S-214 鼻のつぶれた男首像(大)
石膏像サイズ: H.35×W.19×D.22cm(原作サイズ)
制作年代 : 1864年
収蔵美術館 : パリ・ロダン美術館他
作者 : オーギュスト・ロダン(Auguste-René Rodin 1840-1917)
若き日のロダンは絵画の分野で非凡な才能をみせ、14歳で帝国素描学校(後に”装飾芸術学校”に改組されたもので、芸術家というよりは、指物師、彫金師、錠前屋、鋳造工などの工芸家を養成する学校だった)に入学します。ここで、ロダンはデッサンに徹底的に磨きをかけ、やがて彫刻と出会います。周囲からの高い評価に後押しされて、フランスの”芸大”にあたる、国立高等美術学院(現在のボザール)への入学にチャレンジしますが、3回の受験はいずれも失敗。これはロダンの力不足ではなく、保守的で古典主義を重んじる美術学校側がロダンの作風と相容れないものだったことが原因でした。
美術学校に入学できなかったロダンは、生活のため彫刻家の下請け仕事に従事するようになります。1850年代のパリは、ナポレオン3世とオスマン知事による大改革が進行中で、パリのいたるところで大工事が繰り広げられ、そういった場所に大量の装飾彫刻の需要が発生していました。ロダンはカリエ・ベルーズという彫刻家の下である程度安定した仕事を得ます。そういった”下請け”の仕事と平行して、自身の作品も貪欲に制作を続けていきました。
美術学校に入学できなかったロダンにとって、残された成功への道は”サロン(官展)”で入選することでした。そして、満を侍してサロンに出店されたのが、この「鼻のつぶれた男」という作品です。”ビビ”という名前の男をモデルにしたこの彫像は、しかし”あまりにも本物に似すぎている”という理由で落選してしまいます。大きな期待を持ってのぞんでいたロダンはすっかり落胆しました。後日、この”鼻のつぶれた男”はアトリエの床に転がって打ち捨てられていたということです。
米・フィラデルフィアのロダン美術館収蔵 「鼻のつぶれた男首像」 石膏像とほぼ同一のもの 後頭部が省略されている
(写真はWikimedia commonsより)