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コンプレックスを乗り越える

ずっと感じ続けてきたコンプレックスの正体が、やっと分りました。

いやコンプレックスなんて私の中には、掃いて捨てるほどあるのだけれど。

いちばん、私の行動に影響を及ぼしてきたこと…。

それは、仕事のうえでお付き合いのある人と「仕事相手として関わる」という、ごく当たりまえのことができなかったこと。

できる人にとっては「なんだそれ?」っていうくらい何でもないことなんだろうけど、広告業界で働いてたときから私これ、すっごく苦手でした。

いやぁ痛いわ、これ。

正直こんなこと書きたくないけど、痛いことをするのがいまの私には必要なので、あえて書かせていただきます。

noteさん、いつも書く場をご提供いただき、ありがとうございます。

さて、どうしてそんな誰にもできて当たりまえのことがコンプレックスなのかというと、身内に対しても、顔見知りに対しても、20年以上も生活を共にしたパートナーに対しても、仕事相手に対しても。

私これまで、誰彼かまわず「共感」を求め続けてきてしまったから。

つまり相手によって距離感を変えるとか、そういうことを一切、してこなかったわけです。

というのも私、自分の親から受け入れてもらえないという、悲惨な子供時代を送ってしまったので…。

無意識にガッチリ「私は人から受け入れられない」って思い込みが、奥深くまで突き刺さっていて。

だから本当は一人や二人、いたとは思うんですよ、私のこと受け入れてくれてた人も。

でも生まれてすぐの体験から形づくられはじめた、その思い込みがあまりにも根深すぎて、「受け入れられた体験」としては受け止められず。

未だ手に入っていないものとして狂おしく求めるようになってしまって、人と関わる場面では相手がどのような立場の人でもお構いなしに、例外なく共感を求めるクセが付いてしまっていたわけです。

でも仕事上でのお付き合いしかない人と、パートナーに対するのと同じメンタリティで接してしまったら、ややこしい事態になることは必定で。

振り返ってみると確かに、これまで私の周りには、ややこしいことばかり起こり続けてきました。

けれどようやく今回、この構造に気付くことができたので、ここから先は相手によって関わりかたを変えられるようになっていこうと思います。

特にこれから長らく離れていた社会に戻るにあたり、仕事上でお付き合いをさせていただく方々に、「お客さまとして」接することができる私なりの方法を見付け出してゆくことがいちばんの急務で。

そのためには、これまで私の辞書にはなかった「バウンダリー」という概念を、体験を通して身に付けてゆく必要があるわけです。

それを、ついこの間までは恐くて恐くてしょうがなかったSNSでやるというのだから、私にとってこのハードルはバカ高い。

でも、まだ二十歳そこそこだったローランドにできたのだから、私にだってできないはずがない!!

そう思って、できるとこから一歩ずつ始めてみようと思います。

まずはとりあえず、面白そうなこと書いてる人に、facebookでお友だち申請出すとこからかな(恐っ!)。

ホームページをつくったので、ぜひ見てみてください。

naotadano.com

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では、長くなってしまいましたが最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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