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期待しない

人と「共存する」と、考えるようになって。

自分が人に対して、どれだけ期待してしまっているのかが見えてきた。

これは、母親が決して与えてくれることのなかった“承認”を、人に対して求めてしまっているという側面もあるけれど。

“行動すること”に臆病になり、思考の中で常に結果を予測するクセがついてしまっていたことも、大きく影響しているような気がする。

予測がネガティブな方向に振れると、知らずしらずそれを打ち消すような意識が働き、承認や受容を期待してしまう。

マイナスに振り切ると、一気にプラス方向への、強烈な揺り戻しが起こるようなものだ。

これによって私は、いつでも無意識に、人に期待しては…。

期待した状況にならないと、その都度、落ち込んでいた。

落ち込むたびに、そもそも低い自己評価をさらに押し下げ、自分に対してダメ出しをくり返してきた。

そのことがさらに、“行動すること”のハードルを上げ、さらなるネガティブな予測を生んでは…。

と、まさに負のループを行ったり来たりしていたわけだ。

なーんだ。

ということは、期待しなきゃ、落ち込むこともないんじゃん

「こうあってほしい」という思いがなければ、起きたことを、起きたままに受け取れるようになる。

たとえいい結果が出なかったとしても、よけいな恐怖心や絶望感にさいなまれることもなく、ただ「残念」ですむ。

そうか。

それが分ったからには私、今後一切、人には期待しないことにする。

冷たく思われたとしても、あくまで人とは、同じ場面を共有しているだけと考えることを徹底する。

同じバーのカウンターに面し、同じ空気を吸ってはいても、目にしているのはそれぞれの世界。

共通する部分は話題にしても、違うとらえ方をしている部分には立ち入らない。

ましてや決して、対立のエネルギーは出さない。

出されたとしても、取り合わない、スルーする。

あるいは、とっととその場から立ち去る。

「逃げたと思われないだろうか?」なんて、考えない。

勝ち・負けにしたって、この三次元では揺り戻しが起こり、簡単にひっくり返ってしまう。

そんなくだらないことには、もう二度と、執着しない。

それよりも、穏やかな気持で日常を過ごせていることが、何より重要だと認識する。

だって、穏やかな日常の中にいれば、やりたいことができるから。

そして、やりたいことができる自分でいることが、私がこころの奥底から、望んでやまないことだから。

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