社会不適合者、【虐待の連鎖】を語る

前置き無しで始めます。

俺、虐待されてました。

性的虐待も、暴力や言葉による虐待も、今流行りのヤングケアラー生活も、全部ありました。

幼稚園の頃は転園が3回あって、どこにも馴染めなくて辛い上、晩飯時は両親の喧嘩時。

小学生になる頃には流石に離婚していて、父子家庭になってましたけど、父が血の繋がらない姉に手を出しており、その姉が俺に手を出していました。

手を出していた、というのは、性的に、という話です。

小学四年生だか五年生だかの頃に姉が出ていくと、かなり平和な時間が訪れましたが、父が女を連れ込む時に起きていると、顎を蹴飛ばされて気絶させられました。

そこに関しては、その蹴りの技術に、今でも素直に感心しています。

ここまで書くと、俺、可哀想な奴なんですけどね。

その頃、弟には前歯がありませんでした。

俺が全部折ってやったんです。

言うことを聞かないし、同じことを何度も言わせるから。

その弟は、中学生になると、母親が新しい家庭で授かっていた種違いの弟に、自分の性器を舐めさせていました。

それがわかった時、母の新しい旦那は激昂し、俺達は二度と、母の家には行かない事になりました。

まぁ、ここまで書いとけば、もう伝わってると思いますけど、あえて言います

虐待、連鎖するんすよね。

なんなら子供の間でも、子供同士で連鎖する。

弱い者同士が支え合うなんて、殆ど無い。

弱い者は、より弱い者を見つけて、同じことを繰り返す。

それが、人間の仕組みです。


ただ、俺は中学生になる頃には、もう弟を殴ることはありませんでした。

むしろ、小学校でいじめられがちな弟を守ろうと、細かく気を配っていた程です。

でも俺、その時、クラスメートをめちゃくちゃ殴ってました。


いじめじゃなくて、いじめをする奴を、お前はいじめをしていたからと、難癖をつけて殴るんです。

正義感は⒉割くらいで、負い目がある奴なら殴ってもチクられないだろうと、そんな打算的な考えが8割だったと思います。

弟をいじめる奴も殴って、絡んでくる奴にも必要以上にやり返して、中学を卒業して少し経つ頃には、喧嘩相手の瞼をホチキスで綴じるキチガイとして、一部の過激な界隈の中で、少しだけ名が知れていました。

弟も、最初の内は、「俺のお兄ちゃんは○○(俺の名前)だぞ」と言って、俺の名前で身を守っていたようです。

でもいつからか、「お前の弟なせいで友達ができない」と、俺の振る舞いを責めるようになりました。

俺は、ホチキスで喧嘩相手の瞼を綴じますが、その頃にはもう、自分から誰かに喧嘩を売ったことなんて、一度も無かったのに。

そうして少しだけ名が知れても、俺は喧嘩を売られます。

何故ならその頃の俺の喧嘩は、素手で堂々と殴り合うような立派なものじゃなく、目についた手頃な道具をフル活用して相手を痛めつける、かっこ悪い上に重傷を負わせやすい、めちゃくちゃタチが悪いやり方だったからです。

コーンがあれば牽制に投げつけ、立ち入り禁止看板があれば振り回して叩きつけ、人の原付があれば相手に向かってアクセルを全開にし、その瞬間に手を離して、ウィリーしながらひとりでに走る原付をぶつけていました。

ホチキスで瞼を綴じるのも、同じ相手に何度も絡まれるのが怖かったので、二度と関わりたくないと思わせる為の、苦肉の策でした。

俺は本当は痛いことが苦手です。

家でアニメや漫画を楽しんだり、ゲームで遊んだり、小説を書いたりするのが好きなような、大人しい人間なんです。

喧嘩は、そもそも本当なら、したくありませんでした。

したいのは一方的な暴力を振ることで、知らない相手に絡まれるかもしれないと思って過ごす日々は、めちゃくちゃ怖かったです。

突然ですが、中学を卒業して1年ほど経った頃、俺は自分の姪っ子に出会い、生き方を変えることに決めました。

赤ちゃんは無垢なんです。


俺の振る舞いや考え方が、自然と彼女に移ってしまう可能性があると、俺は思いました。

タバコをやめて、夜中に出歩くのをやめて、悪い仲間との付き合いをやめて(そのせいで色々あり、地元のドンキがトラウマになりました)、一人称を僕に変えて、ガサガサで低かった声を、間抜けでも高くて優しい声に変えて、そうして、姪っ子と生きていくことにしたんです。

ただ、その頃家の中では、出戻りした姉が、父を責めながら発狂するようになっていました。

父は俺達兄弟に言います。

「家族なんだから支えあおう。 お前達は我慢してくれ」


父は、姉が俺に性的虐待をしていたこと、弟にも少しだけ同じことをしていたことを、まったく知りませんでした。

自分が俺達をネグレクトして過ごしていた事も、酔って女を連れ帰った時に蹴った事も、気分次第で8時間近く立ちっぱなしにさせていた事も、門限を1分破るだけで3時間近く締め出していたことも、全部忘れてました。

それで、言うんです。

「お前達は我慢してくれ。 お姉ちゃんは俺のせいでこうなったんだ。 だから、お前達は支えてくれ。 家族なんだから」


めちゃくちゃ都合のいい話です。

姉は包丁を持って暴れ、父は謝り続け、俺と弟は何も出来ずに過ごす。

本当なら、俺も姉と同じようにする権利があるのに、それはせず、むしろ支えてくれと、父は言う。

何もかも、お前が始めたことが、お前に帰ってきているだけなのに、その尻拭いをあろうことか、被害者自身に手伝わせている。

最悪だ、と思っていました。

それどころか、ある日、暴れ疲れた姉が寝静まった夜、父は酒を飲みながら、ぐちぐちと言い訳を始めたんです。

「俺がお前達を引き取ったのは、こんなことのためじゃない」

「俺は子供の頃、お父さんが好きだった。 だから、お父さんとお母さんが離婚した時、お父さんについて行きたかったんだ」

「でも、お父さんは言った。 邪魔だからついてくるな、って」

「俺はそれが、とても辛かった。 いらないって言われたんだ。 だから、お前達を同じ目に合わせたくなかった」


それを聞いていた16歳の俺は、「はあ、なんの話でしょうか?」と思いながらも、黙って聞いていましたよ。


「お前達もすぐにお母さんの所に行くと思ってたんだ。 お母さんはな、お前らをすぐに迎えに来るって言って置いていったんだよ」

「誰にも内緒で重ねてた、200万の借金と一緒にな」

「借金があったらお前達を育てられないから、借金を背負って欲しい。 その間に生活を建て直して、そしたら、3人を迎えに来るから。 お母さんはそう言って出ていったんだよ」


父は涙を流し、手にしていた酒の缶を置くと、弱々しく頭を抱えました。

「そしたら、離婚した次の年には、もう子供が産まれてるんだもんな。 で、それを理由に、借金も、お前ら3人も、全部よろしく、って言って」

「そこからだよ。 俺はおかしくなった。 訳が分からないと思いながら、沢山酷いことをしたし、そのせいでお姉ちゃんもあんな風になっちゃったんだ」


泣く父を見ていると、俺はもう、父を責める気にはなれませんでした。

馬鹿みたいですが、そもそもとして、「家族なんだから」という言葉が嬉しかったんです。

そのうえで、こんな話を聞かされて、目の前で泣くところまで見せられたら、恨みや憎しみなんかよりも、なんでこんなに誰も彼もが辛い目にあわなきゃいけないのか、そればかりが気になるようになっていました。

そうしてしばらく、負の感情の矛先は、母に向いていました。

ただ、母方の祖母と、母の妹であるおばさんが暮らす家に行った時、何気ない雑談から、母も祖母から虐待を受けていた事を知ります。

母も、被害者で、苦しみながら生きている人間の1人だったんです。

その時、俺は、俺を不幸な目にあわせた全ての人達が、みんな可哀想に思えて、なんとも思えない気持ちになりました。


多分、人間は皆、最初は善くも悪くもなく、無垢なんです。

真っ白な絵の具に、黒色の絵の具を落とすと、灰色になるように。

無垢な子供に、辛い思いをさせると、それが忘れられない人間が育つ。

辛い思いが染みついた人間は、心が弱った時に、無意識で人に同じことをする。

虐待も、犯罪も、そうやって連鎖するんだろうと、18歳になる頃に、ようやく気がつきました。

そうして俺は、誰も憎まず、誰も彼もを許し、目につく誰も彼もを助け、他人だろうと困っていれば積極的に声をかける、仏の真似事をする人生を送り始めたんです。

で、その6年後、ハチャメチャに鬱になって、何も出来なくなりました。

何かを悟った気になって、色々な人を救おうとしたところで、俺が心に負っている傷は無くならないし、俺の甘さを食い物にする人間は沢山いましたから。

鬱になった後、頼りたいと思える人はいなかったし、助けてくれる人もいなかったし、中には真剣に心配をしてくれる人もいましたが、そういった人達はこぞって無力でした。

自分を心配してくれる優しい声に、口ではありがとうと言いながら、内心では「使えねえな…」と蔑んでしまう。

そんな自分に気づいた時、また自分が嫌いになって、頭の中で色々な自分が争い、混ざり、どんどんグチャグチャになっていくことに、苦しむばかりの日々を送っていたんです。

少し話が戻りますが、我が家の中で頻繁に起きていた揉め事は、俺が悟りを開いた気になった18歳頃から、一気に落ち着いたものになっていました。

暴れる姉を抱きしめ、父にはどこか見えないところに行くように頼み、姉の心の痛みを察して甘い言葉をかけて、落ち着くまで何時間でも泣き言に付き合う時間。

それを意識するようにしただけで、驚くくらい、何もかもが丸く収まるようになりました。

で、それから数年経って、俺がハチャメチャに鬱になったその時、俺を助けてくれる家族は、誰もおらず。

バカみたいですよね。

めちゃくちゃ笑いましたよ。

自分で自分を、心底愚かだったと思いました。


わかりますか?

祖母が母を虐待し、祖父が父にトラウマを残し、その二人が姉を虐待し、姉が俺を虐待し、俺が弟を虐待し。

弟は誰にも心を開かなくなり、俺は誰にでも愛想がいいだけの空っぽな人間になり、姉は自分がされたことの恨みを父にぶつけ、父は二度と会うこともない母を恨み続け、母は結局、新しい家庭でも子供を捨てて離婚していて。

俺が姉の恨みを受け止め、父の愚痴によく付き合い、母の誘いに応じて毎週のように2人で出かけ、働いて稼いだ金で、せめて人生が楽しめるよう、弟に毎月のように好きな物を買ってやって。

その結果、みんな笑って過ごせるようになって、仕事でその時間には帰れない俺抜きで、3人は姪と一緒に、毎晩一緒に食卓を囲めるまでに落ち着いて。

その後、俺が鬱になった時、誰も俺を助けてくれなかった。


虐待の連鎖は、一応止まったんです。

俺が受け皿になって、壊れるまで無茶をしたおかげで。

でも、誰も俺の努力に気づいていないし、俺を傷つけた奴はそのことを忘れているし、俺が軟弱だから勝手に鬱になったと思っていて、何もしてくれないどころか、金払いの悪くなった俺を罵るようにさえなっていた。

今度は俺がみんなの共通の敵になって、文句を言われ、罵られ、みんなの矛先が向き合って傷つけ合うことのないよう、虐待の連鎖を止める器から、ストレスをぶつけられる的になった。

みんな丸くなったと思ってたんです。

でも、誤魔化してただけでした。

父だけは、それなりに気づいていたようで、ただ、一言「ごめんな」と謝ってきました。

それから、「お姉ちゃんで手一杯だから」と、何も出来ないことも暗に伝えてきました。

家族だから、支え合うんじゃ、なかったの?


めちゃくちゃ笑えました。

今でも笑えます。

俺は関東、奴らは東海で、完全に離ればなれのまま、縁を切ることにしました。

二度と会わないし、二度と話さないし、二度と家族になる事の無い状況が、心理的にも、物理的にも、仕上がった訳です。

そうして、本当の意味で1人っきりのまま、俺は鬱に苦しみ、自分の甘さを憎み、俺の甘さを利用するだけ利用した連中も憎むようになり、誰かと関わることを完全にやめました。

鬱になる前は、近所のコンビニ店員の人とさえ仲良くなっていて、バレンタインにはチョコを貰えるくらいだったんですよ?

職場で偶然知り合った見知らぬおじいさんの為に、暇さえあれば老人ホームに通い、6時間でも半日でも、ひたすら繰り返される同じ話に付き合い続けていた、俺がですよ?

かかってくる電話は出ない。

LINEはトーク履歴ごと消した。

誰も知らない、誰も見ない、聞かない、触れない、関わらない。

それが、今の俺です。

虐待の連鎖を、人の善性を信じて止めようとして、困っている人を、きっと辛いだろうからと全力で助けて、最後、見知らぬ土地で、一人ぼっちになってるんです。

くっだらねえよなぁ。


俺が社会不適合者を自称しているのは、今もまだ、その状況から抜け出せていないからです。

心理的にも、金銭的にも、何もかもがそのまま。

一応お嫁ちゃんという同居人がいますが、彼女は半年前にとある揉め事が起きるまで、気分が悪くなると俺を殴ったり蹴ったり、簡単に死ねと言ってくるような人でした。

何度も言います。

虐待の連鎖は止まりません。

誤魔化せるだけです。


誰かが正気になって、その連鎖を止めようとしても、その人が苦しむだけなんです。

虐待の連鎖は止まらないので、もし虐待に苦しんでいる人がいたら、諦めてください。

その家にこだわることを諦めて、逃げてください。


いつか良くなるなんてこと、期待しないでください。

信じて待つ時間を、逃げてやり直す時間にしてください。

自分の家が、周りに比べて変だと気づいた時、それを認めるのはとても苦しいでしょう。

俺も同じ気持ちで、最初の何年かは考えないようにしていました。

でも、それに気づけたあなたは、正常なんです。

優しさに酔って狂った挙句、ボロボロのまま一人ぼっちになる前に、正常におかしいものをおかしいと言いきれる内に、逃げてください。

あなたがまだ幼い子供なら、頼れる大人を全力で探してください。

でも、大人は困っている子供を食い物にする事があります。

俺も16の時に家出をしたのですが、年齢を知った上で身体の関係を求めて来て、代わりに寝食を提供してくれるような奴がいます。

男でも女でも、です。

いいですか、そんな手段に頼らなくても、日本にはもっと頼れる大人達がいます。


俺がそれを知ったのは、もう助けて貰えない年齢になってからでしたが、まだ間に合う人達は、必ずその人達を頼ってください。

調べられる時に調べて、頼ることを恐れず、しっかりと助けを求めて、辛い環境から逃げ出してください。

虐待の連鎖は、絶対に止まりません。

あなたが次の加害者になる前に、いち早くその家から逃げてください。

できることは、それしかないんです。



以上、“社会不適合者、【虐待の連鎖】を語る”でした。


珍しく熱くなってしまいましたが、どれもフィクションじゃありませんし、本気で困っている人に届いて欲しいと思っています。

今、俺は、Twitterでおちんちんびろーんとか言うばかりの、かなりやばい中年男性になりました。

なにせ、おちんちんびろーん、ですからね。


この記事を読んだ1人でも多くの人が、そうならずに済みますように。

最後まで読んでくださった方も、このページにアクセスしてくれただけの方も、関わってくれた全ての人に感謝します。

ありがとうございやした!!!


…と、ここまで書いて投稿しようとした時、タグに虐待と入力すると、虐待サバイバーなんて言葉が出てきました。

虐待サバイバー、めっっっちゃくちゃかっこええやん。

どういう意味かと思って検索してみたら、虐待を受けて育った後、無事に成人になれた人の事を指すそうです。

ずらりと並ぶ検索結果をボーッと眺めただけですが、はぁー、なるほど、世の中結構、虐待されて育った人がいるんだなぁ、なんて風に感じました。

今回の記事、虐待の部分の描写をかなり軽めにしているんですけど、それはこの記事を見た人が、読んだ時に辛すぎる気持ちにならないよう、配慮してのものです。

僕自身、そういう部分を鮮明に思い出しながら文章を書いていると、どんどん当時の気持ちに飲まれてしまい、しばらく立ち直れなくなります。

わざわざ一人称を俺にして記事を書いていたのも、そうやって気持ち負けしないよう、強がってのものなんですよね。

そこ、泣いちゃうからダサいとか言わないで?

ここまで言えば伝わっているかもしれませんが、要するに、今まで虐待に関する事を調べたり、そもそもそういった要素に近づこうとする機会さえ、ほとんど無かったんですよね。

昔、児童相談所のお世話になるかもしれない時があって、その時にほんの少しだけ、調べた事はありましたが…。

…なんにせよ、今は本当に、虐待に対する救済措置が、沢山あるみたいです。

虐待を受けても生き延びて、なんとか身体だけが大人になれても、親から子供として扱われずに、孤独な気持ちで育った人間は、心がずっと子供のままです。

心が子供のまま社会に放り出されると、恐ろしいことに、いきなり全てのことが自己責任という言葉で片付けられるようになり、それを疑問に思うことも出来ないんですよね。

でも、虐待をされている人間は、そういう扱いに耐えるプロフェッショナルです。

ただ、学生だった時と違うのは、ただでさえ家で辛い目にあってきたのに、職場でミスをすると、家以外の場所でも辛い目にあうようになる、ということ。

そしてその辛い目が、完全に自己責任だと思い込んでしまう、ということ。

家は辛い、職場も辛い、そして全ては自己責任。

その時、耐えることのプロフェッショナルである虐待サバイバーは、誰かに頼るのではなく、限界まで耐えることを選びます。

そして、限界が来た時、どうなるのか?

宣伝みたいになってちょっと嫌なんですけど、参考として、

“社会不適合者、【自分が死にかけた話】を語る”

僕はこんな事をしていた、みたいな事が、書いてあります。

と言っても、このリンク先の記事は、虐待とは切り離した書き方をしてあるので、やっぱり参考にはならないかもしれません。

そもそも僕は、人が読みやすいと思えるようには文章を書いていないので、ただでさえ長いこの記事を、なんとかここまで読んでくれた人に、リンク先の長文まで読んでくれとは言いづらいな、と思いました。

なので、今ハッキリ言うと、死にます。


中には自己責任なんて言葉を使わない、いい職場もあります。

僕も何度か当たりましたし、そこでメキメキ実力を伸ばして、責任者を任されかけた事が、何度もありました。

ただ、そこでも一つ、虐待サバイバーの欠点が浮かび上がります。

これは僕だけかも知れませんが、人の褒め言葉が信じられないのは序の口として、信頼されて責任を与えられた時、それに耐えられずに逃げ出してしまうんです。

おかげで僕は、何度も正社員のチャンスから逃げ、基本的に派遣社員とアルバイトを繰り返すだけの、金銭的に苦しい人生を送り続けてきました。

罵られ、虐げられてきた人間には、責任者として誰かの分まで責任を負える程、自分を信じる度胸がついていないんですよね。

もし、その責任に耐えて、精一杯責任者をやったとしても、それもいつかは限界が来ます。

僕の経験と、弟を見ていて思った事から察するに、多分、虐待サバイバーの仕事と言うのは、2種類に分類されると思います。

一つ、同じことの繰り返し、低時給で責任感も少ないもの。

一つ、臨機応変に対応し、高時給だけど責任感も多いもの。

多分、虐待サバイバーって、外面最強の完璧主義タイプと、内面引きこもりのニヒリストタイプの、2種類になると思うんですよ。

前者はなんでも完璧にこなせないと不安になって、後者は自分にも他人にも期待出来ない。

どちらにしろ、生き辛いのは一緒で、誰も助けてくれないことも、また一緒です。

仕事に関して、他にもまだまだ語りたいことはあるのですが、あまりにも長くなり過ぎている気がするので、ひとまずはここで終わりとします。

虐待サバイバー、良い言葉ですね。

そんな虐待サバイバーの方が、もしこの記事をここまで読んでくださっているのなら、最後にひとつだけ、忠告させてください。

今回の記事に登場する、僕の身体を求め、代わりに寝食を提供してくれた人達は、話を聞いていると、どうやら皆、虐待サバイバーのようでした。

弟も、ネットで知り合った相手を未成年だと知った上で呼び出し、カラオケボックスなんかで性交をするような、完全な性犯罪者になっています。

誰もがかつては、被害者でした。

その内の一人である弟が、ニヤニヤしながら、自慢するようにスマホのデータフォルダを見せてきた時、僕はただ、嫌悪感と後悔に苛まれ、弟を責めることしかできませんでした。

その後、弟が自慢げにしていることがどれだけくだらないことなのか、身をもって理解させる為に、かなり酷いこともしました。

結果、僕と弟は、他の家族より一足先に、絶縁状態になった訳ですが…。

とにかく、今回の記事で伝えたかったのは、虐待そのものではなく、虐待は連鎖する、ということです。

虐待サバイバーになれたとして、そこで安心しないでください。

辛いかもしれませんが、その痛みは、決して忘れないでください。


痛みから目を逸らしたまま、気分がいいことだけを求めて行動した時、虐待サバイバーは、簡単に加害者側に堕ちます。

僕がお嫁ちゃんと呼んでいる女性でさえ、虐待サバイバーなんです。

父さえ、母さえ、もしかしたら、その父や母までもが。


現代の日本には、虐待されている子供を助ける仕組みが、結構あります。

今虐待を受けている子供は、そういう仕組みを積極的に利用してください。

虐待がある環境から抜け出すのは、早ければ早いほど良いと思います。

虐待があなたの中に染み込む前に、なるべく早く、正しい大人に、助けを求めてください。

そして、虐待サバイバーの皆さん。

現代の日本には、虐待サバイバーを助ける仕組みは、そんなに無いです。

虐待サバイバーの方は、自分が加害者にならないよう、特に気をつけて過ごしましょう。

そして、身の丈に合わない無理をして、僕のようになることもないよう、穏やかに生きてください。


書いてて疲れる追記でした。

きっと読んでくださった方も、どっと疲れてしまったでしょうね。

お付き合いいただき、本当に、ありがとうございました。

おちんちんびろーん!!!!


ね、こんなおじさん嫌でしょ。

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