社会不適合者、【パターナリズム】を語る
おはようございます、社会不適合者です。
小学校中退を自負している超低学歴の僕が、パターナリズムというものについて軽く調べた成果&その中で生じたいくつかの疑問を、なるべく分かりやすい説明で紹介したいと思います。
そもそもパターナリズムって?
漢字になると父権主義とか言われるもので、その字のごとく、一家の家長である父のように、子供に自分のエゴを押しつけるようなやり方を言うみたいです。
Wikipediaから抜粋するとこう。
”パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。親が子供のためによかれと思ってすることから来ている。”
対義語にマターナリズム(母性主義)というのがあり、そっちは“子の成長を見守る母親のように、本人の意志を確認した上で、寄り添うように支援をする姿勢のこと”を言うらしいです。
僕がTwitterで勝手にフォローしてこっそり勉強させていただいている先生は、リベラルの対義語としてのパターナリズムを解説してくださっていて、その解説がきっかけで、僕はこの言葉を知れました。
数年ぶりに学びのきっかけをいただけたので、めちゃくちゃ有難いです。
リベラルの対義語としてのパターナリズムにも関心があるのですが、今回はまず、パターナリズムそのものの話をさせていただきたいと思います。
パターナリズムの色々な形
低学歴なりに調べてみると、どうやらパターナリズムには、色々な形があるようです。
僕はとりあえずの仮称として、【刷り込み系】と読ぶ事にしたですが、どうやら意に反して意思決定する場合だけでなく、そもそも当人が意を持つ前の段階から、無断で意思決定をしておくことも、パターナリズムと言われるみたいです。
バイクに乗るならヘルメットを、車に乗るならシートベルトを…こんなのも、パターナリズムと言うそうですよ。
そうなってくるともう、産まれた子供の名付けの時点でパターナリズムになってしまう訳ですが…これは極論過ぎますね。
色々浮かびましたが、一旦忘れましょう。
で、正式な言葉でもウィークパターナリズム、ストロングパターナリズムという違いがあり、前者はいわゆる「需要や必要が見込まれるならパターナリズムも是とされる事態」を示し、後者は「権力者側の都合で発生するパターナリズム」を示すそうです。
前者は「熱があるけど、病院は嫌いだから行きたくない!」と駄々をこねる子供を、無理矢理にでも病院に連れていくような事態を指すみたいですね。
ウィークは弱点を意味する英語だった気がするので、要するに「弱みにつけこんで勝手に意思決定をしてやる!」ということなのかな?
例えば社会生活を知らない子供に対し、「社会生活に備えて、お前の進路はこうするべきだ!」と決めつけるのも、ウィークパターナリズムなのでしょうか? これはストロング?
うーん、ちょっと判別が難しいような…これに関しては時と場合でまた変わりそうですね。
コメントなどでご意見いただけると、本当にありがたいです。
えっと、他にも少しだけ調べたのですが、とある教育者の論文に、「義務教育がそもそもパターナリズムである」といった趣旨の発言がありました。
パッと見て長かったのと読みづらかったのとで、そこだけ読んでサッと閉じてしまい…曖昧な話ですみません。
このパターナリズムという概念は、一度掘り下げ出すとどこまでも深く根づいているものなんだな、と思います。
思うに、脱パターナリズムとは、「権力や能力を持ちながら、相手の人間性を本心から尊重し続ける」こと。
パターナリズムとは、「自分の持つ権力や能力(知識など含む)によって、相手の人間性を無視し、その行動を自分の思う状態に誘導、あるいは強制的に移行させる」こと。
簡潔に言ってしまえば、そんな感じなのかな、と調べている限りでは感じました。
まだ断定はしてないので、色々な方の意見が聞いてみたいです。
パターナリズムの疑問点
そこまで調べてふと疑問に思ったのが、例えば育児における子供への道徳教育などは、どこまでがパターナリズムで、どこからがそうでないと言えるのか、でした。
正直まだ、よくわかっていません。
僕は自分が育児に携わる機会があった時、その子供にはとにかく「人の話をよく聞くこと」、「絶対に怒らないこと」、「相手の気持ちを考えて行動すること」、この3つを守りさえすれば、好きに生きていいという教育方針で接していました。
ただ、これ、やってみると疲れるんです。
その子とはもう一緒に居ませんし、二度と会うこともないのですが、今でもそれが正しかったのか、パターナリズムと言う言葉を知って尚、さらに迷うようになってしまいました。
おそらく、頭ごなしにああだこうだと教え込むんじゃなく、本人の日常での振る舞いをよく観察して、その中で万が一欠点があるようなら指摘する、というのが、本人にとって過ごしやすい育てられ方なのかもしれません。
もちろん、長所を伸ばせるよう支えることも忘れずに。
もう1つ、僕が気になり続けている話があります。
少し長いのですが、これまた僕の主観の体験談です。
聞いていただき、何か思うことがあれば、コメントで教えていただけると有難いです。
パターナリズムという罪
僕の地元はとにかく治安の悪い場所でした。
トヨタ系に就労して高収入を得たいと考えた外国の方が多く暮らしている、東海地方の真ん中辺りの土地です。
そこでは外国人の子供の多くが、中学を卒業する頃から次第に道を踏み外していき、薬物売買や違法風俗、窃盗団や集団詐欺行為など、いわゆる反社的な暮らしに染まるようになります。
※これが絶対に許せないことかどうかは、ひとまず胸の内に締まっておいてくださると有難いです。
僕も幼稚園児の頃、親戚が薬物中毒からの交通事故で亡くなっていますが、このことを考える時だけは、あまり気にしないようにしています。※
それで話を戻しますと、彼らは親の片方、あるいは両方が母国語しか話せないことがほとんどで、学校以外の時間をその親の連れ添いとして過ごす事が多く、勉強どころか宿題にさえ時間を割けない事が多いんです。
他にも色々な事情があるのですが、とにかくそんな彼らにとっては、先に説明した“いわゆる反社的な暮らし”こそ、最も安定した生活が見込める選択肢な訳です。
小学生の頃に一緒に遊んでいた一つ下の男の子が、僕が17になる時には薬物売買で捕まったり。
幼稚園の頃に遊んでくれていた近所のお兄さんが、僕が成人した頃には、近所で半年も続いた連続車上荒らしの主犯として捕まったり……そんなのばかりでした。
そういうのを見ていた僕は、せめて次に同じ道を辿りそうな外国の子と関われる時は、絶対に真っ当な道を歩ませてあげたい、と考えていたんです。
そんな僕と出会った、2人の外国人の男の子がいました。
(そもそも外国人という言い方自体苦手なのですが、わかりやすさ優先でそのままとします。)
1人は工場で働いている時に出会った、15歳のアニメ好きな男の子。
もう1人は掛け持ちのピザ屋で出会った、少しヤンチャな16歳の男の子です。
話の主軸はヤンチャな子です。
彼は当時、定時制高校に通っていたのですが、親の付き添いやアルバイトのせいで宿題はこなせず、学校の勉強も中学の頃程くだけた日本語での解説をしてもらえないと、よく愚痴をこぼしており、1年生の5月になる頃には中退してしまいました。
ある日、彼は言いました。
「毎週行く教会の中に悪いグループが居て、幼なじみもその人達とつるみ始めている」
「俺もつるもうか迷っているけど、そんな事したらお母さんを泣かせるし、社会不適合者さんも嫌だよね?」
「でも、この年齢であの人達とつるんでないと、ビビりだって思われたりして、とにかく舐められて、居心地が悪い」
「家だと3歳の弟の良いお兄ちゃんでいなきゃいけない。 社会不適合者さんと、教会以外、安心出来る居場所が無いから、その教会で舐められて過ごすのは、とても辛い」
「でも教会に行かないと、それはそれでお父さんやお母さんが、神様を信じてないのかって怒ったり、悲しんだりする」
「オレ、どうすればいいのかな?」
僕は少しだけ考えて、答えます。
「教会には行きたいんだよね? なら行こう。 でも、居心地が悪い時間があるんだよね? そんな時は俺に連絡してよ、もちろん電話でもいい。 愚痴に付き合うよ!」
すると彼は大はしゃぎをして、僕のことを天才だ、最高だ、神様みたいだと絶賛し、どこか安心したようでした。
でも、実際の教会内では外国語しか使われていないのに、その中で孤立して電話で話し続ける上、わざわざ日本語を使い続ける彼は、日本語を使えない外国の方も多い中、“感じが悪い”という理由でさらに孤立し、なんなら親からも注意される事に。
「もう教会に居ても、何も楽しくない…」
彼がそう悩んでいる時期に、僕は地元を離れて、関東に行くことが決まっていたんです。
彼に工場の仕事を紹介しようと考えたこともあったのですが、同じ工場で派遣として働く15歳の男の子は、外国人であることを侮られているのか、誰よりも真面目に働いているにも関わらず、残業代や休日出勤手当を削られ、毎日のように溜め息を吐いていました。
(具体的にどんな感じかと言うと、週6出勤で1日11時間働いているのに、手取りが15万ほどしかないと言う状態で、週5で1日8時間の僕とほとんど変わりませんでした)
僕は、犯罪なんかには関わらない方がいいという考えのもと、年長者で頼られているという立場を利用し、ヤンチャな男の子を自分の思うような道に誘導したんです。
でも、学歴の無い外国人の少年が、社会にとって良いように使い潰されている現実も、同じ時期に目の当たりにしていました。
反対に、完全に反社的な暮らしに染まりきっている昔からの知人は、いつも大きな車を乗り回し、好きな服を着て、好きなアクセサリーを身につけて、毎週末は小さなパーティーを開催して楽しんでいます。
結局、僕のパターナリズムによって追い詰められただけのヤンチャな男の子は、僕が関東に行って、鬱になってしばらく連絡を取れなくなっている間に、完全に反社的な暮らしに染まってしまったようでした。
久しぶりに電話で話すと、彼は挨拶もそこそこに、疲れた様子で言います。
「社会不適合者さん。 俺、悪いことばっかしてるよ。 社会不適合者さんにも言えないし、お母さんはたくさん泣かせちゃって、もう家も出てる。 警察にも捕まりかけた。 今はもう…地元にもいないよ」
僕は何も言えませんでした。
そんなやり取りが3年前で、今もLINEの悪ぶったアイコンと、スマホのデータフォルダの中にある無邪気な笑顔を見比べては、彼に余計な影響を及ぼした事が正しかったのかどうか、よく悩んでいます。
そんな時、年の初めにお邪魔させていただいたTwitterのスペースで耳にして、意味を調べて衝撃を受けたのが、パターナリズムという言葉だったんです。
ヤンチャな男の子は、多くのパターナリズムに板挟みにされ、苦しんでいたように思います。
だからこそ、自分の行いも含めてパターナリズムは許せない、と、強く思ってしまったのですが、“義務教育もパターナリズムである”という言葉を目にし、頭が混乱しています。
パターナリズムという言葉と、その意味を目にして、ここにいるあなたは何を思いましたか?
マターナリズムという言葉もあるんです。
僕はパターナリズムは、正直必要の無いものかと思います。
あなたが思うパターナリズム、あるいはパターナリズムに対する印象を、是非お聞かせください。
どんなお話でもお待ちしております。
以上、“社会不適合者、【パターナリズム】を語る”でした。
正直、パターナリズム、まったくよくわからんです。
ヤンチャな男の子は、僕と過ごし始めて3ヶ月ほど経った頃、「社会不適合者さんと一緒に居たら、今まで迷ってたけど、夢を目指す気になれたよ。 俺、本当はもっと色んな国の言葉を勉強して、通訳になりたいんだ。 勉強できる学校のことも調べ始めてるんだよ」と、何度か言っていました。
僕がそう思うように仕向け、その夢に対し、なんの責任も取らなかった。
そのせいで、彼は余計に苦しみ、悩むことになってから、結局は在留外国人社会にうっすら漂うパターナリズムに飲まれてしまった。
僕がしたこと、彼を取り巻く環境、そのどれもが究極のパターナリズムなのでは、と思ってしまったんです。
誰かこの記事を読んで、パターナリズムについて、あるいは僕の行いに対してでも、なんでもいいんです。
とにかく思うところがあれば、お聞かせください。
ありったけの参考が欲しいんです。
ここまでお読みくださった方がいらっしゃれば、どうも、ありがとうございました。
気兼ねないコメント、お待ちしております。
失礼します。
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