君がいたキャンプ
本当のことを言うと
思い出すと涙が出てしまうからこの話は胸にしまっておこうと思ったのだけれど
これを記録に残す事で私達の気持ちが君に伝わる気がしたからやっぱり投稿しておこうと思う。
幸せをくれた愛猫ナツへ
例年、変わらぬ三月の空と海
素晴らしい天候と暖かな気温、春だというのに空気はどこまでも澄みきり
ここにやってくる道中の仙台東部道路、南の岩沼市からは県北部にまたがる栗駒山がくっきりと見えたものだった。
眼下に見える海はどこまでも蒼く遥か彼方の水平線もクッキリなよどみない景色
近年三本の指に入るようなそれほどのキャンプ日和だった。
いつもと変わらぬ設営をテント+タープで行ったのだけれど、このキャンプの一部ギアとキャストには普段と違った顔ぶれがある。
先日、ビンテージテントを送って下さった人生の大先輩から新たに届いた一品、ビンテージのL.L.Bean製ラグとそして…
『キャンプ猫ナツ♀』がいるキャンプ
静かに耳に届く潮騒と共に彼女との最後のキャンプが幕を開けた。
ここに至るまで数々の葛藤の繰り返しだった。
餌を食べなくなっておおよそ一週間が経過、通院先の獣医師の口からは明るいニュースは出てこない。
それはお別れの宣告に近かったのだけれど
彼女は必死で毎晩夫婦二人の膝に交互に やって来ては、沢山甘えてくれた。
しなやかだった歩く姿はそこになく
一歩一歩、決死の覚悟で踏みしめるように近づき膝に身体をあずけてきた君
どんな猫よりも大人しく甘えん坊で優しくそして我慢強く親孝行だった君。
そして、まるでお別れの時間を二人の心に刻むかのように喉を鳴らし膝の上でくつろぐ君
もしお別れが近いのだとしたら…
応えてあげようというのが結論だった。
私達の大好きな南三陸神割崎のあの海を最後に見せてあげようと考えた事をきっと君は分かってくれていたと思う。
もしかすると、それは私達のエゴイズムだったのかも知れない
「だってもう助からないでしょ」
そんな心ない事を考えていたわけじゃない。
だって君は私達夫婦にとっては娘以上の存在だったから。
少しだけ高い位置の自宅窓辺が君は大好きで季節が良くなるといつもそこから外を眺め
「かっかっかっ」と
おおよそ猫の出す声とは思えない鳴き声を出す。
すると、駐車場にある山法師の木の枝に沢山の野鳥の戯れが見てとれたものだった。
「ナッちゃんお外に出たいの?」
妻はそんな語りかけをいつもしてその後優しく抱き上げていた。
遠くを眺める君の眼差しを見る度に、一度でいいからキャンプに一緒に「連れて行ってあげたいね」
そう妻に話しかけられ
「まぁそのうち一回は連れて行こうか」
な〜んて適当に答えていたのはそんな日がきっと来ないと思っていたから。
この現実は本当は喜べるものではなく、それこそ悲しみが常に同居するものなのだけれど…これでいいという確信もあった
瞳は乾くことがなく潤みっぱなしだった。
海を眺めようと岬の先に行くと彼女の意思と同調したようだ。
ジッとそれを眺める君、その目は自宅の窓辺で見せた好奇心の塊のようなあの目と同じものだったように私には見えた。
その視線の先にあるのはウミネコの群れ
ただ…
心なしか目つきが険しく見えたのは
眩しかったせいか?
苦しかったせいか?
私達には分からない それだけが辛い。
。
。
。
ごめんなさい。
怖がることもなく、一切の抵抗もせず落ち着いていたから楽しんでいたと思いたい
そんな心境だった事を、もしかすると君は分かっていたのかも知れない。
何か嫌な事や、辛い事があった時いつの間にか側にいてくれた君、そして私達に顔を擦り付けて甘えた振りをしつつ癒しをくれた君。
この子には私達人間の感情がお見通しだと思った時に「ありがとう」って言葉に出して伝えたけれど君がそれを理解したかどうか当の人間には分からない。
だって猫は顔の筋肉が犬ほど発達してなくて表情が変わらずいつだってクールだから。
その実、いつも私達の機嫌を見ていて、それが芳しくない時は距離を取り、悲しげな時は側でジッと見つめ本当に辛い時は添い寝してくれた君。
猫を飼っているつもりの私達がその実、いつもマウントを取られていた事に今更ながら気づいてしまった。
君が息をひきとる最後のあの日、私達は居ても立っても居られず仕事も手に付かなかくて早々に店を閉めた。
身体を冷やさないためにホットカーペットの上に寝床を作っていたのだけれどそこに君がいなくて全てがわかった。
第二候補の妻のベッドの中にもいない事でそれは確信に変わった。
今夜ついにお迎えがくるんだって。。
探し回って、ベッド下の暗がりに君を見つけて抱き上げた時の君の落胆したような声が今でも忘れらず耳に残っている。
最後まで何もしてあげられなかったから、あの日のキャンプだって君には迷惑だったかも知れないから「もう、頑張らなくていいんだよ」とそんな言葉をかけ続けた。
一人であっちに行かせたりしない。
君は生涯私たちの娘であり人間はそういう事を寂しいと感じるから。
そして妻の腕の中で天に召されてしまった。
午前3:30引潮と共に。
彼女のいなくなった家に残された私達は不思議な事に彼女がまだいる感覚を何度もいだいたもの。
例えばふとした拍子に彼女の鈴の音が耳を撫でて行ったり、彼女がいつもいた窓辺に敷いていた毛布がびしょ濡れだったり不思議な事が次々と。
科学を信じる私は、もしかすると気が狂ってしまったかも知れないと自分を分析するのだけれど…
彼女の存在を感じる事は心地よいものだった。
君の不在にポッカリと開いてしまった心は何をしたって空虚でその穴を塞ぐすべが見つからない。
何かにすがりたくてたまたま目にした動画でスピリチュアル系のこんな話を見つけた。
動物を飼うという事は彼等へのボランティアであると。
彼等は来世で人間に生まれるために人を癒す
そのお世話をしつつされつつ生まれ変わって再び私達と縁を持つのだそうだ。
ペットロスで苦しいならばボランティアだと思ってまた飼う事が彼等の為になるのだそうだ。
私達はその話を信じる事にした。
麦はその芽を踏んで強くするという
いわゆる麦踏みというやつでこれをして初めて霜に負けず強くなり根を張り成長後も倒伏を防ぐ事ができる。
大人になって病気に負けちゃだめだよ麦のように強く生きて欲しいそんな願いを込めて『こむぎ』と名付けた。
ナツ きっと君がくれた縁だから精一杯可愛がり色んな経験をさせようと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?