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自己受容

なるほど、分った。

いろんな人のインタビューを読んできて、多くの人が口を揃えたようにこう言っていたのは、そういうことだったのか。

「ありのままの自分を受け入れたら、生きるのが楽になった」

これって「100点満点の自分を追い求めるのをやめる」ということであり、かつ「自分の中の不完全さを受け入れる」ということで、この二つが揃ってはじめて意味を成すものなんだ。

“ウラ・オモテ”と同じように、どちらか片方ではアクティブにならないし、そもそも存在することすらできない。

この重要な理解を手にしてはじめて、ようやく次のステージに進めたような気がする。

せっかくだから、どういうことなのか、シェアする努力をしてみよう。

いまの社会を見回してみると、「ゼロか100か」の視点に身を置いている人が大部分であることが、容易に見て取れる。

それもそのはず、親も学校の先生もみなこの視点の持ち主だから、そこで育つ子供は自然と同じ視点に立つようになってしまう。

もちろん私も、例外ではなかった。

教育されたとおり「100点満点の自分」を目指してしまってきたし、自分の中の“ダメなところ”は消し去ってしまいたいと願ってきた。

ところがその視点が、常に自分を「100点満点じゃないダメな自分」「ダメな部分がたくさんある未熟な自分」と認識させ、その認識が続くような現実をつくり出してしまっていた。

これによって私は、うまく行かない人生を、延々と続けさせられてきたわけだ。

でもね、これを言っちゃあ元も子もないかもしれないけど、やはりこの行程は必要なのですよ。

なぜなら冒頭に書いた、インタビューの中の言葉にあるような視点には、うまく行かない経験をふんだんに積み上げないと至れないから。

私の場合は特に、とうが立ち過ぎてる感もあるけど、うまく行かない経験を重ねて、自分を俯瞰できる視点を手に入れておくことは最低限必要で。

それに加えて、とうとう崖っぷちに追い込まれるとか、九死に一生を得るとか、そういうきっかけがあってはじめて。

「100点満点の自分を追い求めるのをやめる」すなわち「ダメな自分のまま生きていいんだ!」っていう気付きか、

もしくは「自分の中の不完全さを受け入れる」すなわち「自分のダメな部分と共存していこう」という覚悟が生まれるわけ。

私の場合は、だし抜けにいちばん起きてほしくないことがに起きてくれたことで「なんだ、ダメな自分のままでいいんじゃん」と気付くことができた。

そして、どちらか一方をクリアできていれば、他方は比較的カンタンに手に入る。

私の場合は今朝、こんな気付きが下りてきた。

自分のダメな部分を消そうとすると、無意識のうちにそれを自分の中に捜してしまい、必然的にダメな部分にフォーカスしてしまうけど。

ダメな部分を受容してしまえば、それが自分の中にあるのが当たりまえになって、いちいちフォーカスしなくなる。

つまりダメな部分はあっても、影響力がダダ下がりするということだ。

こうして2つのピースが揃うと、苦しいものだと思い込んできた人生が、劇的にラクになるのだと思う。

でもこれって、仮に言葉で伝わったとしても、残念ながらそれだけでスイッチが入るようなものじゃないのよね。

ただいつかあなたの準備が整ったときに、起爆剤として使えるとは思うので、ぜひ活用してください。

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