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パリ・オペラ座の日々1993~1994:6月13日 イタリア広場でベトナム料理

6月13日(日)

午後からNO.325のバスに乗ってイタリア広場へ。ところがこのバスはイタリア広場までは行かなくて、結局メトロに乗り換えて辿り着いた。まずベトナム料理屋へ。うどんのような麺でとても美味しかった。南の国はスパイスの使い方がすごいセンスだな。その後、タン・フレールの本店へ行き日本的な食材をあれこれ購入。インスタントラーメンなど前回と同じようなものを買って帰宅。雨がシトシト降っていて日本の梅雨のよう。

ベトナム料理 76F
タン・フレール 110F
カルネ 39F
トイレ 2F


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(パリ13区にあるイタリア広場(Place d'Italie) 右手の近代的な建物が丹下健三設計の「グラン・テクラン」1993年完成)


4月10日に既に訪れていましたが、再度イタリア広場の中華街へ。地図上では、アパートのあったヴァンセンヌの森付近からは距離が近そうに見えたので、バスで行ってみようということになりました。メトロはどうしてもパリの中心エリアに集中するレイアウトなので、外周部分の横移動はバスが便利です。でも路線図がとても複雑で、この日も目星をつけて325番のバスに乗り込んだのですが、案の定イタリア広場までは辿り着けず(笑) 結局メトロに乗り換えました。

13区というのは今もあまり変わらないと思うのですが、ツーリスティックなスポットが少なく、ちょっと田舎臭いエリアです。観光スポットとしては、ルイ14世時代から続く王立のタペストリー製作所であるゴブラン工場(Manufacture des Gobelins)くらいでしょうか。

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(17世紀から継続するゴブラン織の工場)

その代わりイタリア広場の南側にはフランス最大のチャイナタウンが広がっています。1970年代当時に再開発中だったこの地域の高層住宅を、東南アジアからの政治難民に優先的に提供したことが起源で、その後ヴェトナム、ラオス、中国、タイ、カンボジアなどから大量の移民が流入し発展してきました。ショアジー通りとイヴリー通りの間の三角地帯に足を踏み入れると、エキゾチックな飲食店・商店がずらりと並びます。

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高度成長期に日本各地に整備されたニュータウンを思わせる高層住宅群。殺伐とした光景ですけど、パリの外に点在するいくつかのニュータウンのような治安の悪さ(実際に体験したわけではありませんが、語学学校の先生からは人通りの少ない日曜日に郊外へは行くなと警告されました)はなくアジアチックなのんびりした空気が流れていました。


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ヴェトナム、中華料理は、パリの至る所でポツポツと見かけますが、これだけたくさんのお店が集まっているのはこの地区だけ。

1990年代前半、まだ日本でフォーは一般的ではなく、この日食べてすごく美味しく感じました。

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日記に書いてあるタン・フレールというのはこれですね。何店舗もあるみたいでこの写真とは違う場所かもしれないけど。この日は麺類をいくつか買って帰った記憶があります。

13区、12区というのはパリの中でも開発から取り残されぎみだったエリアだったのですが、滞在していた1990年代前半に大きく変貌しつつありました。
12区のベルシー地区は古くはワインなどの貨物集積地、倉庫街だった場所ですが、そこが大きな公園・ショッピングセンター・スポーツセンターに変貌したり、当時の大統領フランソワ・ミッテランによる「グラン・プロジェ」の成果として13区側には新国立図書館TGB(トレ・グランド・ビブリオテーク→後に「フランソワ・ミッテラン館」と命名)が1994年に完成しました。

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新国立図書館。写真手前にも同様の高層ビルが2本あり、巨大な収蔵エリア4館を結ぶように低層の閲覧室が配置されている。

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