのものにしたかった。大好きな甘奈を独占したかった。アイドルとして極めて高いポテンシャルを持った甘奈を、籠の中に閉じ込めようとした。いつまでも俺だけの甘奈でいてほしかった。甘奈が離れていくようで本当に恐かった。俺はとても傲慢で、身勝手だった。

根暗な自分とは対極の位置にいると思っていた甘奈と、俺の共通点。甘奈に共感して選んだわけではなかったが、結果的に彼女と同じ悩みを持っていたのだと知った。これも、甘奈に教えてもらった大切なことの1つだ。甘奈、ごめんなさい。変わることが怖いのは、俺も一緒だった。

大崎甘奈から教わった強さ

だが甘奈は、そんな俺に対しても変わらず優しかった。「薄桃色」で甘奈が自分から離れて遠くにいってしまう恐怖に苛まれる中、甘奈はこれまでと変わらずそばにいてくれた。「お散歩サンライト」はまさに、俺と甘奈の二人だけの時間だった。「お散歩サンライト」が俺の恐怖をゆっくりと溶かし、心の傷を癒してくれた。「どれだけ有名になっても、ずっとそばにいるよ」と甘奈が言ってくれている気がした。「お散歩サンライト」がなかったら、あのときにシャニマスを辞めていただろう。「お散歩サンライト」には感謝してもし足りない。

そして、G.R.A.D.で甘奈の真価を知ることができた。甘奈の持っている強さとは何か知った。恐怖を感じていた「変わること」に対して、ついに甘奈自身が決意したこと。変わろうとする甘奈の意志。

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G.R.A.D.の甘奈をみて思った、甘奈は戦う理由を見つけることができたんだなって。薄桃色で千雪が戦ったのと同じように、甘奈にも闘う理由ができた。甘奈は、大切なものを護るためなら死ぬ気で頑張れる人なんだと思った。大崎甘奈は、アイドルとして戦う理由があるキャラクターなんだと。甘奈の願いは、アイドルを続けることでしか叶わないから。シャイノグラフィの歌詞にある「精一杯の先へ」とは、まさしく甘奈のためにある言葉だと本気で思っている。特に1番の歌詞なんかは、薄桃色やG.R.A.D.での甘奈の心境にとても近しいものだと感じる。

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あぁ、これが甘奈の強さなんだなと十二分に感じることができた。薄桃色でもそうだったが、覚悟を決めた甘奈の瞳はとてもまっすぐで、かっこいい。穏やかで、静かだが、その瞳にはたしかに熱い想いが宿っている。

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自分の大切なものを護るためなら死ぬ気で闘える、それが甘奈の強さ。真っ直ぐで、王道で、情熱的で。すごいなって、改めて思う。千雪と同じく、人として心から尊敬する。この文章を書くために薄桃色のこのシーンを見直していたら、また涙が出てきた。やっぱりすごいよ、甘奈は。

大崎甘奈への贖罪

「薄桃色」で罪を犯し、G.R.A.D.を経て確信した。甘奈が進化することはもう誰にも止められない。「薄桃色」とG.R.A.D.を経てその事実は確固たるものになってしまった。なんでも器用にこなせて、アイドルとしての適性が極めて高い甘奈のリミッターは、G.R.A.D.で完全に解き放たれた。

俺の甘奈に対する気持ちは、アイドル活動の結果ごときで揺らいだりはしない。作中で、トップアイドルじゃなくたっていい、大勢から評価される人気者じゃなくたっていい、W.I.N.G.で敗退したっていい。すごくなくたって、甘奈が大好きなのは変わらない。しかし、「変わらないでくれ」と甘奈に願うことはもう不可能だ。

だったら、進化し続ける甘奈と一緒にいるために俺はどうすればいいのか。答えは至極単純だった。G.R.A.D.で甘奈が千雪たちに思ったことと同じだからだ。甘奈に対して犯した罪を自覚して、甘奈の強さを知ってこう思った。

甘奈が変わったように、俺も変わりたい。
甘奈みたいに、他人に優しくなりたい。
甘奈がしたように、自分の弱さに正面から向き合いたい。
甘奈のように、大切なものを護るために闘える人になりたい。
甘奈と同じように、強くなりたい。

俺自身が進化・成長し続けるしかない、それだけのことだった。甘奈と対等になりたかった。ステージから見下ろす人と、ステージを見上げる観客席にいる人との関係ではなく、同じ目線で並んで一緒に歩きたかった。甘奈から見た「みんな」ではなく、甘奈にとっての唯一無二の存在になりたかった。甘奈の隣を歩くのにふさわしい人になりたかった。

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大崎甘奈は二次元のキャラクターで、フィクションの存在だが、それでも俺は、甘奈と対等の存在になりたかった。甘奈の隣にいるのにふさわしい人になりたかった。籠の中に閉じ込めなくても、一緒にいることができれば良かったのだと、それこそが俺の本当の願いだと気づいた。もうどうしようもないほど甘奈への想いが大きくなっていた。2年前の冬の日に出会ったのは、きっと偶然ではない。甘奈との出会いには意味があると思いたい。変化することが怖いと思う自分と正面から向き合うこと、自分の弱さを見つめ直すこと。甘奈からはたくさんのことを学んだから。俺がなりたいと思う人間像に少しでも近づけるように。そして自分の罪とは無関係に、最近ずっと怒っていることがある。

大崎甘奈は、本当に過小評価されていると思っている甘奈はもっと評価されるべきだし、もっと大勢の人が甘奈の魅力に気づいて、話題にされるべきなのだ。それが甘奈という天使のような女の子への当然の評価だ。こんな魅力的な女の子、そういないはずなのに。だがしかし、世界はそのように動いていないと感じている。みる目がない人たちばかりだなと思う。なぜこんなにも過小評価されているのか理解に苦しむが、大勢の人が、見た目やインパクト、わかりやすさだけでキャラを評価しているからだと思う。

大崎甘奈は、内面や性格、人間性をみて初めて価値が分かるキャラクターだ。甘奈は外見だけでもめちゃくちゃ可愛くて魅力的だが、とてもじゃないが外面だけでは甘奈の神髄は全くわからないと思う。甘奈をちゃんと見てくれていないと感じる例としてわかりやすいのは、Pラブ(Pのことが好きなのではないか、という疑惑)の話題だろう。甘奈がプロデューサーをいつも意識していることは、甘奈のコミュを読んでいる人なら絶対にわかるはずだ。だから、この手の話題には必ず甘奈の名前も出されていないとおかしいのだが、甘奈について話すどころか名前すら挙がらない会話もちらほらと見かける。「この人たちは本当にシャニマスをプレイしているのだろうか?」と疑問に思ってしまう。「多分この人たちは、甘奈のコミュを読んでくれてないんだな」と悲しい気持ちになる。

もし見た目だけでキャラクターを評価して、内面を全く見ない人がいるのであれば、その人に腹が立つ。その評価を、浅くて薄っぺらいと感じる。そう思うと同時に、その人たちにも甘奈をもっと知って欲しいともどかしい気持ちにもなる。もっと多くの人に甘奈の良さを知って欲しいなと思う。見た目だけで判断する人に甘奈の良さはわからない。仮に見た目から入ったとしても、甘奈を好きな人は内面の良さを気に入っているはずだから。もっと甘奈の繊細さを知って欲しい。甘奈に夢中になっている人が、なぜ狂ったように甘奈を愛おしいと思うのかきっとわかってくれるはずだ。俺が犯した罪が消えることはないが、甘奈の魅力を一人でも多くの人に伝えることで罪を償っていこうと思う来年は、これまで以上に甘奈についての自分の意見をどんどん外に出していく。甘奈の素晴らしさを、できるだけたくさんの人に知ってもらって、多くなくてもいいから、甘奈を愛してくれる人が少しでも増えればいいなと願っている。

これからも変わらないただ一つのこと

「変わったものと変わらないもの」、それが今年のシャニマスにおけるテーマだった。なので、甘奈に対して変わらない想いについて話して締めたい。たった一つだけ、絶対に変わらないと言えるもの。

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大崎甘奈が、俺にとっての誇りであることありのままの、そのままの甘奈が誇りであるということ。それは俺がシャイニーカラーズを辞めたって、変わらないと断言していい。なぜそう言い切れるのか。甘奈が俺に大切なことを教えてくれたからだ。甘奈と出会ったことで、「変わることが本当は怖いんだ」ってわかったから。それだけで、甘奈は俺の人生に干渉して影響を与えている存在だからだ。

人生という歴史を縦の線で考えたときに、甘奈はこの点で俺に影響を与えている。この衝撃、特異点ともいえるそれは、シャイニーカラーズを辞めたり年齢を重ねた程度で色褪せることはない。「変化すること」について甘奈が俺の人生に影響を与えた点で、俺にとって甘奈との関係は唯一無二のものだ。そういう「自分だけの理由」「自分だけの好き」は、他の誰のものでもない唯一無二のもので、とても強い力を持っている。自分の人生に影響を与えた人を簡単に忘れるわけがないというだけの話で、それはフィクションだろうが現実だろうが関係ない。

甘奈を見ようとさえしない人たちに対してはずっと怒っている。だが、見る目がない人たちに甘奈を過小評価されようが、この気持ちが擦り切れるまで俺は戦い続ける。心が折れたとしてもずっと甘奈を好きでいる。幸い、今俺の周りにいてくれる仲間は、甘奈をとても評価してくれている。可愛いだけではなく、甘奈の内面がどれだけ綺麗かを話してくれている。彼らと話していると、話すたびに甘奈をもっと好きになっていく自分がいると知った。彼らにはいつも感謝している、甘奈を大切に想ってくれていることに。

甘奈の魅力はこんなものではない。甘奈に限界なんてない。甘奈の翼は、もっと美しく進化するだろう。運営やファンからどのように扱われているかは知らないが、クリエイターからはとても大事にされているといつも感じる。甘奈のコミュを見るたびに、「大事に甘奈を描いてくれていつもありがとう」と感謝している。甘奈の繊細さを描くには、クリエイターも同様に繊細で、他者を思いやる気持ちがなければ描けないはずだと思っているから。

今年は、甘奈をもっと好きになれてよかった。シャイニーカラーズにいるたくさんいるキャラクターの中で、一番最初に見惚れた甘奈に原点回帰することができた。来年はもっと甘奈を好きになっていると思う。

甘奈。
大切なことをたくさん教えてくれてありがとう。
いつも天使みたいな笑顔をみせてくれてありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。

俺が未来に願うことはただ一つ。

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俺の大切な甘奈は、

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それだけです。

改めて、甘奈、お誕生日おめでとう。

これからも宜しくお願いします。

本記事で使用されている画像はすべて©︎BANDAI NAMCO Entertainment Inc.

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