見出し画像

月刊コグマ#番外編 Birthday massage

Happy birthday.
誕生日おめでとう、僕。

18歳になった実感はあるか?お前はこれから選挙に行ける歳になったんだぞ。10月辺りに1回選挙があった気がする。10月はそんなイメージがある。

調べてみたところ、去年は第49回衆議院議員総選挙があったらしい。だからなのか。ちなみに、今年はそこまで大きな選挙は無いらしい。つまらないな。

ちなみに、今年初めての英語タイトル。あんまり月刊のタイトルに英語を持ってくることはしてなくて。特に理由はないんだけど。基本、英語はカタカナで書いてるからさ。

ちなみに前回、英語を持ってきたのは1年前の#特別編 。『Deep Breath, Deep Breath.』気持ちを整えるためには必要なことだと思う。読み返してみると結局、アイマスの曲を紹介してるだけだったのね。

何故『Birthday massage』なのか。それは、次の本編#10 を読んでくれ。きっと分かるだろう。

番外編ということで、いつもみたいにコラムごとにまとめることは多分無いと思う。今の気分はそう。でも、話は転々とすると思う。きっとね。(最終的にコラムごとにまとめてしまいました。理由はフリーを追っていけば分かるぞ。)

下ネタ

確か#8辺りから下ネタをちょっとずつ使うようになってきたと思う。自分は元々から変態だっていうのは分かってるつもりなんだけど、今までの月刊ではそういうところを押さえてた気がする。でも、ここは自分の表現欲や承認欲を満たすための場だと思ってるから、もっと自分を出していってもいいんじゃないかと思って。なんならもっと変態になったっていいんじゃないかと思って。

バカなこととかくだらないことを真剣に考える姿って、何か「くすっ」って笑っちゃって。自然と笑顔になるって言うのかな。別にそのことを馬鹿にしているわけじゃなくって。もちろんそうだ!って思いつつも、でもやっぱりくだらなくて。それが僕は好きなんだと思う。まぁそれ以前に、単純に下ネタが好きだっていうのもあるんだけど。18歳になっても聞こえたらにやけちゃうなんて馬鹿みたいでさ。

目の前にカップルとかさ、男女で仲良く歩いてる姿を見ると、不思議と笑顔になる。もちろん、羨ましいって思うけど、それと同じようにそんな光景が良いなぁって。暖かいんだよね。あれだ、あれ。ラブコメを見てるのと同じ感覚。そんな気がする。

多分これからも使っていくだろうし、もしかしたらそのネタで一つの話を書いてしまうかもしれない。そんなとき、ちょっとくすっと笑ってくれたら嬉しい。その笑顔が、下ネタがいずれ世界を救うかもしれない。

フリー①

そんなことを書いていたら目の前にカップルらしき男女が。こっちを見ないでくれ。僕が何かしたのか?……知らんぷりでもしておこう。


地球

前回の頭にも書いた気がするけど、涼しくなってきたと思う。というか、10月ってこんなに涼しかったっけ?って感じ。9月は終わりまでずっと台風三昧で雨と晴れの差が激しかった気がする。これを書いてるのはまだ10月の頭だから、晴れてるには晴れてるんだけど、これからどうなるかだね。また急に暖かくなったりするんだろうか。

地球温暖化がどうとかよく騒がれてるし、学校でも授業の話題としてそこそこ出てくるけど、正直あんまり実感がない。もちろん、夏の時期は酷い暑さで30℃以上まで行ったことは覚えてるけどさ。冬の気温ももっと変わるのかななんて思ってたんだけど、そんなことないんだよね。いや、待て。今年の12月は過ごしやすい冬になっているかもしれない。そうなってくるとまずいなって思う。

風が涼しいのが好きなんだけど、それは季節風の影響であって、地球温暖化にはあんまり関係ないって言われたらそれまで。
だから、風は寒いけど、日は暑いみたいな状況になったら地球温暖化はそろそろと近付いてるって感じなのかな。


表と裏と今の私

今、月刊コグマの本編も平行して書いてるんだけど、そこで表と裏の話をしようと思ってる。だからここでも少し話をしようと思う。本編と似たような話になったらごめんね。

まず、何ものでも表と裏は必ずあると思う。筆箱にも。鉛筆にも。ワニにも。足にも。何にでも。だから、裏がないなんて嘘だと思ってる。じゃあ自分はどうなのかっていうと、わからない。
矛盾してるんじゃないか。裏がないのは嘘なのに君はないなんて。

そこで、1つ。これについての僕の考えを紹介したい。その人は気付いてないんだ。自分のどこまでが表でどこからが裏なのか。いつも見せている自分と1人になったときの自分。自分の中でそのときの区別がついてないんだ。表裏一体なんて言葉もあるけど、正にそのとおりで。表と裏が一体化して別の何かになってるんだと思う。

あとは、表も裏も全部見せてるから裏がないって言ってるのか。多分、僕はこれだと思う。クラスの中で見せるような表面上の笑顔で、適当に賛同して相づちうってる。なんにも聞いてないけど。それでいて、あんまり主張はせずになるようになるをつらぬく。これが表。裏は部活とかで見せるような、何にでもまずは批判から入るようなひねくれ者。だけど、みんなと話すのが大好きで、主張はたくさんするし、自分勝手に行動をする。

どっちも見せてるから裏がないって思い込んでるんだと思う。ちなみにこれは自分の主観だから、周りから自分がどう見えてるかは知らない。今、書いた自分の特徴だって、多分こうかな~って感じで書いただけだし。こうやって考えると、それはそれで自分の性格をねじ曲げちゃってる感じもするし。表面上の笑顔ももちろんあるけど、違うときだってもちろんある。なんなら違うときのほうが多いくらいだ。だって、結局人間楽しかったら笑顔になるでしょ?ポーカーフェイスを貫くにも限界があるよ。表面上じゃない心からの笑顔だってある。

こうやって考えると、人間の心の機敏って面白いなぁって思う。けど、表と裏はぜったいあるから!よくピックアップされるような表と裏も結局は、その差が大きいか大きくないかじゃない?知らないけど。人の気持ちなんて読むのも無理だし、感じるのも出来ない。考えるのだって用意じゃないんだから。考えが当たるのなんてそんなの物語の中だけだよ。

フリー②

あ、今カップルが横を通りすぎた。と思ったらJKがアイス食いながら前を歩いてる。美味しそうだな。セブンティーンアイス。何味だろう、あれ。ヨーグルト味とかあるのかね。そんな色してたけど。


誕生日プレゼント

誕生日プレゼントとか今の同年代の人たちは貰ってるんだろうか。僕は一応、ペルソナ5がSwitchで出るから楽しみにしてるんだけど。

これね、これ。確か、過去の月刊に書いた気もするけど、私、ペルソナは3,4とps2でやっております。けれどもps4を持っていない!そこで諦めていたところ、今年の夏頃にSwitch版が出るという話が。とっても嬉しい。発売日は10/21とかだった気がする。まぁ、総合型落ちてたらお預けなんですけどね。こわいこわい。

フリー③

どうもみなさんこんにちは。こんばんは。上の文から12時間後の僕です。もう実は2000字過ぎてるんですよ。雑誌に載るエッセイ一本分はある。このままずっと書いていって、いつもの月刊と同じようなボリュームになったらそれはそれで面白い気がする。


どうでもいいから面白い

僕にだって社会を恨んでいた時期はある。ルールというか風潮というか。そんなものに対して、なんでこんなものに従わなきゃいけないんだと。いっつも人が人と固まって。何でって。人と人が固まって、先生を標的にして。もっと自分を見ろって。まだまだこっちに非はたくさんある。そんな固まってる奴らなんてどうでもいいやって。僕は僕なりに。何ものにも染まらず、僕として対岸に身を置こうかって。いろいろと考えてた。そんな考えが行き過ぎて、自分の気持ちに共感してくれそうな人に希望を抱いた。その人が理想と違う動きをしたなら、その人を言葉で責めて、勝手に絶望した。みんな嫌いだって。クソだって。正直に言えば、死ねばいいのに、とさえ思っていたときもあった。

そこから紆余曲折(紆余曲折の前後は初期の月刊コグマ#1とそこから数ヶ月後の#3。この間にいろいろなことが自分の中で起こった。)あって、どこかで自分の何かがぷっつりと切れた。何でそこまで過剰に周りに矢を向けてたんだろうって。自分が何か変えられると思っていたのだろうか。今はもう、そんな希望は持てない。そこから少し、関わり方を変えてみた。もっと相手の目を見ようと思った。

自分は慣れてくると、相手の目を見ないでも話し始めるような人間で。たぶん聞いてくれているだろうって。相手を信頼してるって言えるのかもしれないけど、それは、相手が◯◯してくれるだろうって信じ込んでいる証拠じゃないかと思う。それは良くないとは思いつつも、結局待ちの体制のまま。それが少し悔しい。

そのころからだろうか。好きを見つけるようにした。楽しいを探すようになった。笑顔になる理由なんて単純でいいことを学んだ。それでも流石に我慢の限界というか、自分の容量以上のものを吸収し続けると前までの自分が出てきてしまったことも多少はあった。やはり先生が責められることは許せなかったのだろう。自分達で出来ることもやらないのに、変に先生を叩くんじゃねぇって。部活の開始時間になったら始めるくらいのことはしようよって。

でも僕が覚えてるのもそれくらい。考えを改めてから自分のタンクが爆発したのは。その時に、本当に大嫌いだって思ったのは覚えている。
それでも、もがいてもがいて今の着地点へと落ち着いたところである、と。

どうでもいいことにも面白いって思えるようになってからは、毎日が少し楽しいものになった気がする。外を見て、空は雲一つ無くて、裏山は緑でグラウンドも緑。でも緑の種類は全く違う。それって面白いなぁとか。あとは人の良いところを感じることが出来るようになった。ふとしたときに、あの人のああいうところって良いよなぁって。カッコいい。素敵だよなって。思うようになった。たぶん、今まで表に出てきてた自分の黒い部分は消えてなくて、自分も知らない心の奥底にいるんじゃないかなって思ってる。でも、そんなことも考え付かないほどに毎日は目まぐるしく変わっていく。どうでもいいことと一緒に。やっぱりどうでもいいって面白いね。そんなどうでもいいくだらないことの中に、面白い発見がいくつもあるんだから。その中にいつか、愛だったり恋だったりを見出だすかもしれないしね。

フリー④

なんだか創作意欲みたいなのが湧いてきたぞ。次は何の話をしよう。自分の思ってることを全部さらけ出せたらいいのだけど。最近は見せない黒い部分も疑問も全て。僕の中で、今か今か、いつ出てこようかって声を潜めて待ってるんだから。


地獄

最近の学生はよく死にそうっていう言葉を使うけど、その言葉を吐くときにちょっと苦しくならないのかな?っていう疑問が僕の中にはある。
別に物語の中なら良いと思うけど。あれは別の世界の話だから。まぁそれは置いておいて、この現実世界の話。

どうしてそんなに多用するのだろう。考えてみるか。「死にそうなほど疲れたから死にそうなのか」。「精神的ダメージが辛いから死にそう」?よくわからない。もちろん、この言葉を使うシーンはピンとくるのだけど、今上げた2つの例って死にそうのベクトルが全く違うっていうか。自分は運の良いことに、今までいじめられてこなかったから(もしくは気付いてないかだけど)本当の「死にそう」を「死にたい」を知らない。

中学3年生のときに一回その気持ちを知りたくなって、どこに行ったら知れるだろうかって考えて、リストカットしてる人のサイトだったりツイートだったりを漁ってた黒い過去があることはナイショの話なんだけど、見ててなんか泣けてきちゃって。

中学のときの部活の中で、同級生に1人リストカット疑惑の人がいた。その人は毎日元気溌剌っていうか、明るくてみんなにも元気を振りまいてた。そんなイメージ。ウチのクラスの級長だったり、生徒会の会長もやってた。僕は実際に見たわけじゃない。でも、同じパートだったしよく話す仲だったから辛いなら辛いって僕に伝えてくれても良かったのにって。僕なら出来るだけ寄り添って話を聞いたのになって。結局、本当にその人がリストカットしてたのかは知らないし、聞く勇気もなかったから寄り添うこともなかった。けど、その体験から僕は絶対にリストカットもしないし、「死にそう」、「死にたい」って安易には使わないようにしようって決めた。

だって、本当の状況じゃないから。明日だって、面白い普通の生活があるって思ってるのに平気で死ぬなんて使いたくない。普通の生活がなくったって、そんなときは多分、死ぬのは一瞬。そもそもの話、いじめるとかいじめられるとかそんなことも考えたくはないんだけど。ここから将来、そんなことが僕の身に起こるかもしれない。

でもまぁその時はその時。今がプラスだから幸せな生活をおくってるからそんなことが言えるだけっていうのも分かってるつもり。つもりだけどね。めだ箱の球磨川くんが言ってたんだよ。「人生プラスマイナスゼロだっていうヤツは決まってプラスのやつなんだ」って。本当の地獄を僕はまだ知らない。ぬるい地獄で今はまだ待っているのかもしれない。だからこそ、今はまだ「死にたい」は使えないな。

フリー⑤

おはよう、僕。朝だぞ。今日は土曜日。部活も引退したし、家族は7:00くらいまで寝るだろうから、今家の中で起きてるのはお前だけだろ。今は朝の5:30。空は少し明るい。ここから少しずつ朝が暗くなっていくんだな。夢で可愛子かわいこちゃんと楽しい遊びをしていた気がするのだけど気のせいだろうか。まぁ夢なんてでっち上げることも出来るし。

書くことに熱中しすぎて忘れてたんだけど、そういえばこれは僕から僕宛ての誕生日プレゼントだった。どうしようか。次は何の話をしよう。僕が喜びそうなものか….


胸キュン

数ヶ月に1回のペースで他人の恋愛ストーリーみたいなのを聞きたくなる。ドラマみたいな作られたものじゃなくて、現実の惚気を。それは自分がそんな素敵な生活をおくっていないからなのかもしれないけど。あんまり自分の口から言ったことないしちょこっと恥ずかしいけど、やっぱりキュンって良いよなぁ。モノクロの生活に色を加える感じがして。

その「キュン」を得るためにYouTubeであら探ししてたんだけど、出てくるものってドラマの切り抜きみたいなのばっかり。それでつまんないなぁと思っていたら、2chの「妻に愛してると言ってみるスレ」のまとめを見つけた。初めはやっぱりウブなもんで、「そんなもの見るかよ!」と内心恥ずかしく思っていた。けど、いざ再生してみるともうキュンの塊。凄かった。他にもそのスレッド以外のものもオススメに出てきて、見ててとってもドキドキしたのはスナ子の話。まさか、あんなふうに話が転がっていくとは。あんな話が僕の身にも起こったらどうなるんだろうか。流石にスナ子は序盤怖すぎるけど。


好きということ

好きって何なんだろう。ふと思った。面白いことを探して過ごしてると、好きなものも、好きな人もたくさん増えていって。みんな、全部好きだ!ってなるんだけど、やっぱり恋愛における好きと今、僕が抱いているような好きは違うわけで。「愛してる」っていうのも、中学も高校も、僕の大好きな人は男女問わずみんな愛してるって言える。大好きって言える。見てて、聞いてて、話してて、その光景が関係がとっても愛おしいって感じる。大切にしたいって思う。

ちょうど先々月。最後の部活が終わった後、後輩とLINEで話してて。後輩の言っていた、
「好かれることに必死になるのではなく、自分からみんなを好きになるということ」
「自分は自分の手の届く人たちを大切にしたいし、自分が信頼できると思った人は何があっても大切にする」って言葉は今、僕が感じてるこの気持ちと似てるなぁって素直に思った。そうだよなぁって心に響くっていうのかな?共感?シンパシーを感じて、とっても感動した。

好きって自信を持って言えるからこそ、じゃあ改めて、恋愛的な好きって何なんだろうって疑問を持ってしまった。もちろん区別はつくんだけど。気になる人みたいな存在は確かに自分の中にいて、その人のことを考えるときもあって。だけど、付き合いたいとかそういうんじゃなくて。適当に普通に一緒に楽しく駄弁だべっていれたらそれでいいって。それが一番難しい気もするんだけど。でもそんなのは別の人も一緒で。友達とは、僕が友達と思ってる人とはみんなそういう関係でいたい。まだまだケツの青いガキなんだから、そんなこと分からなくても良い気もするし、ここから僕は成人なんだからしっかりとそういうことは分かっておいたほうがいいのではと思うこともある。いつまでも小学生みたいなこと言ってんなよって。結局、自分の本心から目を背けてるだけな気もする。

もし僕がこの先、人と付き合うことが出来たなら。この想像を、妄想をすることが少し怖い。何故かはあまりよくわからない。心の中で、自分には出来ないって決めつけてるからなのか。自分がお相手の方をリード出来る気がしないからなのか。付き合うのなら「男が引っ張るべき」という前提が僕の中で張り付いて剥がれない。「好きな人」なのだから頑張れば言えるだろうって。そこでまた自信が無くなる。本当に好きなのか、わからなくなる。こういうとき、自分の中途半端な心に嫌気が差す。

…なんか、書いててより分からなくなっちゃった。いつもはこうやって書いて、言葉を吐き出して、自分の中で噛み砕いて、因数分解して見つけるんだけどね。人間の色恋沙汰っていうものは奥深いんだなと。屁理屈をこねている自分の不甲斐なさにも落胆しましたが。この月刊のどこかに書いた気がするけど、人間の心なんて読めやしないんだから、人の気持ちを考えることなんて難しいに決まってるんだよ。って思う。それが出来たら、どれほど良いだろう。けれど、その難しいことをやろうとするから相手のことを知って好きになっていくのかな、と書いていて思った。
というか、高校生になれば恋人の1人や2人はちょちょいのちょいだって話はどこに行ったんだ。少し期待していたのだが。


中学生のイケメン

それで思い出した。
8月の頭に高校の見学会みたいなのがあって自分の科の説明役をやってたんだけど、最後のコマのときにそれは起こった。

全部で8~10人くらいで説明役を回してたんだけど、最後は僕の番でそれまでに3回くらいやっていたから、もう手慣れたもんだと、すらすらと心地のよいテンポで説明をした。

いざ、質問タイムだというときに、あの中学生のイケメンが僕にこう言ったんだよ。「先輩は彼女とかいますか?」って。マジだぜ、マジ。その前のフリとして、何の質問でもいいので~とか言っていたこちら側も悪いとは思うが流石にむごすぎるだろ。

少し声を震わせながら、「僕はもちろんいないけど、君はカッコいいから必ず出来ると思うよ!」とか言った僕の気持ちを察せよ!(人の心は読めないとかいっておきながら)その後、ウチのクラスの人と話してて、「多分あの子もう(彼女)いるよ」とか「もう既にいるに決まってんだろ。ダサいあんたとは違うんだよボケ」って思われてるんじゃない?という話で再度僕は傷ついたのだが、それは置いておいて。

フリー⑥

いやぁ、電車の中で揺られるっていいですね。乗る人、降りる人。全く違う。たまに可愛い子が僕の隣に来たりして。いやぁ嬉しいものですね。そのまま素敵なラブストーリーに繋がっていったり、なんて。そんなことを考えながら、行きと帰りの何もやることが無い時間に少しずつ書いていって。気付いたらもう7000字過ぎてるんですよ。あと1週間とちょっとあるんですけどね。というか、絶対コラムというか、話一つ一つに題名振ったほうが読みやすいと思うんだけど。今一度読み直してみようとしても、めんどくさいし。どうせだし、今からタイトル振るか。「死にそう」に関する話とかタイトル難しすぎないか?死にそうじゃストレートすぎるよな…。なんか、こう死にそうってニュアンスの絶望感無いかな。というか、タイトルを考えるのが一番難しいかも。月刊の流れから考えてみてもさ。


月刊コグマの作り方

流れ的にもちょうど良いし、いつもの月刊コグマの作り方でも少し話しましょうか。いつもは今回のような話の流れでコロコロと変えていくようなやり方じゃないんです。といっても始めの方は今回のようなやり方なんですけど。

去年の12月辺りの月刊からは、書きたいなと思ったコラムを先にまとめてから一つ一つ内容を書いていくやり方なんですね。先に題名を決めちゃうの。だから、始めはとっても書きたいと思っていた話も気付いたらネタが浮かばなくて断念する、なんていうのもざらにあって。例えば、先月の月刊でいうと、東京にお邪魔する多感な時期という話を書きたいと始めは思ってたんです。でも、思った以上に話が広げられなくてやめちゃいました。そもそも、今までに書いた話の焼き直しになりそうだし。上の2つは。

というか、いわゆる各話の見出しをコラムって言ってるんだけどそれでいいのかしら。この話でいうと、月刊コグマの作り方の部分ね。題名、見出し、コラム。Wikipediaによると、「個人的な分析・意見が含まれている記事で、評論やエッセイの他、人生相談コーナーや「オススメ○○」などといったものも含まれる。」らしい。じゃあ、題名って言った方が良いのかもね。これでいくと、コラムは月刊コグマの作り方全体を指してるからね。と、このように内容をいろいろと書いていきます。その題名のことに関する、出来事であったり、考えであったり。まるで連想ゲームのよう。

そしたら、次にサムネイル作成をします。これも実際にサムネイルと言うのかは知りませんが。例えば、これは先々月の月刊コグマのサムネイル。

月刊コグマ#8 アイス評論会

この話があるんだなと一目見てわかりますよね。この話をピックアップしたいな~と思ったものを選んで作ったり、その月の主タイトル(この月で言う、アイス評論会)に寄せたりします。ちなみに、先月の月刊はサムネイルのアイデアが先に出てきて、そこからバナナの生き方を書いていきました。こうやって書いている今も、番外編はどんなサムネイルにしようかと迷っているところです。

そしたら最後にハッシュタグ(#)を設定します。話に関連しているワードを考えたり探したりして付けます。その月の月刊のハッシュタグが知りたくなったら、下まで読んでください。そしたら見れますから。

というような感じで毎月、書いている。そして、みなさんの元に届いている。毎月、書き始める頃は何の話を書こうか迷ってしまうことも多い。5つの話では少ないのではないか。話を詰め込みすぎて、主から大きく脱線してしまった。などの悩みも多い。しかし、「満足のいく」とまでは行かないが、毎月、「良い気がする」ものを書けている。それで良いと思う。

まぁ、この番外編については、読みやすさも、面白さも、読者も、何にも気にせず、ただこうやらせろ!と思っていることを書いているだけだ。そうなると、恨みと嫉妬と願望で構成されている気がする。しかし、それで面白いと思ってもらえたなら僕は嬉しい。

フリー⑦

正直、もっと書いてもいいのだが、いかんせん私のスマホも重くなってきてしまった。目指せ10000文字だったのだが。

本当に電車というのは素敵な乗り物ですね。立っていても座っていても、楽しい。変わっていく風景も楽しいですが、やはり女性が隣にくるときのドキドキ感といったらもう。あれほど素敵なものはない。いやぁ、私は完璧なDTですからね。そして、King of nerdですからね。恐れるものは何もない。あ、やべ。背中が当たってしまった。ごめんなさい。…また当たった。肩!肩!肩!電車が揺れるのもいい加減にしろ!人が満員ぎゅうぎゅう詰めなんだから。本当に不自由な乗り物だ。

フリー⑧

それでは、そろそろ今月の月刊本編にバトンをたくそう。
結局、目的を見失ってしまったから、路線を戻すとしよう。

当日の僕へ。これは自分の哲学的な部分、詩的な部分をたくさん詰め込んだ、今までの僕からのバースデーメッセージだ。
君が、これからの僕が喜んでくれるかはわからないがこのプレゼントを受け取ってくれ。
洗面台の鏡の前で顔を洗うときに、トイレの鏡の前で手を洗うときにまた会おう。

僕はお前に会えるのが楽しみだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?