見出し画像

令和喜多みな実・野村尚平 写真小説『狸の徳利』

名称未設定のデザイン (1)

名称未設定のデザイン (2)

名称未設定のデザイン (3)

名称未設定のデザイン (4)

名称未設定のデザイン (5)

名称未設定のデザイン (6)

名称未設定のデザイン (7)

名称未設定のデザイン (8)

名称未設定のデザイン (9)

名称未設定のデザイン (10)

名称未設定のデザイン

 相変わらず古いお喋りですが...…我々、芸事に身を置く者は何かと縁起を担ぐ事が多ございます。噺家の仲間に履物一つ足を入れるのにも順番があるてな人がおりまして、右から履いた日にえらいウケが良かった。それから高座に上がる日の朝は決まって右から履く。
 ある時、間違うて左から履いてしもてこれがどうにも気持ちが悪い。弟子をそこに呼んで
「今日は休む」
「そないなことで休めますかいな」
 何を言われても頑として家を出ない。押し問答があまりに続いて「靴なんかいらんわい!」と裸足で外へ出ましたら奥さんが
「アンタ、足洗い」
 そのまま辞めてしもたてな人がいたそうで。
 噺に出て参ります商人がそうですな。うどん屋に「当たり屋」てな名前をつけたり、また動物がぎょうさん出てくるちゅうのもあれは縁起物で。犬や猫、狐や狸ちゅうのは身近な生き物で神さんの遣いやったり、中には化けて人に悪さするてな者もおりますが、どこかみな愛嬌がある。
 商売人の店の前に信楽焼の狸の置物が立つようになったのは江戸の終わり頃からやそうで。
「定吉、これ定吉」
「旦さん、何でございましょう」
「遣いを頼まれてくれるか」
「はぁ、遣いですか」
「何じゃ、不服か。駄賃の一つも渡すさかい」
「そらおおきに」
「現金な奴や。いつも贔屓にしてくださる船場の呉服屋のご寮さんにな...…」
「船場でございますか」
「何じゃ」
「今からですと、戻ってくる頃には日が落ちてしまいます」
「日が落ちると何ぞ具合が悪いか」
「いえ、店の前にあります狸が気味が悪ぅございまして」
「ありゃただの置物じゃ」
「一つやったらええんですが、うちの狸は二つ並んでおりますのんであれがどうにも...…」
「ここで商売を始める時に一つ立派な狸を買うた。信楽焼の狸は八相縁起、八つの縁起を持っておる。しばらくして贔屓にしている店から少し小ぶりな狸を貰うた。蔵に仕舞うのも可愛そうじゃて、二つ並べておる。ありゃ、つがいじゃ。」
「その嫁いできた狸が、へそを曲げておるようで...…」
「そら何を言う」
 丁稚があまりに狸の置物を怖がりますのんで店の外に顔を出しますと、二つ綺麗に正面を向いて並んでる。遠出が億劫で物を言うたんやろうと大声で叱ると逃げるように丁稚が遣いに出まして。
「何ですか、大きな声でみっともない」
「いや、定吉に遣いを」
「店先で止めとくれやす」
「すまなんだな」
「またそうやって謝って済むと思てなはる」
「何じゃその物言いは、気に入らん」
「気に入らんで結構です」
「おい、待て...…行てしもた。何じゃ、謝って済むと思てなはる、気に入らんで結構...…誰のお陰で飯食うて..….!」
「何ですか」
「お陰で...…あなたのお陰さんでその...…ははは」
「えらい遅なってしもた...…蟒蛇(うわばみ)でも出そうな道やけど、それよりもあのド狸や。旦さん、話もよう聞いてくれんさかい、もォ毎晩毎晩...…灯りや。よし、着いた着いた...…あかん!」
 定吉が入り口に目をやりますと、先ほどまで正面を向いておりました狸の置物がお互い顔を付き合わしております。
「何ですの、アンタ。」
「何おいな」
「鼻の下伸ばして、いやらしい」
「そら何を言うねん」
「隣で見てましたんや。昼時に顔を出した雌の狸にポッと見惚れて情けない」
「見てない」
「見てました」
「見てない」
「見てました」
「仕方ないやないか。人の目が届く間は眉の一つも動かせん。あらワシの目の前に来た狸が悪い!」
「何ですか、大きな声でみっともない」
「何がみっともない」
「店先で止めとくれやす」
「そらすまなんだな」
「またそうやって謝って済むと思てなはる」
「何じゃその物言いは、気に入らん」
「気に入らんで結構です」
「おい、待て...…行てしもた。何じゃ、謝って済むと思てなはる、気に入らんで結構...誰のお陰で飯食うて...…!」
「何ですか」
「お陰で...…あなたのお陰さんでその...…ははは」
「どこぞで見たな...…うちの旦さんと一緒や。情けないなァ...…ただいま戻りました」
「定吉! こっちゃ!」
「どないしました」
「どないもこないもあるか!表で狸が...…話してる!」
「旦さんもご覧に」
「笑うてる場合か!」
「ごめんください」
 声のする方を向きますと、信楽焼の狸が被っていた笠を外してこちらに頭を下げている。
「狸や!」
「へぇ、仰る通りの狸でやす」
「何しに来たんじゃ!」
「来たも何も、この店の前でもう何十年と世話になっております。旦さんに一つお話が」
「何じゃ」
「改めまして、我々は信楽焼の狸です。こないに立派な店の前に夫婦揃て置いてもろうて、おおきにさんでございます。雨が降ろうが雪が降ろうが、こちらにおいでになる皆様を迎え入れるのが我々の勤め。そんな我々を旦さんは毎朝、丁寧に磨いてくださる。こんな幸せでええんやろかと...…」
「その礼が言いたかったんか」
「いえ、それが...…近頃、耳を澄ませておりますと奥様との喧嘩が絶えんとお見受けします」
「狸に心配されてたまるか」
「いやいや、どこの家も同じやなと...…うちも女房がヘソを曲げてしまいまして」
「本当じゃ...…正面を向いておったのが、斜を向いて目瞑っておる」
「いつもこの調子で、日が登るまで口もきいてくれません。旦さんやったら、この気持ちを分かってもらえるんやないかと...…」
「ほうか...…焼物の狸でも泣くことがあるんやな...…まぁ、こっち上がり。気遣わんでええ。おい、定吉。奥へ行ってな、酒を持ってこい。お前は呑める口か...…大きな徳利、持ってるさかいそら呑めるか。こっちゃこっち」
 座敷へ狸を招いて酒を振るまうと、旦さんとえらい息が合いまして。酒の席ともなりますと肴の一つも欲しなるもんですが、この日は悪口が肴でございます。狸が持つ大きな徳利から、なみなみと酒が注がれていきます。
「すると何かい、あんたとこの嫁さんは悋気、妬きもちかいな」
「そないええもんやないです」
「若い時分はワシらもあったなァ...…歳いくとそうもならん。素直に謝ってみ」
「謝ったら謝ったでまた怒りますねや」
「分かるで! 何で謝った者を足蹴にするような真似をするんじゃ...…分かる、分かるで!」
「何ですか、また大きな声出して。どないしたんですか。表から座敷に狸入れて抱きついて。この人は本当に情けない」
「何が情けないことがあるんや」
「情けないやないですか。鼻の下伸ばして、いやらしい」
「そら何を言うねん」
「隣で見てましたんや。昼時に顔を出した娘さんにポッと見惚れて情けない」
「見てない」
「見てました」
「見てない」
「見てました」
「仕方ないやないか。ワシはこの店の主や。他の客の目が届く間は眉の一つも動かせん。あらワシの目の前に来た娘が悪い!」
「どこも一緒やで、おい」
 口喧嘩が続きまして「もうこんな人、知らん!」と奥さんが言うた思たらパタッとその場で寝てしまう。つられるように旦さんも横になりまして、それを見た狸「罪がないなァ」てな生意気を言うて懐から小銭を出します。何のまじない狸か、偶に金を置いていく客が居るそうで酒代やと言って店を後にする。
「また随分と楽しそうで」
「何や、起きとったんか」
「どこも同じですね」
「話まで聞いてたんか、人の悪い...…いや、狸の悪い」
「他所の夫婦喧嘩を耳にしますと、あないに情けない物言いしてたんかと思うて...…生意気な口をきいて、すいませんでした」
「いや、分かってくれたらええんや。にしても人間というのは、たかだか若い女子に目をやっただけでいがみ合うやなんて...…浅ましい生き物やなぁ」
「ホンマ、ああはなりとない...…」
「はぁ...…寝てしもうた」
「おはようございます」
「おう、定吉。見てみ、悪態ついてよう寝とるわ。どこも同じやな...…ところでどうや、あの狸の夫婦。表でまだ斜向いて仲違いしてるか」
「いえ、どういうわけか...…肩を寄せております」

■令和喜多みな実プロフィール
野村尚平(右)、河野良祐(左)のコンビ。
2008年結成。野村の特技はギター/ベース。河野の特技はボイスパーカッション。
2019年 MBS「オールザッツ漫才2019」優勝

令和喜多みな実INFO

====
著者/ 令和喜多みな実・野村尚平
画像提供/一般の方から

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?