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視点のブレ

やっぱり、視点がブレるなぁ。

というのも、生きてる以上、どうしても三次元寄りの視点が必要になることってあるでしょ。

そうするとやっぱり、身を置き慣れた以前のとらえ方がいい具合に私の形にくぼんでいるから、しっくり来ちゃって。

ついついものごとを、深刻に受け止めようとしてしまう。

と、自動処理システムが、待ってましたとばかり動き出しちゃうのよねぇ。

これはもう、回路がサビ付いて機能しなくなるまでは、しょうがない。

というか、導いてくれている高次の存在たちが、わざと私をブレブレな状態に仕向けてる気もする。

確かにこれまでも、ずっとそれ、されてきて。

ブレたところから、だいぶ俯瞰の視点に戻りやすくなってきた。

「お、深刻になってるよ、戻って戻って!」と、しっかり気付けるようになった。

結局、そういう地道な行程が必要ってことなんだよなぁ__。

情報としてもたらされる出来事を、単なる“現象”としてとらえられているときの私は、執着が何もない。

というか、執着を持つ“対象”など、どこにも存在していないことを知っている。

頭の中には思考が何もなく、目の前で起きたものごとに対し、その場その場で対処する。

人が自分をどう見ているかなどまったく気に掛けず、“やりたいこと”を”やりたいとき”に”やりたいように”やっている。

ところが三次元に戻ってしまっているときの私は、死を恐れ、いま持っているものを失うことを恐れ、人から受け入れられないことを恐れている。

つまり執着にまみれ、思考にまみれ、人の目にまみれている。

この相対する二つの視点のあいだを行ったり来たりすることで、“気付く”ことすら必要なしに、「ブレたら戻る」という回路が自然とはたらくようになるのだろう。

まだまだ、先は遠いなぁ…。


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