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「あそび」について

雑誌 日本演劇教育連盟(2023)『演劇と教育2023年5+6月合併号』晩成書房。
教育科学研究会編集(2023)『教育』7月号、旬報社。

を少し前にですが、読みました。

どちらの雑誌もたまに読むのですが、読むたびに心にささると言いますか、自分が考えていることとマッチする、自分の考えを深めてくれる内容ばかりです。

さて、そのような2冊の本なのですが、今回両方の本が同時期に販売されていて、たまたま同じような内容が書かれていました。

それは、

車のハンドルやブレーキにも数センチの「あそび」が必要

、というような言葉。

どちらも、「あそび」の大切さ、良さというものを考えさせられる内容でした。

「あそび」というと何か子どもたちが「ふざけている」という印象を持たれる方も多いかもしれませんが、そうではなく、「あそび」には子どもたちの成長に大きな力が存在している、ということでした。

あそびには様々種類はあると思いますが、多くは子どもたち同士の交流があり、コミュニケーションする力、想像力、創造力などの多くの力をつけられるものである、ということでした。

中でも特筆すべきは「あそび」は「やらされている」のではなくて「主体的に」子どもたちが行っている、ということは心に響いてくるところでした。

学校で考えるのであれば、授業がメインでその間の休憩としての「あそび」というものがあるのかもしれませんが、子どもたちからしたらその休み時間の「あそび」こそメインであり成長できる時間なのかもしれません。

そして、子どもたちは笑顔溢れる様子で、時には仲間同士でのすれ違いや喧嘩をすることもあるかもしれませんが、「楽しく」「あそび」をしている、のだと思います。

自分自身のことを振り返っても、小学生時代の「あそび」あふれる生活はのびのびとしており、自由に活動していたように思います。

それが、いつの間にか中学生高校生となると「受験」「テスト」「成績」ということがつきまとい、「あそび」をする時間は少なくなっていったように思います。

演劇と教育の中には

「遊びを豊かにする条件の一番は「安心感」です。注意されたり怒られたり否定されたりしない心の安心、危険や寒さ暑さのない身体の安心。間違えても失敗しても負けてもうまくゆかなくても楽しい、という安心感のなかで、ふざけながら楽しさを追求して遊び方を変えてゆきます。」(p.19)

という言葉がありました。

中高生には、ふざけたり遊んだりしたら、先生から評価を下げられてしまうのではないか、評価が下がると成績が下がるから行きたい学校にいけないのではないか、というような不安を感じてしまうということもあるのではないか。私は当時このような感覚は何度も感じてきました。

この安心感、思い切って表現できるような空間を作ること、主体的・対話的で深い学びなどの、特に「対話」に関して、教育の目標、方法、内容というものを考える前に大前提として大切なことなのだろうと強く感じました。

子どもたちの本当の考えを思い切って表現できるような雰囲気づくり、表現したことをお互いに認め合うことができる学級、自己肯定感を高め合うことのできる、すごく良いなと思います。

これは、演劇をするうえでも大切ですよね。
役者は思い切って勇気を出して演技をしているわけであって、それを否定される、馬鹿にされる、というような雰囲気ではやはり本当の力を発揮することはできませんよね。話がそれそうですが、ちなみに、演劇のシアターゲームって「あそび」の要素がふんだんに取り込まれた活動だなと感じました。

話を戻し、「あそぶ」ということは悪いことではない、むしろ良いことがたくさんある。

昨今話題の話であれば、大学入試の共通テストに情報がさらに追加される、という話もある。これ以上入試科目が増え、受験勉強をしなければならない量が増えてしまっては、ますます「あそび」からは遠くなってしまうのであろうか。

少しばかり心配をするところもある。

だが、見方を変えればそんな受験勉強に直接的にではないにしても、どこか「あそび」を取り入れることで「学び」につなげることもできないだろうか、とも思う。

「楽しい」ということを大切に。結果として子どもたちの「学び」「成長」に繋がっていく教育がなされると良いなと思ったところです。

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