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イマジナリーフレンドの話

眠れない夜、頭の中で色々な声がする。本能的なものとそれを理性的に宥める声、正反対の意見が一個の脳味噌で生まれるなんてそもそもおかしいんじゃないのか?やはり自明である状態こそ正常なのではないかと考えが飛躍することもしばしば。はたして私という人格はたったひとりの僕で作られていると言えるのかどうか。

眠れない夜、ピンクの豚と偏屈な犬を思い出す。遥か昔、彼らは概念であった。幼少のひと時を共に過ごすイマジナリーフレンドというやちゅである。過渡期を超え忘れられるはずだった彼らは、それがどういうわけか身体を持ち、一個の脳内を離れて多くの人間に認知されることになる。偽物も貫きゃ真って偉い人が言ってた、気がする。ともあれ個人の中でのみ存在できるイマジナリーフレンドはかくして共有されたのである。

眠れない夜、アニメや映画を見る。自分の頭の中の声でいっぱいにならないように。真実から目を背けフィクションに逃げ込むのである。ふと、ここで考える。このフィクションもまた、監督や、脚本家や、演出家や、役者や、はたまた政治家や、マスコミや、宇宙飛行士や、蛮族の、頭の中で作られた話で、そうだとするならば、この映画やアニメは彼らの思考そのもので、イマジナリーフレンドととくに変わりはないのではないかしら?私はいつも、自分の声から逃げる代わりに、誰かの創造物に助けられていたのではないかしら?

そこではたと目を見遣る。
私の方を見つめている何某かに。
いつも避けていた声に耳を傾ける。

眠れない夜、私は彼らに名前を与えた。
いつか誰かに紹介できる日を楽しみにしている。

#エッセイ #日記