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パリ・オペラ座の日々1993~1994:2月24日 引っ越し荷物の発送、イタリア広場で中華


2月24日

昨日からの荷物整理、発送の続き。午前中にペリカンに預ける荷物をまとめて、タクシーでポルト・マイヨへ。ペリフェリック(パリの外周道路)を周ると、春先に怪我をして16区の病院へ通ったときのことを思い出した。2万円くらいで大型荷物を預かってくれて、一安心してポム・ド・パンで昼食。

一度帰宅して、こんどはレ・アル付近のPTT(郵便局)本局へ行き書籍類を再度発送。これでほとんどの荷物が発送完了。残るは手荷物のみ。

カフェで休んでからルーブルへ行き、フェルメール、ギリシャ彫刻エリアを鑑賞。夕方6時にBHVへ行き、食器を包むためのエアパッキンを購入。バスでイタリア広場へ行って、夕食は中華の食べ納め。夜9時半に帰宅。アパート内がガランとして寂しい。

PTT 252F
ポム・ド・パン 46F
ペリカン便 1020F
ルーブル 40F
レストラマ 30F
ルーブル書籍購入196F
カフェ 37F
タクシー 130F
カフェ 40F
イタリア広場の中華 184F


日本を出発するときも大変だったけど、帰る時もあれこれありました。引っ越しって本当に消耗します。ペリカンと郵便局に大きな荷物を預けて、ようやく目途が立った感じになりました。


午後はルーブルに。入場料20Fは当時のレートで400円くらいですから、何度でも気軽に通うことができました。さっき調べてみたら、現在の大人料金は17ユーロということで、127円換算でも2,159円! 5倍ってすごい値上がりですね。

ヨーロッパはユーロになってから全体的に物価が高くなったような印象があります。現在の為替レートは、ユーロに対しても、ドルに対してもそれほど極端な円安水準ではないですけど、これは日本円の価値が相対的に下落したということなのか…? もしくはこの27年間の日本のデフレが酷すぎるのか…? 経済のこと詳しくないのでよく分からないですけど、当時のフランスでは、日本と比べてそれほど物価が高いとは感じませんでした(旅行したスイス、デンマークでは、食事、宿泊など何もかも値段が高かった)

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ルーブルではずいぶん写真を撮りました。当時はフラッシュ無しなら自由に撮影できました。フィルムですから、暗い美術館の中だとなかなか思い通りに撮れず、現像してみたらガッカリというのが何度もありました。

今となってはWikipedia内にパブリック・ドメインの写真が大量に上がってますから、こういう写真もほとんど意味がありません。まさかこんな時代になるとは、当時は夢にも思いませんでした(笑)


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美術予備校では定番の「ラボルトの頭部」(古代ギリシア・パルテノン神殿の破風彫刻の一部)がありますね。1994年はこのように鼻筋が綺麗な状態でしたが、その後発掘当時の姿を尊重する意味合いから、19世紀の修復部分である鼻、顎の部分が除去されました。


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上段の「ヴィエンヌのヴィーナス」もラボルトと同様に、発掘後の修復部分である左足部分が現在は取り除かれています。

下の段の胸の前に手をやる裸体像は「カピトリーノのヴィーナス」と同タイプですが別の彫像。ヴィーナス・プディカ(恥じらいのヴィーナス)という呼称で類型されるものです。


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夜はイタリア広場で中華を(写真は別の日ですね。たぶんイタリア広場?)

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