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さようなら、584日前に出会った俺の樋口円香。[シャニマス]

円香、お誕生日おめでとう。出会ってからもう2回目の誕生日を迎えたことに、感慨深さと時の流れの速さを感じる。2021年度の担当への個別の記事も中盤に差し掛かった。今年の円香についての話は、間違いなく去年よりも書きたかったものだ。

半年前から2回目の円香の誕生日に話すことは決まっていた。今日のためにずっと取っておいた、円香のG.R.A.D.である。担当のG.R.A.D.はどれも好きだが、甘奈のG.R.A.D.と並んで特に好きであり、最も涙腺を破壊されそうになった物語について話そうと思う。

俺が円香に期待していたもの

自分は赤が大好きだ。赤には、情熱・積極・炎・熱・興奮・活発・目立つ・華やかさ・暖かさ・怒り・危険・血(生命を表す)などのイメージがある。安全を表す緑と比べ危険なイメージもあるが、赤には激しさや情熱というポジティヴなイメージを持っている。

赤にもさまざまな種類があり、円香の赤は落ち着きのある印象で、静かさ・クールさや知的さを感じた。円香や甘奈など、赤系統のキャラには勝手に親近感を覚えてしまう。内心では、自分の持つ赤へのイメージを勝手に期待している。

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初めて見たときから、青を基調としたノクチルのなかで赤だけが異彩を放っているように感じた。他の3人も魅力的だが、ノクチルが初めて発表されたとき俺が見ていたのは円香だけで、円香以外眼中になかった。それぐらい、一眼見た瞬間に円香に惹かれた。

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「お前の中にある熱い心を見せてくれよ」。高望みしないと言いつつ熱いハートを持っていると、勝手に期待していた。当時の1年前に実装された冬優子が熱いキャラだったことも踏まえて円香もそうだと予想した。だがW.I.N.G.をやって、それは俺が作り出した幻想だとわかった。

円香はとても儚げで、繊細で、誠実な人だった。予想と違ったが、期待を裏切ってくるからこそ人は面白いのだと、特に気にしなかった。むしろ、自分にとって新しさをもった円香をこれからも見守っていきたいと改めて思った。月日は流れ、カラカラカラ、ギンコ・ビローバ、ファン感謝祭を経て、誠実な円香をますます好きになっていった。そして、円香と出会って2年目の春に転機は訪れた。

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G.R.A.D.は円香のコミュの中で最高と言えるほど、自分にとってかけがえのないものになった。一番心打たれたのは「無機質な廊下」だ。円香を慕うアイドルの少女を、嘲笑する番組の出演者たち。当のアイドル本人も自分が売れるために嘲笑われることを望んでいた。一連の光景をみたとき、俺は「胸糞が悪い」と怒りを感じた。

頑張っているけど結果が出ない人間を、無能だと嘲笑うのは人としてどうなのかと思う。大勢の人間が寄ってたかって、なんの罪もない個人を嘲笑っていいはずがない。自分はそんな卑劣なことが大嫌いで許せないし、大勢で徒党を組んでいるのも最悪だ。円香が同じ番組に出ているのを一瞬忘れるぐらいには、この番組に出ていた「卑劣で最低な多数派の人間」に対して腹がたった。だが誇り高い俺の担当アイドルは、そんな愚行に加担しなかった。

円香が持っていた情熱

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この瞬間、今まで円香に接してきた中で一番胸が熱くなった。「これが見たかったんだよ、俺が円香に期待したのはこれだ」と強く胸を打たれた。俺が嫌悪した大衆に対して、違う意見を持っているとはっきり意思表示した円香に深く感動した。

怒りの感情で頭に血が上っている俺とは違い、円香は冷静かつ淡々と自分の言葉を紡いでいるようだった。直前に呆れたように大きなため息をついているし(あるいは湧き上がった怒りを放出するために)、周囲からは真顔で怒っているようにもみえたようなので、内心では呆れや怒りもあったかもしれない。

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内心はわからないが、正義感からくる周囲全体への怒りよりは、円香自身が考え感じた想いを誠実に伝えようとしていると感じた。強くない立場のアイドルに対して「あなたも嫌なら嫌と言えばいいのに」と諭したりせず、番組内の人間(と同じように笑っている視聴者)に対して「他の人にも笑ってほしくない」と自分の意見を冷静に提示しつつも、怒りの表情は見られなかったからだ。最期の3つ目の否定もそうだ。

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前述の2つの発言だけでも感無量だが、最後の3つ目の言葉がトドメだった。ノクチルが発表されたとき、一眼見た瞬間に円香に自分の時間を捧げると決めた理由が、1年越しになってようやくわかった気がした。「あぁ、やっぱり樋口円香を選んで正解だった。1年前の俺の選択は正しかった」と思った。

そうだよな、円香。肯定では現状維持しかできず、状況を好転させることはできない。物事を変えるには、肯定ではなく否定でなければならない。たとえ「背中を押す」ための肯定だとしても、それは誰かの「良くない状態への変化」に対する否定に他ならないからだ。この言葉こそ円香が最も伝えたかったことだろう。

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円香が誰に対しても誠実なのはとうの昔にわかっている。その点に関しては、G.R.A.D.もわかりきっていることの確認作業でしかなかった。では、なぜこれまでの中で最も感動したのか。それは情熱を強く感じたからだ。

今回は結果的に成功したが、円香がアイドルとして干される可能性もあったはずだ。ノクチルの活動にも悪影響を与えるし、客観的に見れば円香にとっては有効な行動だったとはいえない。円香にとって今回の行動はとてもリスキーだったに違いない。

理性的かつ客観的に円香の進退を考えれば、場の流れに同調していればよかった。あるいは沈黙を保つなど、少なくともあの場での大きな流れに抗ってさえいなければよかった。でも円香はそうはしなかった。場の空気を一瞬でしらけさせ、凍らせた円香に攻撃の矛先が向いてくる可能性があるにも関わらず。

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刹那的な衝動に駆られてからしばらくして、円香は理性によって秩序を取り戻した。頭を冷やして考えると、黙っていればよかったのだと。でも、それは無理なんだろうって思う。円香はきっと、大切なものを前にして傍観者ではいられない。透がアイドルになってすぐに、自分の身の危険を冒してまでシャニPに釘を刺しにくる人なのだから。

同じことが起こっても、黙っていられないのだろうと期待してしまう。それでいいと思うし、そうあってほしいとさえ願っている。義憤に駆られたからなのか、たった1人の人にどうしても伝えたいことがあったからなのか、理由は円香にしかわからない。だが、損得勘定や後先を考えずに、自分が感じた衝動に駆られて起こした行動を、情熱以外のなんて呼べばいいのだろうか

円香が教えてくれた激情というエモーション

アイドルの少女1人に伝えたい想いがあったのなら、番組内では周囲に迎合しつつも(あるいは沈黙で無関心を装う)、収録後にこっそり当人にだけ「あなたは間違ってない」と本音を伝えれば良かった。でもそれは筋が通らないと思うし、円香もそうはしなかった。あの場で、あの瞬間に伝えなければならなかった。たとえ円香自身のアイドルとしての価値を危険に晒してでも。これは間違いなく、情熱だ。

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己の内側から湧き上がってくるエモーションは、人間にとって必要不可欠なものであり、その熱こそが人間らしさだと思う。死んだ人間の体は冷たく、熱(体温)を帯びていない。人間たらしめるその熱源が、情熱でも、何かに対する強い怒りだとしても構わない。今回の円香も、理屈ではなく感情が先にきたのだろう。コンピュータでいうこのバグこそが、人間らしさの1つだと思う。機械には感情がないのでプログラムされた以外の動作はしないが、人間は違う。

理屈だけで生きているのならそれは機械と同じであり、逆に本能だけで生きていればそれは獣と同類だ。秩序だけが人間の全てではない一方、衝動に駆られるだけでなくその混沌を理性で制御できるのもまた人間だ。秩序と混沌(カオス)、両方合わせ持ってこその人間だと思う。相反する矛盾を抱えながら、人は命を燃やして生きていく。

ところで、担当アイドルなど自分が異常に肩入れするキャラには共通項があると思う。その1つに、激情があるのではないかと今年の円香に改めて教わった気がする。「何かを成し遂げたい、自分はこれをやりたい」という強い意志、エゴと言い換えてもいい。

人間にとって一番大事なのは意志だと俺は思っている。その意志を実現するために必要不可欠なのが、内側から湧き上がってくる熱い気持ちだ。だから、情熱を持っている人間にどうしようもなく惹かれる。円香に関して言えば、それは誠実さだ。

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このときの円香の表情も、相手を憐れんだり見下しているようには見えない。嘲笑されて人気を獲得したかもしれない「もしも」に対して何もしないどころか、自分の感情が先走って真逆の行動をしてしまい、本当に申し訳なさそうに詫びているカオだ。

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樋口円香の誠実さとは、他人を見下したり哀れんだりなど絶対にしないことだ。シャニPに対しては冷たく当たっているが、内心では他の人同様に誠実に思っているだろう。これは自分が持ち合わせていないものだ。俺は、円香みたいに誰に対しても誠実な人間ではない。だからこそ、発言するたびに言葉を逐一吟味するほど他者に誠実な態度を示す円香に心底尊敬の念を抱いている。共感したからではなく、自分にない情熱を持っていると感じたからこそ惹かれたのはこれまで書いてきた通りだ。

円香が言ったからではなく、円香が何を言ったか

円香のG.R.A.D.について語る上で、もう1つ避けては通れない議題がある。言葉の重さについてだ。「誰が言ったかではなく、何を言ったかが重要だ」という意見があるが、俺もそう信じている。客観的に考えれば、誰が言ったかと何を言ったかが無関係なのは自明だ。発言者の社会的地位で発言の内容に貴賎が生じるはずがない。だが、現実はそうはなっていない。大衆は、何を言ったかではなく誰が言ったかを重視する。

同じ発言でも無名の人の言葉になら見向きもしないが、自分の好きなアイドル声優や評論家などの著名人の発言にならすんなりと賛同するし、SNSで「フォロワーの多い人(オピニオンリーダー)の発言なら正しいはず」と盲信している人が、シャニマス界隈にも山のようにいる。俺は、それはおかしいと思う。言葉は単なる言葉であって、誰が言おうが内容に優劣はつかないからだ。また、大勢が賛同しているから正しいわけでも絶対にない

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G.R.A.D.でも、円香が自身の言葉は軽いと言っていた。大体のことは軽々でき、(この件に関して)傍観者である自分よりも必死になって努力する(笑われていた)当事者である彼女の言葉のほうが重いのだと。これについて俺は、はっきりと円香の主張を否定する。円香の言葉は軽くなんかない。

円香には円香にとっての困難や苦しみ、葛藤があるはずだ。円香は頭がよくて優しいからこそ、自分以外の他者に対して気配りができるし誠実になれる。これは誰にでもできることじゃない。他者に配慮できる知性や気質、それを考えられる精神的・時間的に余裕のある人にしかできないだろう。自分のことだけしか考えない自分勝手な人や、自分が生きることで精一杯な人には決してできない。

才覚があるからこそ生まれる息苦しさもあるはずだし、それは円香にしか感じられないものだ。アイドルの少女の苦しみが円香にはわからないのと同様、円香の苦しみだってアイドルの少女にはわからない。誰の人生でも、その人にとっての苦しみや葛藤がある。人によって、持っている能力によって、取り組んでいる課題に対する難易度は変わってくるだろうが、誰もが苦しんでもがいているはずだ。各々が、それぞれの人生・異なるステージで戦っているだけの話だ。

もしその人の言葉が軽く感じられるのだとしたら、その人自身の生き様が軽々しく感じられるからで、言葉自体の重さとは別の問題だ。普段からその人が、あまりにも意志や信念がなさすぎる言動をしているからだろう。戦うステージは各々違うと思いつつも、その中で通すべき筋や信念があって欲しいとも思う。やっぱり、円香の言葉は軽くない。一貫して、いつでも誰にでも誠実だからだ。

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誠実さは、結果が求められる現代社会では蔑ろにされ、軽んじられていると思う。「仕事を選ぶなんて余裕はないはずだ、なりふり構わず売れるようにアイドルをビジネスと割り切って消費しろ」とG.R.A.D.で出てきた営業もシャニPに言っていた。現実の界隈でも「誰が言ったか」を重視するし、結果さえ出ていればあまつさえ人格面まで高尚なものだと愚かな大衆は評価するので、人々が何より結果を求めるのは当然なのかもしれない。

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でも、結局人生はどこまでいっても自分のためのものだ。自分が納得できていなければ意味はない。他人からどれだけ評価されようが、自分自身を評価できなければなんの意味もないと思う。だから、番組後に新たな仕事を断ったシャニPの判断も俺は正しいと思う。そして円香の行動も正しい、仮に結果が伴わなかったとしてもだ。

結果を伴わなかったとしても、「円香の言動は正しい」と言えただろうか。円香が傷つくのはみたくない気持ちもあるので、行動とそれが生む結果に関してはシャニPの解釈同様判断が難しいが、少なくとも発言に関しては「正しい」と即答できる。それがたとえ、誰かの可能性の1つを摘んでしまうとしても。円香の意志を捻じ曲げてまで、円香が大切にするものを捨ててまで、利口なふりをすることに価値があるとは思えない。

担当アイドルは、アイドルである以前に1人の人間だ。だから俺はアイドルとしての成功よりも、人としてどう生きたか、どう成長したかに価値を置いている。アイドルとしての正しさよりも、人としての正しさに重きを置く。この信念から考えれば、G.R.A.D.で円香が下した一連の判断は全て正しかったと自信を持って言える。利口になんかまとまるな、俺の担当には自分の信念貫いて欲しいといつも思っている。

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G.R.A.D.で感動した言葉は、円香が言ったセリフだからなのだろうか。それは違う、順序が逆だ。円香が俺にとって大切な存在だから、彼女の言葉が重いわけではない。俺が正しいと信じていることを、大切な円香が口にしたから感動したのだ。誰が言ったかではなく、何を言ったかが全てだと俺は信じている。言葉に対して誠実であることは、誰が発言したかという言葉自身とは無関係の外側の装飾に左右されず、言葉そのものに純粋に向き合うことだと思う。誇り高い樋口円香のように。

アイドルの少女同様、円香の一歩も軽くない。とても重くて力強い。道は違うけれど、円香と彼女がお互いに歩みを止めなければ、きっとどこかで再会できると俺は信じている。アイドル同士ではなくても、アイドルとファンとして、あるいは肩書きを全て捨て去って1人の対等な人間同士として。願わくば彼女たちには再会してほしい。最期に、もう二度と会うことのない樋口円香について書いて締める。

さようなら、幻想だった俺の樋口円香

俺が見たかった幻想の樋口円香はもういない。願っていたものは現実になったのだから、幻想を追う必要はどこにもない。見たかった樋口円香には一年越しに出会えたのだから、これ以上望むものなど何もない。だから、巷で出回っている樋口円香を自称する瑣末で程度も確度も低いインスタント食品のような、悲惨な「樋口円香もどき」の二次創作を見る必要は一切ない。

オリジナルの円香からは程遠い、オタクの「こうあってほしい」という願望と欲望を寄せ集めただけのキメラ。円香とはとても呼べないあんな紛い物は俺にとってなんの価値もない。元々関心がなかったが、幻想の円香とともに、この機会に改めて綺麗さっぱり視界から外すと決めた。出会った覚えすらない円香もどきも、永遠にさようなら。これまでもこれから先も、紛い物を見ることは決してない。

いつの間にかなんでもできる才能豊かな少女だとわかった円香だが、これから先軽やかに舞えないことも出てくるだろう。本当の闘いはこれからだ。この道の先はまだ長い。いつか苦しくなって限界が近づくときも出てくるだろうが、そのときこそ本番だ。円香が進んだこの先に何が待っていようと、どんな結果になろうとそばにいる。大切な人を単なる結果だけで評価したりなんか俺は絶対にしない。見ているのはいつだって、「過程」と「過程が伴った結果」だ。

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さようなら、幻想だった俺の円香。もうあの幻想を視ることは二度とない。俺が観るのは、本物(リアル)の樋口円香だけだ。あなたと共に、この道の先に何があるのかを見届ける。このまま進めば、円香はこれから先もきっと大丈夫だ。誠実さという何ものにも代え難い、人として素晴らしいものを円香は持っているのだから。これから先も、この赤い激情とともに短く疾い青を駆け抜けていく。それがいつ終わるのか、どこに行き着くのかもわからないまま。

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本記事で使用されているゲーム内画像、動画はすべて©︎BANDAI NAMCO Entertainment Inc.


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