【書評】練習問題としての文学、あるいはアロンソ・キハーノの崇高さについて(友田とん『パリのガイドブックで東京の町を闊歩する』)

お前は練習問題だ。どこをみても生徒はいない。

 とカフカは書いた。
 カフカのアフォリズムのなかでも、とりわけ好きな一篇だ。
 というのも、たとえば僕という人間のすべての営みを練習問題と仮定したとき、常日頃、怖い顔で迫ってくる「人生」というやつの角がとれて、ほんのすこしだけ丸みを帯びてくる。そんな風に思えるからだ。
 練習問題なら、間違えてもいいはずだ。
 とはいえこれは僕がカフカを自分勝手に誤読したにすぎない。
 カフカの裏切りの友人にして大恩人マックス・ブロートは、これらのアフォリズムに「罪、苦悩、希望、真実の道についての考察」という表題をつけた。いかにもブロートらしい大仰さだが、自らの箴言を「ゆるふわ生活のススメ」みたいに読まれることは、さすがのカフカも好まないだろう。

正しい言葉なら、これほど長く考えつづけることはなかっただろう。

 冒頭、友田とんは書いている。
 本書『パリのガイドブックで東京の町を闊歩する1 まだ歩きださない』(以下『パリ闊1』)の話である。
 前著『「百年の孤独」を代わりに読む』(以下『代わりに読む』)で「代わりに読む」という奇妙な課題に挑んだ著者が、またぞろおかしな、そして無類におもしろそうなことをはじめた。
執筆のきっかけは、友田の脳裏に天啓のように降ってきたこの言葉。

パリのガイドブックで東京の町を闊歩する。

 趣味は旅行、という人は腐るほどいる。僕もまた知らない土地を歩くのは好きだ。しかしそんなとき、多くの人は「ついついガイドブックに頼りがちで、どこかの町を歩くにもガイドブックを片手に答え合わせをしてしまう」
 「芸術は自然を模倣する」とアリストテレスは言い、オスカー・ワイルドは「自然こそが芸術を模倣する」と皮肉った。なるほど、柄谷行人がどこかに書いているように、情報時代を生きる現代人が最初に目にするのはむしろ模倣のほうであって、自然のほうは後から追いついてくる。
 音に聞こえた名所旧跡、風光明媚な風景を実際に目の当たりにした旅行者がまずおぼえるのは、写真で見たとおりだな、あるいはまた、聞いていたのとはずいぶんちがうな、という倒錯的な感情である。主観の前に客観がある。考えてみれば歪な話ではないか。
 ガイドブックも一種の模倣にちがいない。が、この角を曲がれば美味しい天丼屋があって、一本裏に入れば有名な寺があるという風に、情報をあくまで点として視覚化している。
 そのためガイドブックを片手にある土地を歩く行為は、自由な散策や彷徨とはかけ離れている。それはむしろ、平面上に任意に設置された点を回収していくという意味で、スタンプラリーのような遊戯を髣髴させる。
 では地図を見ずに特定の土地をぶらついてみる。これはどうだろう。
 目的のないそぞろ歩きをとおして、目に映る事物を観察し、思索する。こうなるとベンヤミン言うところの遊歩者(フラヌール)文学の伝統(日本にもたとえば永井荷風という大いなる先達の存在がある)に属するわけで、ゼーバルト以降、多くの後進がこれに続いている。
 とはいえ友田の場合、単に手ぶらで東京の町を歩くのではない。『代わりに読む』のときもそうだったが、著者は旅立つにあたり、いくつかのルールを設定している。

ルール1 東京のガイドブックには頼らない。
ルール2 パリのガイドブックは読む。

 ルール2について、友田は胸を張ってこう言う。

東京を歩くために、パリのガイドブックをこれほど熟読した人間はいないという確信が私にはある。

 それはそうだろうと思う。
 パリのガイドブックを手に東京の町を歩いたとき、一体なにが起こるのか。当の友田にもそれはわからないのである。鬼が出るか蛇が出るか、とにかく歩き出してみないことには……。
 池内紀によるとカフカ(またしても!)は書きながら考える、あるいは考えながら書く人だったから、小説の終着点は本人にもわからない。ゆえにカフカの小説には過去も未来もなく、ただ書く、いま、自分は書いている、という現在の行為だけがある。
 なんだか『パリ闊1』に似ている。
 解答があるのかどうかもわからない問いを胸に、フレンチトーストを求めて、神保町のカレー屋を探して、東京の町を闊歩する。パリのガイドブックを熟読する……。
 友田とんという男、考えてみると常に動いている。それは一部の回遊魚が泳ぐのをやめた途端に死んでしまうようでもあり、炬火を手に乱舞するバッカスの信女たちが、錯乱の運動の果てに神託を見出すようでもある。
 もう一度、拙文の冒頭に引用したカフカのアフォリズムを読み直してみよう。

お前は練習問題だ。どこをみても生徒はいない。

 この箴言はまるで友田とんの挑戦を言い表しているようではないか。
 そう、友田とんとは、そして『代わりに読む』から『パリ闊1』に接続する彼の文学的営為とは、ひとえに一題の練習問題としてある。
 それはなによりもまず作者たる友田自身への練習問題であって、先に挙げた二つのルールは、練習問題を練習問題として成立させるための所与の制約である。
 練習問題なら、間違えてもいいはずだ。
 友田自身「正しい言葉なら、これほど長く考えつづけることはなかっただろう」と書いている。最初から間違えているなら、どんな解答が待ち受けていても怖くはない。
 「パリのガイドブックで東京の町を闊歩する」という言葉の立ち上がりとともに、練習問題ははじまっている。
 したがって「まだ歩きださない」にもかかわらず、友田は、彼の文学はすでに歩き出しているのだ。そこに生徒はいない。いや、一人だけいた。友田とんとは練習問題であると同時に、それに回答を与える唯一の生徒だった。

 本稿を閉じるに際し、最後にもう一人だけ、文学史上のあまりにも有名な英雄の名を挙げてみても罰は当たらないだろう。
 ボルヘスの言に従うなら、文学とは、もっと言えばすべて言葉とは引用のシステムであり、友田もまた『パリ闊1』のなかでいくつかの先行作品を意識的乃至無意識的に引用している。
 というより友田とんとは、まずもって引用の人として出発した書き手であり、前著『代わりに読む』が、ガルシア=マルケス『百年の孤独』を多数の先行作品、それも文学から極力距離を置いたと思しきドラマ、漫画、ゲームなどを梃子に読み/書き直していく試みだったことからもそれは明らかだ。マッシュアップの才能と言ってもいい。
 『パリ闊1』では、カフカ『城』、ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』などについて言及されている。そして、ここからはあくまで僕の推測だが、こうした大文字の引用の背後には、実はもうひとつ、極めて重要なテクストが隠されているのではないか。
 『ドン・キホーテ』である。
 この超有名小説のあらすじを改めて説明するまでもないが、ラ・マンチャの貧乏郷士アロンソ・キハーノは、騎士道小説の読みすぎで正気を失い、自身を遍歴の騎士と錯覚、痩馬ロシナンテにまたがるや、農夫サンチョ・パンサを従えて、世の悪を正す旅に出るのだった……。
 しかし、と僕は思う。
 アロンソ・キハーノは、本当に狂気の人だったのか。
 本当は、彼は自分が間違っていることに気付いていたのではないだろうか。
 そう、間違っているがゆえに、彼は旅立った。
 友田の言葉を借りれば、アロンソ・キハーノは「根本的に間違っている」からこそ、彼の裡に眠っていた「妙な回路を起動してしまったのだった」
騎士道物語に影響されて世直しの旅に出る男、パリのガイドブックに導かれて東京の町を闊歩する男。僕の目には二人が同一人物に映る。
 してみると、友田とんとは浮世を忍ぶ仮の名。まことその正体は、ラ・マンチャの郷士アロンソ・キハーノ改め正義の騎士ドン・キホーテだったのだろうか。
 アロンソ・キハーノは存分に歩きまわり、遮二無二戦った。その結果、彼はさんざんに痛めつけられて生まれ故郷の村に戻り、そこで死をむかえる。しかし問題は、当人がその結末を挫折、敗北と看做すか否かである。
 「根本的に間違っている」
ことは、最初からわかっていた。そのように仮定したとき、喜劇と悲劇の境界は音を立てて崩れ落ち、瓦礫の下から、なにかが顔を出す。名状しがたいそのなにかこそ、僕には文学のアウラのごときものであるように思われる。

 文学と人生の乖離が万人の認めるところとなった現在、このようなかたちで両者を混淆しようする試みには、ほとほと頭が下がる。パリのガイドブックを手に東京の町を闊歩する友田とん=ドン・キホーテの旅は、今後どのような展開をむかえるだろうか。
 願わくは、人生に錯乱を。その糧として、文学を。


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