極と極のはざま
三次元は、二つの極のはざまに存在している。
陰と陽、プラスとマイナス、光と闇、激しさと穏やかさ。
こういった概念はどれも、片方だけでは存在できない。
分りやすいのは“表と裏”で、この関係性を考えれば、どちらか一方だけでは存在できないことが誰にでも理解できると思う。
なのにも関わらず…。
私はこれまで長らくのあいだ「ゼロか、100か」「完璧にできないのなら、やらないほうがマシ」という前提を、親から引き継いできた。
でも、ちょっと待ってよ。
その考えかただと私、三次元に存在することすらできないんじゃん。
つまり、私たちは常に、二つの極のあいだのどこかに位置してるわけ。
たとえば、私たちが穏やかに過ごせているとき、激しさは表に出てこないけど。
ないわけじゃなくて、あるの、少ないけど。
消えてなくなってしまうわけじゃない。
その証拠に穏やかなくつろぎタイムを過ごしてるときでも、愛犬がカーペットでおしっこしたことに気付いたら、「コラーッ!」ってなれるわけよね。
で、うなだれて上目遣いに反省の意を示されれば、「しょうがないなぁ」って笑っちゃうこともできる。
そうやって私たちは、常に二つの極のあいだで揺れてるの。
穏やかさだけにはなれないし、激しさだけにもなれないのが、私たちなんだってこと。
その考えかたでいくと“100%の善”も“100%の悪”も、三次元には存在できないんだよね。
“100%の正解”も“100%の不正解”もないし、“100%の真実”も“100%のウソ”もない。
“光” と ”闇” だってそう、絶対は存在できない。
なのに、自分の中からネガティブを追い出そうとか、不安や焦りを追い出そうとか。
そんなの、ナンセンスだよね。
…てことは、新しいことするのに、不安や恐れが出てくるのだって当然のことなんだよ。
必要以上に、フォーカスしなければいいだけ。
「不安を感じつつ進む」っていうのは、特別なことでも何でもなく、先へと進むたったひとつの方法で。
これ以外に進む方法なんて、存在しないのですよ。
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