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パリ・オペラ座の日々1993~1994:  序文 ⑤フランス語はどうなのよ?

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正直に白状します。じつは二人ともたいしてフランス語できません(笑)

正確に言うと、”当時は”二人ともたいして喋れなかった。でもその後妻はずっとフランス語の勉強を続けていて、今はずいぶん読み書きできるみたいです。僕の方はすっかりご無沙汰してしまって、もう綴りもほとんど忘れてしまいました。

英語でもフランス語でも事情は同じだと思いますが、近所の人とちょっとした会話をするとか、市場で買い物するなんてのは大丈夫なんです。だけどテレビのニュース番組を聴きとったり、フィガロの記事を読むというのはまた次元が全然違う話で、新聞なんかさっぱり読めなかったです。見出しだけでも四苦八苦。外国語の学習がある程度のレベルに到達するには、並大抵の努力では足りません。

フランス語の勉強をしたい、しなきゃ、という思いはあったのですが、それを優先してガチガチに語学学校のスケジュールを組んでしまうのは抵抗がありました。もう少しゆったりと滞在して、ヨーロッパの文化、風景、人々をじっくりと味わいたいという思いがありました(そのためには語学の上達が必須なんですけどね…笑)。だから出発前には一切学校への入学は検討せず、渡仏してから考えようということにしていました。

1993年の出発前の状況は、僕は大学の一般教養のフランス語の授業を週一で一年間受講しただけ(ドイツ文学科だったので、第二外国語は英語でした)。妻は知人の私塾でやはり一年くらい勉強していました。

とういうことで、渡仏した時点ではフランス語よりも英語(これも相当怪しいけど)の方がずっとマシかな…というレベルでした。がっつり一年間過ごすなら、語学は達者な方が良いのは百も承知でしたが、しっかりフランス語に取り組んでから出発というわけにもいかず、見切り発車でした。

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↑当時の単語帳です。

そんな状況ではありましたが、実際にパリで生活を始めてからはずいぶん熱心に勉強しました。最初の3カ月は、とにかく午前中はお互いに勉強しようという取り決めにして、自学でガリガリやってました。夏の旅行シーズンが終わった後には語学学校にも通いました。これは誰でも入学できる気楽な学校でしたが、週3回の授業を3か月経験して、最終的に帰国するころにはずいぶん能力は上がったような気がしました(それでも新聞は読めない…)。

・そもそも語学の上達を滞在の第一の目標にしていない
・妻と同居で二人で常に日本語で会話してる
・大都会なので薄いコミュニケーションでも生活が成り立つ

本当にフランス語の能力を高めたければ、まず日本でしっかり基礎を固めて、渡仏した時も日本語と疎遠な環境を作らなければダメですよね。そういう意味ではとても中途半端だったと反省しています。大学の仏文科でしっかり勉強している皆さんとは全然違った形での海外生活でしたが、それはまあ自分達らしいスタイルだったと思うし、学校にこだわらないことで自由な時間がたくさん手に入ったのも事実でした。


つづく。

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