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取扱説明書(個人用)

自分が何者かわからない。いまnoteを書いている私も、過去の私も、全部私自身のはずなのに自分で操作している感覚がないというか、あくまでも私は第三者で、頭上の少し上から指示を出して操っている感じがして、なんにせよ理想と現実と過去がごちゃまぜになっていてよくわからない。

大好きな人達の前ではなるべく本体?を引っ張り出してきて会話するように心がけているけど、それでも焦燥感が拭えないというか真の自分と向き合って欲しいのにそれが出来なくてもやもやする。
でも出来ないのは当たり前なんだよね、だって自分でも本当の私が何者なのか分かってないんだから。

自分で言うのもなんだけど、私は根が真面目なのか、noteを書くのも絵を描くのも仕事をするのも人より時間がかかる。
もういいんじゃないかと周りに言われても、自分が納得するまで向き合い続ける。やめたくてもやめれない。もう一種の病気だと思う。

とある方が、本来noteとは思ったこと、感じたことを発信するプラットフォームのような存在であるべきだと述べていたけど、如何せん私は少しの言葉を紡ぐだけでも時間がかかる。
なので全く時間がかからないという友人のnoteが羨ましくもありその飾らない文章に強い魅力を感じています。

というわけで、当分は本体を一旦しまって脳みそ直結型の文を書いてみるぞ!

いつもは題名、中身、終盤への持っていき方、結末をある程度固めてから言葉にするので結構小説的な文体になっていると思う。
でも今回はそういうの全部抜きにして思ったことをそのまま打ってます。
心が楽

最初に戻る。自分ってなんやっけ
ひまなので人格整理してみる。

① 真面目で誰にでも優しくラブアンドピースな私

② 生きることに漠然とした不安や恐怖があって死にたがりな私

③ 倫理観とかフル無視でただ自分のしたいように生きる私

④ 変人奇人的な思考で世界転覆させたい芸術派ゲデ

⑤ 単純に愛が欲しい!愛して愛して私だけ見ててよそ見しないでの私

結構自分のことわかってる
でもどれが本体かわからない。
今は③の気分かも。私はスナフキンです。

たぶん、通常皆に見せる私は①
でもこれが本性かと言われればそんなこともない。この状態が一番精神に負担が少なくて万人受けするというか、嫌われにくいというか。。
仲のいい人や信頼している人には③や④、個性特化型の私。

一番よくないのは②と⑤の私です。②はそもそも切り替えとかなくていきなり乗っ取りにくるので厄介です。
中学時代の本体は間違いなくこいつ。今はサブ役みたいな立ち位置にいるけど、それでも①の私がせっかく前向きに人生を生きようとしている時にふと現れては邪魔してくる厄介な奴。
だから私の腕に傷があったら、それはこいつと戦った証だと思ってくれたら嬉しいな。自傷をすることである程度希死念慮は薄まる訳だし、私が生きるために必要なことなんです。
誰かはこの傷を気持ち悪いと言ったけど、私はむしろ愛おしく思っているよ。
別に、②の私が嫌いな訳ではない。多分完全に消えることはこれからもないだろうし、つらいときに吸う煙草が一番美味しいから!

⑤は恋愛絡みで出現する。といっても毎回出る訳ではないんだけど、彼氏がそっけないだとかあんまりうまくいってないとか、ほんとにそんなしょうもないこと。でも私にとっては生きるか死ぬかくらい重要なこと。
実は私はすごく寂しがりで、誰かに甘えるのがすき。でも他の人格が邪魔をして家族や友人にはなかなか素直になれないので、その分恋人という存在に人一倍依存してしまう。
そんな時、適当にあしらわれてしまうと一気に頭がパニックになって、ダメだとわかっているのにメンヘラが発動する。前もその前もそのまた前も、いつだって私のこの言動が原因で愛想を尽かされてしまったのです。

お医者さんによると、私は境界性パーソナリティ障害らしいです。
もう恋愛なんてやめてしまおうかと自暴自棄になった時もあったけど、性懲りも無くまた始めてしまった。
だって愛されないと生きていけないんだから仕方ない。

有難いことに、明日で1ヶ月記念日を迎える彼氏はとてもとても優しくて、いつも笑顔で私の話を聞いてくれて、いっぱい甘えさせてくれるし甘えてくれるし、理想の彼氏というか、もう半年くらい付き合ってるんじゃないかってくらい心を許せる存在。
こんな私を受け入れてくれて本当にありがとう。
私の心は彼のおかげで最近すごく潤っています。
いまのところ、⑤の私は隠居ライフを満喫中のようです。
もうこのまま出てくんな。

最後、③の私、そして今このnoteを書く私。友人のTさんに以前言われました。あんたって倫理観あるのかないのかわからんなと。
たとえばバスで優先席をおばあさんに譲ったり良いことをするような人なのに、薬物はする、みたいな。あくまでも例えですよ。

たしかになあと思いました。いわれてみれば私はかなり普通とは程遠い人生を送っていると思います。でもスリルがあってこそ、まだまだ人生は面白いと思うんです。この世界には私の知らない景色、食べ物、娯楽がたくさんあって、それを自分の目で見て体験するまでは死にたくないなと思うんです。ここで負けたくないというか、死にたい気持ちは変わらないけど、まだ足掻きたい。
そんな自分が好きなのかもしれない。
もしかして私の本体は③なのか。。?
①と②を足して2で割ったものが③なのか。。?
こういうことは考え始めたら止まらない。哲学と一緒。

こんな陳腐な回答で締めたくはなかったんだけど、やっぱり①~⑤の私、それは紛れもなく全部私で、無理に本体を決める必要とかはない。
ただ今日はそういう気分だっただけ、ちょっと死にたくなっただけ、
頭ではそうわかっているのにどうしてもこんなことを思ってしまう。
「私は誰なんだ?どうあるべきなんだ?まず私は本当に生きているのか?この世界はただの長い夢に過ぎないんじゃないか?」
本当によくないね。

もういっそのこと統一してしまおうか。レイヤーを結合するみたいに。

以上、
平和を愛し、時に死にたがり、時に芸術的に、愛を求めて自由に生きる私より。



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