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たゆたう存在

立体的に考えることが、大事。

ものの見かたは、ひとつじゃなくって。

視点によって、いろんなふうに形を変える。

ひとつの事象の中に、“よい”も“悪い”もあり。

“光”と“影”もある。

“表”と“裏”が、単独では存在し得ないのといっしょ。

そもそもね、「もの」も「こと」も、たぶん…。

私たちが認識してるみたいに、キッチリカッチリしてないんだと思う。

キッチリカッチリ見せているのは、私たちの脳で。

だから脳での処理を経る前の、実際の「もの」や「こと」は、もっとふんわりとした不定形なものなの。

だって、「もの」も「こと」も「私たち」も、あらゆる存在はエネルギーであり、波動であって。

キッチリカッチリ同じ形のままでは、いられないんだから。

つまり、私たちが見ているものは、いまこの瞬間の現れでしかなくて。

だから、二人の人が同じものを見たとしても、同じ感情を生まないのは当然のこと。

エネルギーはモヤみたいに濃くなったり薄くなったりして、常に形を変えているわけだから。

同じものを見たって、意識を向けた瞬間がほんの少しズレただけで、見えるものはまるで変わってしまうわけ。

だから、認め合うしかないんだよ。

受け入れ合うしか、ないんだよね。

コントロールしようなんて思っても、エネルギーを浪費するだけ。

「ああ、あなたにはそんなふうに見えてたんだぁ。私はね、こんなふうに見えました」って、違いを楽しむしかない。

なのに万人が一律でいなさいなんて言われても、そんなのムリ。

私たちは、あらゆる「もの」は、そして「こと」は…。

みな、たゆたう存在。

瞬間ごとに、形を変える存在。

寄せては返す波のように、同じ形ではいられない。

「ああ、あなたはいま、そんな形なんですねぇ。私はねぇ、こんなです」

けらけらけら…。

そうやって、ふわふわと、笑ってりゃいいのです。

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