見出し画像

L-601 香を焚く女レリーフ

石膏像サイズ: H.85×W.69×D.11cm(原作サイズ)
制作年代  : 紀元前460年頃
収蔵美術館 : ローマ・カピトリーノ美術館 アルテンプス宮収蔵
出土地・年 : ローマ 1887年

このレリーフは、紀元前5世紀に古代ギリシャで製作された「ルドヴィーシの玉座」と呼ばれる巨大な大理石製の玉座の一部です。1887年にローマの名門貴族ルドヴィーシ家の領地から発掘されました。この発掘場所は元を辿ると紀元前1世紀の古代ローマの歴史家サルスト(Horti Sallusutiani)の整備した庭園でした。ローマの北西に広がる広大なエリアですが、サルスト以降も歴代のローマ皇帝が整備を継続したため、たくさんのパヴィリオン、神殿が建設され、近世以降の考古学的な発掘調査で様々な歴史的な遺物が出土しました。

ルドヴィーシの玉座は、古代ギリシャ時代に制作されたオリジナル作品と考えられています。アッティカなどの当時のギリシャ文明の中心エリアではなく、マグナ・グラエキア(大ギリシア)と呼ばれるギリシャ人達が植民したエリア(シチリア・南イタリアなど・・)で制作されたもののようです。長らくその由来について議論が交わされてきたのですが、1982年の研究発表としてLocriという都市近郊のMarasaの神殿に関連するものだということが明らかになっています。紀元前480年頃に、このMarasaのアフロディーテ神殿(Ionic temple of Aphrodite)が再建された記録があり、今も残るその神殿跡の礎石部分に、この”ルドヴィーシの玉座”の底面と一致する痕跡が残されています。また、神殿に奉納されたテラコッタの飾り板などの様式にも共通する要素が見られ、現時点では玉座はこの神殿のために制作されたものと考えられています。その後、帝政時代のローマへと移動されサルストの庭園を飾っていたのでしょう。この玉座に描かれた3面の図像については、同時代の遺物に共通性を持つものが見つかっていないため、研究者たちの間では様々な説が議論されてきました。中央の「ヴィーナス誕生」の部分については、”大地の裂け目から出現するペルセポネ(冥界の神)”、”パンドラ”、”カナートスの泉で沐浴するヘラ”、といったように様々な解釈が提出されています。

余談ですが、この”ルドヴィーシの玉座”には、双子の兄弟のような作品が存在します(参考リンク http://www.mlahanas.de/Greeks/Arts/LudovisiThron.htm)。”ボストンの玉座(Boston throne)”と呼ばれる古代遺物で、ルドヴィーシの玉座が発掘された7年後の1894年にローマで発見されました。ルドヴィーシの玉座が、ルドヴィーシ家からイタリア政府に売却されたのに対して、こちらのボストンの玉座はアメリカ人コレクターのEdward Perry Warrenによって購入され、ボストン美術館に寄贈されました。ただ、ルドヴィーシの玉座が紀元前5世紀頃のものであると広く認知されたのに対して、このボストンの玉座には常に贋作ではないか?との疑いがつきまとっていました。結局1996年の学術的な研究発表で、このボストンの玉座は”19世紀に作られた贋作”か”ローマ時代に作られたもの”と結論付けられてしまい、現在のボストン美術館の展示からは抹消されています

ローマ・カピトリーノ美術館収蔵 「ルドヴィーシの玉座」 各面の映像 紀元前460年頃 (写真はWikimedia commonsより)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?