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星の可愛さとマッチョスイーツ

夜空に惹かれる理由がずっと分からずにいた。
星のぎゅっとした堪らなさ、儚さ、可愛さで表現される魅力がなんなのかを説明することが難しい。

一つの説はミニチュアに感じるぎゅっとした凝縮感のなんとも言えない気持ちよさが星にもあるという説。

ミニチュアには空から生活を眺めているような自由な感覚、浮遊感がある。


大地から星空を見上げることは、
空から街を見下ろすことをひっくり返した状態と同じ心象を与えるのかもしれない。

ミニチュアと星々の堪らなさが一緒だとして、
その堪らなさは一体なんなのだろう。

堪らなさを説明できそうな、
もう一つの説はギャップの存在だ。

人はギャップを感じると可愛さを覚える。
コワモテのマッチョがスイーツを食べているのを見ると、勇ましさと小さな甘さのギャップに思わず可愛さを見出してしまう。

プロレスラーが脇を閉めてケーキに乗った苺だけを繊細なフォークの手つきで口に運ぶ姿にはギャップがある。


そして星にもスイーツマッチョと同じギャップがあると思う。

夜空を眺めるとき、遠くにある星を見るために焦点を視界の奥に当てる。

しかし日常で視界の奥・遠景にあるものといえば山並みや海原、空、雲といった巨大なものばかり。

小さなものは遠くにあると見えなくなってしまうから、遠くにあるものが巨大なのは自然だ。

だから僕らの認識には焦点を奥に合わせているとき、広大なものが見えているという刷り込みがある。

それなのに星だけは視界の奥に焦点を当てているのに、なぜか極小の点として見えている。

「遠くのものは巨大」という認識と
「遠いけど極小」という観測のギャップが
スイーツマッチョのギャップと同じ可愛さを生み出しているのかもしれない。



僕は高所恐怖症をもっている。
高いところに登ると脚がすくむ。
ヘリコプターから街を見下ろすイベントは楽しくも早く終われと思っていた。

そして低所恐怖症もある。
スカイツリー、噴火口のせり出た岩の縁、快晴の空、山で見る満点の星空。
これらを見上げるとほんの数秒で脚がすくむ。

快晴の空、満点の星空をまっすぐ見つめると一面の天井に錯覚する。そのすぐ後に柱のない不安と天井が崩れ落ちる恐怖が心臓に詰まる。

空から街を見ての高所恐怖症と
地面から星空を見ての低所恐怖症は同じ感覚だからたぶん、星はミニチュア的存在なんだと思う。


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