未消化の感情
あっという間に、今日で10月もおしまいですかぁ…。
なんか時間の進みかたが、以前よりずっと早まっていると感じるのは私だけでしょうか?
こういった「体感」と呼ばれるものを、これまでの私は「これでもか!」と軽視してきたのですが。
最近、実はとっても重要なことだと、やっと気付くことができました。
ほんのわずかな感覚の違いとか、気付くか気付かないかの変化とか。
そういうところに気付けるだけで、だいぶ生きやすくなると思います。
こうして振り返ってみると、私、会社を辞めてからというもの。
スピリチュアルに生きる、という生きかたにシフトしてきたんだなぁ。
以前はねぇ、むしろ毛嫌いしてたんですよ、スピリチュアルを。
そもそも私、物理学部卒ですし、三次元世界にしか興味が持てなかったんですよね。
本当に、自分の外側だけしか見ていない、かなりの頭でっかち人間でした。
いまとなっては当時の私がそうなった背景も、原因となった出来事も、しっかり特定できるのですが。
当時の私にそんなことは分るるはずもなく、不都合なことはすべて見ないふりをして生きてました。
「どうしたら生きやすくなるのか?」ではなく、「いかに見ないようにするか?」のほうに心血を注いでいた感じです。
決定的なトラウマがあるのでとにかく生き難く、目を塞ぎ耳も塞いで、どうにかこうにか生きてこられた。
でもねぇ、前にも書きましたが処理されずに見ないできた感情は、いつまでも身体の中に留まり続けるんですよ。
だから、かつての私の中には、未消化の感情が溜まりに溜まっていて。
誰かのふとした一言や、たまたま起こった(…なんてことは実はないんですが)出来事やなんかで、それが刺激され。
感情を爆発させてしまうことが少なからず、ありました。
私としては「あなたがあんなこと言ったのが悪い」と、必死になって主張するわけですが。
そうやって、人が誰かに食って掛かるのはすべて、自分の中にある未消化の感情が原因なんです。
たとえば対人関係にブロックがあった以前の私であれば「友だちがいない」とか「一人ぼっち」とかいう単語に強く刺激され、たとえ自分に向けられた言葉ではなくとも、見境なく怒り出し噛み付いていたと思うけれど。
いまの私なら、事実だからしょうがないと、認められるし聞き流せる(はず…)。
もちろんネットの中のいわゆる「ディスり」と呼ばれるものも含め、元をたどればこんなふうに、食い付いた側の未消化の感情(こころの傷ともいう)が原因ってことです。
だから食い付かれた側は、「私のせいだ」なんて、落ち込む必要は一切ない。
そしてカウンセリングをはじめとしたこころのケアというのは、この未消化の感情を一つひとつ洗い出し、消化していく作業なんだと思います。
未消化の感情が整理されてくれば、ヘンに反応して人に食いつく場面が減り、穏やかな状態をキープできるようになる。
そうなれば、ずっと見過ごしてきたことが見えるようになり、そこから思いもしなかった気付きも生まれる。
そういった過程をここまで私、一心不乱にたどってきたんだと思います。
そんな私を支えてくださったみなさま(もうここにはいない存在も含め)、ありがとうございました。
ホームページをつくったので、ぜひ、見てみてください。
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では、最後まで読んでいただきありがとうございました。
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