「はいから」「線路」(2023/12/10)

 寝過ごした。
 慣れない関東の地で全く聞き馴染みのない駅まで来てしまった。
 ひとまず電車を降り、扉の閉まる音を背に聞きながら辺りを見渡す。
 ホームの屋根も柱も立ち入り防止のフェンスももれなく錆び付いていて、この駅の淋しさがよくわかる。
 駅名標もかなり薄汚れていて見にくいが、なんとか読み取れる具合だ。
 「はいから町」と書かれてある。

 とにかく帰らねばならない。
 駅構内を練り歩き時刻表を探す。
 しかし、探しても探してもそれらしきものは見当たらない。
 駅員に聞こうにも、困ったことに無人駅らしかった。
 周囲に人影もなく、仕方なしに町へ繰り出すとする。

 駅を出ても淋しさは相変わらずであった。
 出てすぐに現れた商店街はシャッターが並ぶばかりだ。
 なんの頼りもなく商店街を歩いてみる。
 電車を降りてからというもの、怖いくらいに人の気配がない。
 腹も減っているし、少し肌寒い。
 コンビニでもあればいいのだが、と考えていたところ、ひとつのうどん屋に目が行く。
 他に立ち並ぶシャッターと同様に外観はボロいが、確かに暖簾が出ている。
 店先もさほど埃もなく、どうやら生きているらしい。
 助かった、腹を満たしがてら駅のことでも聞こう。
 私は建て付けの悪い戸を力に任せて引いた。

 店の中も相変わらずの廃れ具合であった。
 これで経営が成り立っているとは到底思えない。
 並べられた椅子はどれも座布団から綿が見えているし、電灯もついているのか怪しいほど薄暗い。
 店主らしき人物がこちらを一瞥し、ぶっきらぼうに「いらっしゃい」とだけ呟いた。
 とりあえず入り口から一番近いカウンター席に座ることにする。

 客は私を含めて二人。
 室内だというのにロングコートにハットという格好の男が、最奥のカウンター席に座っている。
 コートの男はぼそりと「マンボウそば」と店主に告げた。
 聞き違いだろうか、はたまた自分の知らない名物料理なのだろうか、少し気になるもののわざわざ知らない人に声をかけてまで追求するには至らない。
 ただ店主が「あいよ」とだけ返したところを見るに、何も変なところはないらしい。
 コートの男に続いて、私も注文をする。
 駅に着いた時からずっと頭に残っていた言葉を、そのまま口に出す。
 自分の故郷でよく慣れ親しんだ、あのうどんが妙に恋しくなって。
「はいから、ひとつ」
 その瞬間、コートの男がこちらにふっと顔を向けた。
 なにか変だっただろうか。
 もしや、"はいから"が変であったか。関西では定番でも、ここ関東には馴染みがないと聞いたことがある。
 そんなことを考えて何秒か経っても、コートの男はそのまま、じっとこちらを見つめている。
 知らない人にこれほど見られると、なんだか体が汗ばんでくる。脇からは一筋の汗が流れて服の中で体をつたっている。
 居心地の悪さを感じていると、コートの男はおもむろに口を開いた。
「兄ちゃん、はいからが何か知っているのか」
 やはり、"はいから"か。
 天かすののったうどんをこちらでは「はいからうどん」とは呼ばない。
 しかしそういう聞き方をするということはコートの男も"はいから"を知っている、関西出身なのだろうか。
 ともかく私は答える。
「ええ、もちろん」
 私の答えを聞くや否や、コートの男は素早く立ち上がり店主に告げた。
「親父、マンボウは後でいいや」
 コートの男はこちらの目をじっと見つめて、言った。
「覚悟を決めているようだな。もう、もとの線路(レール)には戻れないと思え」
 私はその言葉の意図がちっとも理解できず、呆然とするしかなかった。
 すると、店主がこちらに近づいて来る。
 店主もまたカウンター越しにこちらの目をじっと見て口を開く。
「はいよ、これ"はいから"ね。」
 そう言って店主は私の目の前に、真っ黒な拳銃をゴトリと置いた。

お題提供:ピカソケダリ メロス(はいから)/ポポポ(線路)

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