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ヘルメットを脱ぐとき

いよいよ、銀行の崩壊が加速してきましたねぇ。
これを、メディアはしきりにリーマン・ショックと重ねてますけど。
これもまた、目くらましですよねぇ。
いやぁ、メディアって「印象操作」がムッチャ上手だなぁと思うけど。
すっかり、根っから、それしかできない集団になっちゃってますよねぇ。
本来の「報道」のためのスキルは、もう、見る影もありません。
「そうとも取れる」範囲内から、操作技術を磨いて。
とうとう堂々と恥ずかしげもなく、平気でウソが吐けるようにまでなったわけですから。
いまや、存在意義はまったくもって、あさっての方向に行っちゃってます。
そりゃそうですよねぇ、お手本であるアメリカのフェイクニュースは筋金入りですから。
メディアはインテリジェンスのための武器であり、ニュース映像をハリウッドに外注するだけでは飽き足らず、撮影だけのために街を丸ごとぶっ壊したりもするわけで。
ウソに蓋然性を持たせるために、さらなるウソを上塗りするという、終わりのないループから抜け出る見通しは1ミリもなさそうです。

でもまぁ、私はそれも、いまやさかんに進んでいる旧ドルの排除とともに終焉を迎える運命にあると思っていて。
もちろんこれは、経済とメディアに限ったことではありません。
あらゆるシステムが一新されるタイミングが、いままさに来てるわけです。
そのためには、旧い枠組みをまとめて崩壊させる必要がある__。
旧い社会にどうしても馴染めなかった私としては、これは楽しみでしかないのですが。
多くの人にとっては、どうやら「変化」というのは忌むべきものらしく。
「そんなはずないだろ」と、ヒステリックに否定するだけ。
もはや笑っちゃうくらいに根拠薄弱なメディアの言い分を後生大事に抱え、周りで起きていることを見まいと、バイクに乗ってるわけでもないのにわざわざフルフェイスのヘルメットをかぶって歩いてるイメージでしょうか。
その状態で声を荒立ててもねぇ、中で反響するだけで、ヘルメットの外側では何言ってるか聞き取れませんよ。
「あぁ何か、反論したいのね」って、辛うじて感じ取れるくらい。
害はないわけだし、別にかまわないんですが。
「いまは、知ることが力になるのになぁ」って、余計なお世話でしょうが、残念に感じてしまいます。

とはいえ、このままことが進めば、いずれヘルメットをかぶったままではいられなくなるタイミングが来ます。
そのとき目にする光景は、きっととんでもなく衝撃的なものになるんだろうなぁと想像はできますが…。
それは自分が「見ないでいる」ことを選択した結果、ですよねぇ。
そして、これは信じてほしいのですが。
世界は、より良くなろうとしているんです。
目にした光景で恐怖が掻き立てられたとしても、それは一時的なことで、その先には必ずより良い世界が待っています。
私はそれが、楽しみで楽しみで、仕方ありません。
いまはそう思えない人も、いざというときにはぜひ、このことを思い出してください。

こどもの日、子どもたちが元気で、楽しい一日になりますように。
鯉のぼりが高く舞うよう、強い風を吹かせてくれてありがとうございます。


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