見出し画像

書けなくなった理由

またしばらく空いてしまいましたが、みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
私は、実は、かなぁりヘコんでます。
いや、ヘコんでるというより、自分の弱さに直面して呆然としてると言ったほうが適当かなぁ。
やっぱりねぇ、子ども時代に周りの大人に甘えられる経験って、何より大事なんですわ。
私には残念ながら、それがないので。
これまでずっと、人と関わることができずに来ました。
人と関わることによって、受けざるを得ないさまざまな苦痛から、逃げ続けて来たわけです。
正直、いまも逃げたい気持ち、満々です。
でもねぇ…。
ずっとそれやってきて、私いま、自分のやりたいことが思う存分できなくなってるんですよ。
その筆頭がこの、noteを書くことですよねぇ。
やっぱり、知らずしらず「私の考えてることなんて誰にも分ってもらえないに違いない」とか思っちゃって。
頭に思い描いた「人から理解されない」っていう苦痛から、自分を守ろうとしちゃうんですよねぇ。
だから、キーボード打つ指が止まっちゃう。
ただねぇ本音を言えば私、これまでもずっとそうだったわけだし「人と積極的に関われるようになりたい」とは思えないんです。
だけどどうしても、やりたいことが好きなようにできる自分にはなりたい。
それだけはねぇ、あきらめられないんです、私やっぱり。
なので「人から無視され、さげすまれる」っていう、得がたい経験をするつもりで…。
そうした覚悟で、今日からnoteを最低でも100日間は休まず書こうと、決めました。
そのようなわけなので「どうしたら人に読まれるか?」なんてことはいっさい考えず、自分の書きたいことだけ書いていきます。
だから別に読んでいただかなくてもかまわないし、たまたま読んじゃって文句が言いたい場合には、いつでもコメント欄は開けておくので。
どうぞ、気が済むまで罵詈雑言、吐いてってください。
お返事まで、できる自信はありませんが…。
必ず隅から隅まで読んで、受け止めるようにします、それが目的なので。
では前置きが長くなってしまいましたが、第一日目、スタートします。

まぁ、自分の気持ちに正直に、書きたいことを書くとするならば。
言い訳になってしまうかもしれませんが、私がどうしてここに書くことができなくなってしまったか、その理由ですよねぇ。
今日は、それを書いていきます。
コロナが始まって、どれくらい経ってからかなぁ、2年くらいでしょうか。
私はもう、そのころにはすっかりこの世界のしくみが理解できてたから、コロナなんて政府とメディアがあおっているだけの茶番だとしか思えなくなってて。
ところが珍しいことに当時、たった一人だけですけどいた友だちが、ムッチャ恐がってたんですよコロナを。
で、話をしてるうちにだんだん分ってきたんです「あぁ私たち、まったく違った世界を見てるんだぁ」って。
いや、そのことには薄々、気付いてはいたんですよ、それまでも。
本で読んだこともあったし。
ただ実際に、体感したのはそのときがはじめてで…。
で、体感してみて感じたんです「あぁ、“たが”が外れたんだな」って。
この感覚を説明するためには、少し説明が必要になるんですけど。
私が感じてるこの世界の構造って、実際に体験している私を中心とした「私だけの現実」の周りを、ニュースをはじめとする情報で構成された「他者と共有している世界」が取り巻いているイメージで。
これまでは、その「他者と共有している世界」が、構成員である個々人の現実を、ある一定の範囲に押し込める“たが”の役割を負っていたわけです。
ところが、情報を取り仕切って個々人を意図した「世界」というイメージの中に閉じ込めようとしていた存在たちの力が弱まったことで、その“たが”が外れた恰好になって。
個々人が、自分たちの好きに、現実をつくり出す余地が生まれてきてる。
私は、たった一人の友だちと話していて、ほぼ潜在意識下でですけど確かにそう感じたんです。
“たが”は外れた、言い換えれば閉じ込められていた牢獄の鍵は開いてる。
ただ開けて、外に出ればいいだけの状態になってる。
だけど、多くの人はドアを開けようともしない。
なぜなら、多くの人が属している「社会」なる概念は、牢獄の中でしか成立しないから。
だから、せっかく自由になれるのに、自ら牢獄の中に留まってる。
そうした様子を見て、私には「どうして?」としか思えないんですよ。
理屈は頭では理解できるけど、納得できない、どうしても。

その友だちはねぇ、言ってました。
「みんなそれぞれ、違った考えを持ってていいんだよ」
もちろんそう、その通りです。
でも私には、まったく違った現実を見てる人と、ともに過ごすことはできなかった…。
というか、それが自然の摂理だと思います。
“たが”が外れて、現実の閉じ込められていた牢獄の鍵も開いて。
外に出た私と、これまで通りの現実を見ている多くの人とは、共有できるものがなくなってきてる。
だから、私が多くの人を理解できないのと同じように、多くの人も私を理解できるはずがない__。
その思いがねぇ、一日一日、一瞬一瞬、強まってきてて。
それが、私がここに書くことができなくなった理由です。
まぁ、理解できない人が大多数でしょうが。
よければ反論や罵倒など、何でもいいので思ったことを、コメントに書いて行っていただければありがたいです。
では、また明日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?