見出し画像

ミカンに支配されている

みかんをずっと一粒ずつ三日月の形に割いてから食べなければならない面倒な食べ物だと思っていた。

去年か一昨年ぐらいにそんなことせず二,三房の塊で食べてもいいことに気がつき、今月ついに丸齧りしてもいいことをふと悟った。

実がぱつぱつに詰まったみかんは歯の入れどころを間違えると果汁がぶしゃあするのでどうせ口に収納できる大きさの塊でしか食べないけれど、
みかんは丸齧りできる食べ物だという概念に気づかずに生きていたことに驚いた。


そもそもミカンはリンゴやナシと違って皮ごと食べられる果物ではないから皮を剥かなければならない。

その時点で既に
"これは丁寧に下処理をした上で食べるもの"
というミカンの洗脳は始まっている。

皮を剥いて出てきた弾力のある塊には緩やかな凹凸があり、"ここから切り取ってください"と言わんばかりのスリットが施されている。

しかもミカンの実には
ブドウやマスカットのように"もぐ"のではなく、
張りついて癒着したものを"裂く"という気持ちよさまで用意されている。

実にユーザインターフェースが追求された実だ。


バナナを齧るとき、何口もかけて不規則な断面をつくりながら一つの実を分割して食べる。

これは1本の中に無数の分割面が生まれるアナログ(連続的)なフルーツ。

だとすればミカンは一つの実を口に放り込むか否か、1か0か、それ以上の分割は許されない(※果汁が爆ぜるから)デジタル(離散的)なフルーツだ。

少なくとも人間の認識にとって最適化されたデジタルな値をとる果物として、食事の時間を割かせにくる。

本能に抗いミカンの一粒を齧ってみると、
さらに粒々が詰まった整数個の粒によるデジタル空間が立ち現れる。



このデジタル社会には
そんなに割り切らなくてもいいこと、
わざわざ時間を割かなくていいこと、
気づいていないだけで沢山あるのかもしれない。




ミカンのようにね!!!!!!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?