従来のミス藝大は、美というテーマのもと男女問わず学生が参加し、美というテーマに疑問を投げ続けてきました。ミスという言葉が美と結びつくところに19世紀以前の古い美学的伝統の反響を見ますが(天才は男性に限定され女性は美を体現しインスピレーションを与えるミューズという考え方で、現在でも荒木経惟を巡るハラスメントやMeToo運動などにその残響が見えるでしょう)美というテーマを解体して行く方向性は現代のアートがここ数十年扱ってきたテーマと軌を一つにするもので大変興味深いものでした。
割れた破片は、投げかけられた言葉 割れた鏡は、壊れた自分自身 これは、自分自身を探し出す物語
社会的な理想の美を追求し、鏡を覗きこんでいると、 鏡の中の理想像に自分を乗っ取られる。 私は自分自身を取り戻せるか? ミス藝大エントリーNo3『ミス?コン』~本垢 (@geidai_beauty_3)さんをチェックしよう https://twitter.com/geidai_beauty_3?s=09 https://www.facebook.com/geidai2018beauty/ https://www.instagram.com/geidai_beauty/?h
2018年、ミスコンをめぐって藝大で議論が巻き起こった! 【2018年9月9日(日)10:30~東京藝術大学上野校地メインステージにて開幕!】《小山このか/山本明香里/加藤未星/志賀怜太/近藤銀河》 ミスコンってなんだろう?? 昔のミスコンには、女性の外見とその内面を、ある愛らしさの鋳型に当てはめ、それを美のミューズとして、受動的なインスピレーションの元とする考えがあった。 そんな押し付けに私は抵抗したい。 でも、可愛いは可愛いで良い。 だけど、無理に可愛くする必要はな