パリ・オペラ座の日々1993~1994:3月27日 パリへ出発
1993年2月19日で会社は退職。結局、有給消化で3月いっぱい働いた扱いになってお給料頂きました。それだけ有給なんてほとんど使ってなかったってことです。この当時はこういうの当たり前でした。
上の写真は当時の東京のアパートで。笑顔は仕事を辞めた解放感かな(笑)
ここからの約一か月はずっと渡航のための準備に追われることになります。
序文でも書きましたけど、フランスの住まいの手配、お金の配分、日本のアパートの退去と家財道具の処分、ビザのこと、航空券… 課題山積でもう二人ともヘロヘロになってしまって、いざ出発する3月末にはもう抜け殻みたいな状態でした(笑)
でもまあ、後は野となれ山となれでとにかく出発!
3月27日(土)
(前日ですでにアパートは引き払っていたので)新宿サウスホテルに宿泊。パリへ出発。田中夫妻が新宿まで見送りに来てくれた。エールフランスで12時間。隣の二人の子供がうるさかった。
翌日パリに到着して、タクシーでアパートの住所へ。はっきり覚えていないんだけど夕方だったような記憶があります。シャルル・ド・ゴール空港からパリの外周道路をグルっと周って、パリ12区のすぐ外側にあるサン・マンデという町へ。ここはメトロの1番線が通っているので、ほぼ市街という感じで郊外の印象はありません。その駅からの目抜き通り沿いにアパルトマンがあります。
(タイトルにしてるこの写真がAvenue de General de Gaulleという通り。すぐ手前がアパルトマンでメトロの駅に向かってなだらかな上り坂)
建物入口のコードNO.は知っていたので、パチパチと押して中へ。想像していたよりはボロい建物。ここの5階に目指す部屋がある…。異様にすり減って傾いた螺旋階段(築100年以上が当たり前のパリのアパートだとこれは普通)をギシギシと上がっていき、預かってきた鍵🔓をゆっくりと回す。
開かない!?
冷や汗がたらり。。とりあえず誰も知り合いなんて居ないし、このアパートの所有者は現在神戸にいる。入れなかったらどうするのよ?やべぇ~~と思いながらもガチャガチャ鍵をいじる。部屋番号が違うのか?建物を間違えたのか?いや、でもアパルトマン入口の暗唱コードは合っていたわけだし…。10分くらいパニックになって悩んでたら、スルっと鍵がもう一周回った!( ゚Д゚)
なにこれ?どうもフランスの鍵はグルグルと2周回すのが標準的なようで(笑) 事前に一言も注意が無かったので、まったく知りませんでした。
(室内。築100年以上のアパルトマンの最上階。60㎡で家具付き)
1か月の慌ただしい事前準備とその後の長旅とで、とにかく疲れ果ててその日は眠りました。まだ寒さが残る時期なのにロクな寝具が無くて(事前にはあると聞いていた)、荷物の衣類をかき集めて布団みたいにして寝ました。
空気が乾燥していて、まるで宇宙空間に来てしまったような感じ。なんでこんなことやってるんだろう?なんでこんなとこ来ちゃったんだろう?と後悔する気持ちがフワフワ浮かんでは消えるような夜でした。
3月28日(日)
パリ到着。疲れ果ててすぐに寝た。部屋が散らかっていてガッカリした。二人とも体調不調。
タクシー代 200F
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