やりたいことがなかなかやれない理由

書を物するにはあまりにも心の闇が深いことに気がついて呆然とする今日この頃。

半年前〜から、一冊の書籍になるようなコンテンツを作ろうという創作講座に行っている。初回の講義を受けて「はじめに」だけは課題として書いたが、そのあと筆が止まってしまった。

やる気がないわけではない。時間がないわけでもない。いや、時間はそんなにないかもしれないが、いかに何でも半年あったのだし、何なら今は全世界的に絶賛引きこもり推奨期間だ。多少は余裕もできたはず。

なのになぜ。

じつは、長年取り組んでいる「マンガを描く」というところでも同じことが起こっている。

書けない理由を考えてみると、そもそも着手できない、ということが第一。
着手したら、遅いなりに書いたりはできて、なんとか終わりまで書き上がることもあるのだが、そのあとにくる自己嫌悪がすごい。それであとが続かなくなる。

なぜか。

基本的に「自分なんて」という思いがものすごくあるからだろう。「自分の言うことなんて、どうせ誰も聞いてくれない」と自然に思ってしまう。

以前ブログを書いていた時も、無意識だが「わたしのブログなんか、書いてもみんな見ない」という前提で書いていたと思う。

でも、ほんとうは見てもらいたかった。だから、ブログの文章を教えている人に習いに行ったりもした。

それで「人に見てもらうには?」みたいなことを考え始めたら、逆に全然書けなくなってしまった。当時はなぜかわからなかったが、今わかった。「見ていない」という前提だから書けていたのだ。

たまに「見てます」とか、「好きです」と言われることもあった。それは、とてもうれしい。けれど不安になる。

自意識過剰?

ふと高校入学時を思い出した。通学のバスの中で、新しいクラスメイトを見かけて「おはよう」と言いたかった。でも言えなかった。「自分なんか、クラスの一員として記憶されていないのではないか」、「自分なんかが話しかけたら迷惑だろう」と思ってしまった。

今はそこまで思うことはない。けれども、やっぱりTwitterなどで、好きな作品の感想を書いた時に、作者が反応をくれたりすると、うれしいのにとてもびっくりして固まったりする。話をはずませたいのに、ぎくしゃくしてしまう。「自分なんて」という態度はむしろ逆に失礼だと思うけれど、うまく応答できない。

つねづね、オタクが好きな作品やキャラクターなどについて熱く語り合っているのもうらやましかった。自分には熱く語れるものがないなあ、冷めているのかなあ、などと思っていた。ちがった。そういうことじゃない。

「自分なんか」がこれが好きだと熱く語っても、他の人にとっては、どうでもいいんじゃないか、うるさいんじゃないか、迷惑なんじゃないか、そう思って話せないのだった。

自分が言いたいことを、人が聞いてくれる、受けとってくれるというイメージがない。

先日から、刀剣乱舞のミュージカルがDMMで無料でライブ配信されているのを視聴しているが、感動して、周りの人にもちょっとおすすめしてしまった。さらに少々熱く語ってしまった。すると、そのあとの凹みがすごい。

おすすめした相手は「無料で登録してみました」「見てみますね」といってくれたし(社交辞令かもしれないが)、感じよく接してくれたので(本心からかはわからないが)、べつに凹む必要なんて一ミリもないと客観的には思う。

なのに上記のごとく(社交辞令かもしれないが)とか(本心はわからないが)と、エクスキューズをつける発想はなんなんだと思う。卑屈すぎる。相手に対しても失礼だろう。

以前、アフィリエイトに取り組もうと勉強した。アフィリエイトとは、おもにネットで商品を紹介して、販売手数料ないし広告宣伝費を稼ぐというビジネスモデルだ。当時は、プログラムやウェブが作れるから、自分にもできるのではと思ったのだった。

たしかに、技術的にはできる。しかし、アフィリエイトの本質は営業だった。

自分が心からよいと思うもの(刀剣乱舞のミュージカル)を、身近な信頼できる人に、ちょっとおすすめして(もちろん金額などはからんでいない)、それだけでこんなに心に負荷がかかっているのに

自分の稼ぎのために、見知らぬ不特定多数に向かって、特定の商品を「買ってもらおう」とアピールするコンテンツを作り、あまつさえそれを拡散するなど、できるわけがない。

社員として会社のホームページで自社製品をアピールするのならできていた。かつてそれが仕事だった。

だけど、自分の名において、特定の商品をおすすめするとなると、なにかちょっと違う。

「どうせわたしの言うことなんて、どうでもいいよね」と拗ねているくせに、実際には本当に「どうでもいい」扱いを目の前で受けたら絶対に傷つくとわかっている。

自分の渾身の作品や本気のおすすめを掲示しても興味をもたれないかもしれないが、それはつらいなりにまだあきらめがつく。しかし、さほど重要でもない他人の商品を、得られるかどうかわからないアフィリエイト報酬のために、手間暇かけて宣伝して、結果「うるさい」「迷惑」になったらやりきれない、と思ってしまった。

強く宣伝せずに、単にアドセンスなどの広告を貼って、クリックさせるだけという手法もあるが、それでも広告をクリックされやすい配置にするくらいはやる。読む立場としては邪魔な場所に広告があるという認識になると思う。罪悪感を覚える。

話がそれたかもしれない。

結局、上記のことも含め、今までうまくいかなかったことに共通する、最大の理由は「自分なんて」という、自己否定的な世界観、「前提」だった。

思いつくままつらつら書いてきたが、今までなぜこんなにずっと苦しんでもがいていたのか、やっとわかったと思った。

わたしには、表現したいことが、たくさんある。

でも、それを「表現したらいけない」と思っている。

自分の言うことなんか誰も聞いてくれないと思っている。

でも、本当は聞いてもらいたい。

たまに聞いてくれる人がいたりすると、びっくりして、引きこもってしまったりする。

とてもめんどうくさい人間だ。

そんなわけで、自分から営業したり、仕事をとりに行ったりしたことは、あまりない。ありがたくも、むこうから来てくれたものが多い。

もらった案件でも、びびって引っ込んでしまい、結局なしくずしにだめになるみたいなこともたまにある。不義理をして、本当に申し訳なかった。つらい。

こんなことでよく生きてこれたものだと思う。

応募要項があって「受け付ける」とわかっているものだったら、まだ出せるかもしれない。でも、この性質を直さないと、例えばマンガ家になれたとして、毎回担当さんと打ち合わせしてOKをもらってみたいなところを、定期的にこなせる気がしない。

誰にも何も言われない同人誌ですら、だんだん見てくれる人が増えるにつれて、勝手に自滅するくらいなのに。

ブログを定期的に書いていた時期があったので、「文章だったら書けるかも」と思い、冒頭の講座に申し込んではみたものの、講座であつかうのは、基本的に「ビジネス書」の範疇であった。つまりノンフィクション。「ノウハウ」や、あるいは単に自分のことを語るエッセイだとしても、どちらかというと読者を啓蒙するような内容になる。

「自分なんて」と思っているのに、「自分の言うことは、他の人にとって読む価値がないものなんだ」と恐れているのに、他の人に「こうしたらいいよ」なんてどうやって公言できる?

こんなメンタルで誰かのために何か言えるわけなどなかった。

「書き始めるときに、最初に考えましょう」と教えられた「対象読者」などまったく想定できない。この時点で詰んでいた。

このnoteの文章のようなものなら書ける。これには、対象読者がいない。誰に何を伝えたいわけでもなく、ただ書くことで、自分の考えを外に出しているだけだ。

いったん外に出して眺めることで、勝手に「ああ、そういうことだったのね」と、自分の疑問に自分で納得できる瞬間がくる。それを得たいというのが書くモチベーションになっている。

そんなのは、自分しか見えないところで書けよと、思われるかもしれない。もちろん、自分にしか見えないところにも書いてある。

昔はブログに書いていたのだが、「人に見てもらう」ということを意識するようになって、ブログに何も書けなくなったので、自分の手帳とか、テキストに書き殴っていた。

ただ、ブログに書くほうが、読み返したり、表現を工夫したりするため、単に書き殴るより、自分自身にたいする説得力が増すとわかった。「エウレカ!」というひらめきや、納得感が生まれやすい。

だから、対象読者不在の、ひとりよがりでパーソナルな気づきだけをしたためただけの文章があってもいいじゃないか、ということにしてしまった。

なぜか、noteにだったら書ける気がしたから、書いてみた。

結果「なんで、書きたいのに書けないんだ!」という長年の疑問に対する、ひとつの納得する答えが得られた。

そして、このメンタルをどうにかしないといけないようだ。

さもなければ、一冊くらいは何か書けるかもしれないが、継続できない。SNSなどに定期ポストもできないから、拡散もできない。なんならその力がなかったからマンガスクールの選考にも漏れた。

余談だが、漫画家およびその卵には、けっこうそういう自己否定の強い人が多い印象がある。それでもやっているのは、ほんとうにみんなえらいよな、と思う。がんばっている。すごい。涙が出そうだ。いや、まじで出た。

で、結局、どうしたらいいんだ、というところは、現時点でははっきりわからないけれども。

とりあえずは、こんなに「何か表現したい」のだから、よけいなことは気にしないで、ひたすら「表現したい」を形にするしかないのかなと思っているところだ。

そういうのも芸術家っぽくていいかもね?

このダブルバインドっていうのがとても当てはまっている気がする。

最後の方で、この方が「こうしたらいいよ」という解決策を言ってるので、それもやってみようと思う。

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