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そうなんです、私、変わってるんです。

今日はまた少し肌寒いですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

結局、昨日の会合では「強く非難」だけで済んだようで、何ごともなくホッとしました。

一人で騒いでしまって、お恥ずかしい限りです。

ただ、私はTVをはじめとするメディアの中には「意図」しかないと思っているので。

まだまだ、何があってもおかしくない状況にあるとは考えています。

ところで、改めて思ったのですが私、かなり「フツーの人」とは違うこと考えてるんだなぁ、と。

というかたぶん、目に映る世界も「フツーの人たち」とはまったく違うんだと思います。

ひとつ大きいのは、属している組織がないぶん、外から影響を受けることが少ないということがあると思います。

だから、見えてくるものも自然と、自分が興味のないものは排除されていきがちなんですよね。

それどころか、下手をするとどんどん、ピンポイントに凝縮していっちゃう傾向があるんだと思います。

まぁこれ、もしかしたらADHDの特性なのかもしれません。

でも、よくよく考えてみると私、「フツーの人」よりずっと自由なんですよねぇ。

しなきゃいけないことが圧倒的に少ないから、いつだって自分のやりたいことが選択できる。

…はず、なんだけど。

まだまだ、自分自身でかなり選択肢を閉じてしまってるところがあります。

その原因は、前にも書いた、生まれたばかりのころのトラウマだったりします。

それがあるからどうしても、対人関係のブロックから自由になれないんですよねぇ。

「受け入れられないこと」を、行動を起こす前から必要以上に恐れちゃうんです。

そうすることによって、自分で自分の自由を奪ってる…。

あらゆる他者に母親一人を当てはめて、生きるか死ぬかのトラウマを背負っちゃうわけです(生まれたばかりの赤ちゃんは母親が世話してくれないと生きて行けないですから)。

それを思い出すことができてから、意識的に「たくさんの人に話し掛ける」つもりで書くようにしてたんですけど。

緊張すると、それどころじゃなくなっちゃう。

でもカウンセラーに言われたとおり、それもこれも、経験してみるしかないんだと思います。

よかれ悪しかれ昨日の私は、思っていることを文章にして、ここにアップできた。

それだけで、100点満点なんだと思います。

さらに言うと、自分が「変わった人」であることを、認めることが大事ですよねぇ。

「変わった人って見られちゃいけない」って、これまで通りの思考回路にいちゃ、新しい自分にはなれない。

そうなんです、私、変わってるんです。

縛られるものがないから、ワクチンを射つなんてこと、考えたこともないし。

外であろうと室内であろうと、可能な限り、マスクもしない。

それだけでもかなり変わってるんだろうと想像は付きます、周囲を見回してみれば…。

でもそれ、変えるつもりはまったくないから、だとしたら堂々と受け入れていくしかないですよね。

恐くても何でも、胸張って言う以外にない「私、変わってるんです」って。

恐らく、赤ん坊のときのままの恐怖感とともに。

そんなわけで、今後も逃げずに続けていきたいと思います。

ホームページをつくったので、ぜひ見てみてください。

naotadano.com



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