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パリ・オペラ座の日々1993~1994:6月7日 英国旅行 パリへの帰路 ホワイト・オーク・プロジェクト


6月7日(月)

のんびり起きて朝食を食べて空港へ。パリへの飛行機がずいぶん揺れて冷や汗。フランスの入国に怯えていたが、結局パスポートさえ見ないというずさんな対応で、まずは一安心。疲れ切ってアパートへ帰る。Mさんから長い手紙。(雪)のケガが回復しつつあるので、また新たな気持ちで生活をスタートしよう。

カフェ 1.8P
Tube 1.8P
Stansted express(電車) 19.6P
ハンバーガー 6.2P
アイス 1.2P

RER 62F
八百屋 17F


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帰りのスタンステッド空港にて。疲れた表情。


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今回のロンドンで観たロイヤルバレエ公演のTime outの記事。ロイヤルでの初演だった「La Ronde」は、Glen Tetleyがカナダ・ナショナルバレエのために1988年に振り付けたもの、との解説があります。

ニネット・ドゥ・ヴァロワ振り付けの「Check-mate」と、バランシンの「放蕩息子」は、ヴァロワさんの95歳のお誕生日を記念しての上演だったようです。当時はまだ存命だったのですね(2001年に103歳!で亡くなっています)。バレエ・リュスに参加して、ディアギレフの立ち居振る舞いからバレエ団を維持してゆく方法論を学んだヴァロワだったので、バレエ・リュス後期のレパートリーの「放蕩息子」は所縁がある演目なのかもしれません。

↑ そしてこのTime outの切り抜きをご覧あれ!!!
バリシニコフ&トワイラ・サープの公演がサドラーズ・ウェルズ劇場でありました。サドラーズ・ウェルズ劇場は、現在のバーミンガム・ロイヤルバレエ団が発足当時ホームグラウンドにしていた劇場ですね。

ミハエル・バリシニコフは、ABTのドン・キホーテなどをLDで見て大好きなダンサーの一人でした。当時はすでにABTを離れて「ホワイト・オーク・プロジェクト」という少人数のカンパニーを主催していました。なぜこちらをチョイスしなかったかというと、じつは前年に日本公演を観ていたのです。すでにクラッシックバレエダンサーとしてはピークを過ぎていたバリシニコフは、比較的モダンで抽象的な振り付けに取り組んでおり、あまり面白いと思えなかったんです。今ならまた全然違う見方をしたと思いますが、当時はLDなどで見ていたクラッシックバレエでの驚異的な跳躍、表情豊かな踊りを期待していたので、ちょっとがっかりしていたのです。

英国から戻って、この後6月10日からはジゼルが始まります。バレエばっかり(笑)

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