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三次元からの“引き”

またもや三次元から、強烈な引きが来た。

ついさっき、なんとか帰って来たけれど、いったんは完全に飲み込まれてしまった。

その経験でいろいろなことを学んたので、今日はこの“引き”について、なるべく分りやすく説明をしてみよう。

たびたび説明してきたけれど、三次元というのは人生という映画を、“当事者”として体験している状況のことだ。

目の前で起きる現実に完全に巻き込まれ、過去の経験によってリンクしてきた思考の中を延々と行き来し、それによって励起された感情に翻弄されて、自分を見失ってしまう生きかた。

つまり自分が「外側の世界に含まれている」という、認識に立った生きかたと言っていい。

この生きかたの中にいると、全体の一部でしかない自分には、世界を変える力などないと感じられ。

世界の動静に、どうにか自分を当てはめようと必死になってしまう。

そして、いつまでも世界の移り変わりに、大きく影響され続けてしまう。

それに対し五次元というのは、安全で快適なシアターに身を置き、人生という映画を観ている“観客の視点”で生きる生きかただ。

起きる現実とは距離を置き、客観的に見られるから、世界で何が起きていても巻き込まれることなく冷静でいられる。

そうやって冷静に自分を眺められていると、やがて、私たちは見たい現実だけを見ていることに気付く。

逆に言うと、見たくないものや、自分にとって不都合なことは、起こっていても認識しようとしていないことが分るようになってくる。

平たく言えば私たちは、過去の経験によってつくり上げてきた“前提”というサングラスを通して、世界を見ているわけだ。

それによって見るものと見ないものを仕分けし、前提を強化する“解釈”まで付け加えて、現実を認識している。

これがスピリチュアル近辺でよく耳にする、「自分の世界は自分がつくっている」ということだ。

このメカニズムがしっかり腑に落ちると「私の世界を変えられるのは私だけ」という、三次元とは真逆の受け止めができるようになる。

そのため、なおさら外の世界に影響されることなく、自分のやりたいことに集中していられるようになる。

ところが、いったん五次元に身を置いてしまえば、もう三次元に戻ることはないのかといえば、そんなことはない。

三次元は常に、私たちを連れ戻せないかと目を光らせていて。

ちょっとでもスキを見せれば、ここぞとばかりに引き込もうとしてくる。

これが、三次元からの“引き”だ。

付け入られる要因は、執着心や依存や焦燥感や不安や恐怖や後悔や嫉妬や…、それこそ本当に様々だけれど。

注意しなければならないのは、三次元の大気圏内にいったん入ってしまうと、自分が三次元に戻っているとは気付きにくくなることだ。

そして気付けないままでいると、容易に三次元に居着いてしまい、戻れなくなってしまう。

そうならないためには、自分を客観視する視点を持ち続けることが、とても大事だと思う。

でもきっと、これから先もまだまだ、三次元と五次元を行ったり来たりしちゃうんだろうなぁ…。

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