社会不適合者、【自分というシェアハウス】を語る

おはようございます、社会不適合者です。

突然ですが、今日は多重人格に近い話をしたいと思います。

多重人格の話、ではなく、あくまで近い話というのがミソです。

ではいきます。


自分の中のペルソナを認識した話。


僕は子供の頃に虐待を受け、その影響が響いて社会生活が上手くいかない時期がかなり長くありました。

具体的に社会生活が上手くいかないというのは、いけないとわかっていてもそれがやめられないことや、周りに認められる機会があってもわざと台無しにする行動を取ってしまっていた、ということです。

その脱却のきっかけになったのが、小説を書くことで俯瞰的に人間関係を観察する能力が身につけられた事と、産まれたばかりの姪との生活が始まった事です。

これらは、僕にペルソナ…つまり外的側面、噛み砕いて言えば外面や愛想の存在に気づかせてくれました。

僕が社会と上手くやれない理由は、外面と内面の自分がしっかり使い分けられず、余計なストレスを増やしていたからでした。


内面の僕の話。


内面の僕というのは、幼少期から性的虐待やネグレクトを受けて育った、社会生活どころか人間関係そのものが苦手な自分です。

ただ、僕はそれでも子供の頃から愛想がよく、時には嘘をついてでも毎日楽しく過ごしている自分を演出していました。

その時点で、本当は既に自分の中で人格の分裂が始まっていたのかもしれませんが、当時の僕はそれにまったく気づいていません。

学校では明るく振る舞い、時には運動会でリレーの代表に選ばれたり、通学班の班長に選ばれたり、率先してボランティア活動に参加したりして過ごしていました。

家では姉の女性器を舐めさせられ、父と姉にひたすら罵られ、弟の世話を焼き、家事をして過ごす日々です。

僕はその、自分の人生における嫌な部分を、最近書き始めたこのnoteという存在を除けば、妻と心療内科の先生以外、誰にも見せたことがありません。

という事は、当時も誰にも打ち明けず、抱え込んだまま過ごしていた訳です。

そんな僕なので、時に人間関係に疲れ、時に明るい人々に合わせて過ごす事に、限界が訪れます。

当時の僕はその理由がわからないんです。

自分は毎日を明るく楽しく過ごせているのに、今日はなんでこんなに人と関わりたくない気分なんだろう?

自分を責めながら、学生時代は学校を休み、社会人になってからは仕事を休みました。

ただそんな生活も、姪だけは自分がしっかり育てようと決心した時、大きな変化を迎えます。

僕は色々なことを考え続けた結果、自分がなぜ人と関わることに疲れを感じるかより、そもそもなぜ笑顔で人と関われるのかを考える事にしたんです。

その強みをしっかり理解し、成長させられれば、姪の為にも模範的な社会人になれる筈だと考えたんです。


外面の僕の話。


当時の自分の人生を文字に書き起こしてみると、正直それなりには不幸でした。

でも、そんな人生なのになぜ僕は、子供の頃から笑顔で人と過ごせていたんだろう?

なぜ笑顔で過ごせるのに、突然限界が来て、何もかもが嫌になるんだろう?

いや、むしろこんな人生じゃ、基本的には何もかもが嫌で当たり前だ。

なぜ、僕は愛想を振り撒き、不幸じゃないフリをして人生を過ごし続けたんだろう?

理由は簡単、誰にも心を開いていないからです。

誰にも弱みを見せられないことは、そのまま誰にも弱みを見せたくないという考えに繋がります。

比較的早い段階で、僕の中では本来の弱い自分を守る為、強くて明るい自分という心の盾が生まれ、人と接するのはその盾任せになっていたんだと思います。

ただその盾も無敵ではありませんし、そもそも盾を構えるのは弱い僕です。

僕が限界になれば、盾も駄目になる…当然の事でした。

姪の事を考え、その盾の存在に気づけた僕は、盾を更に強化する方法を模索します。

たとえ1人の時でも、明るく楽しく振る舞うことに決めたんです。


人格が完全に分裂した瞬間の話。


僕は1人の時でも明るく楽しく振る舞いました。

それまで一人でテレビを見ることは、あくまでBGM代わり。

まったく笑えないし、泣けもしなかったのに「これは笑い所だろうな。 わっはっは!」「ここは泣き所か。 かわいそうに…」なんて、滑稽な振る舞いを始めます。

誰にも見せない日記の中でも明るいことばかり書いて、自己満の小説でも楽しくて救いのある物語ばかり書くようになりました。

結果、僕の盾は大きく強く成長し、鎧のように弱い自分にぴったりフィットし、弱い僕を隙間無く外部から遮断してくれたんです。

仕事の給料は上がり、友達も増え、上司にも気に入られ、絶好調の日々が始まりました!

いつからか趣味の小説は書かなくなり、一人で居る時間はまったく無くなり、いつも仕事か交流をして過ごす日々!

姪にも自慢出来る模範的な社会人です!

でも、夜は眠れません。

夜の2時に布団に入り、暗い考えが思い浮かんでも必死に振り払いながらボーッとしていると、もう朝陽が昇ってるんです。

あぁ…待ってよ、早いよ、朝が来るの。

そう思っていると、右目から涙がこぼれます。

鏡を見ると顔が歪で、何故だか右側の顔だけどんどん形相が険しくなっていくんです。

目つきは悪いし、口角は下がりっぱなし、笑うふりをしても強く意識しないとピクリとも動きません。

左側は真逆で、目尻にシワもあって、口角は常に上がりっぱなし。

それに気づいた時、とりあえずの応急処置として、僕は前髪を下ろし、顔の右側を極力隠すことにしました。

そのまましっかり社会人を続けます。

でも、気づいたら誰にも連絡しないまま、布団の上で2日くらい経っていました。

そうです、結局駄目だったんです。

どれだけ鎧を纏おうと、弱い僕は変わらない。

それどころか、鎧に全てを任せていたせいで、その鎧に限界が来た時、自分を保てる要素が何も無くなっていました。

暗い部屋に閉じこもって何も食べないまま過ごす僕を、家族は働けと罵りますが、当時保育園児になっていた姪だけが、心配してくれます。

「おへや、はいっていい?」

僕は返事も出来ません。

「いっしょにあそびたいなーっておもって」

うるさいとさえ思います。

うるさい、立ち去れ、みんな早く消えろ。

それとも俺が消えるべきなのか?

「くーくん、げんきない?」

は?

呆気にとられていると、姪が勝手に部屋に入ってきて、背中を向けてうずくまったままの僕の背後に立ちます。

あと10秒で消えろ、じゃなきゃ昔の弟みたいに全力で叩いて吹っ飛ばして─

「げんきだしてね。 まってるよ。 いつもおしごとがんばってくれて、ありがとね」

そう言って、彼女が背中をぽんぽんと叩いてくれた瞬間、僕の中で何かが壊れた気がしたんです。

姪はすぐに母親である姉に呼び戻され、部屋から出ていきました。

その時、僕は肩を震わせ、声を殺して泣いていました。

そんな励ましの言葉、弱い僕が直接受け取ったのは、初めてだったからです。

そういうのは全部、強くて明るい僕に向けられるものでしたから。

こんな、誰にも見せられないし、誰も見たがらない僕に向かって、“がんばってくれてありがとう”、“まってるよ”、“げんきだしてね”なんて、なんで姪はあんなに優しいんだろう?

僕は何度も泣き、枕はびしょ濡れ。

それでもまた泣いて、8時間くらい泣き続けていたと思います。

気づいたら久しぶりに熟睡していて、夢も見ました。

子供の頃に過ごした散らかったリビングに、うずくまっている当時の弱い僕が居ます。

僕はその僕に歩み寄り、小さな背中をそっと撫でて、姪に言われたのと同じ言葉をかけてやりました。

「いつもありがとう。 元気出してね。 待ってるよ」

すると、小さな僕はたくさん泣いて、そんな僕を、今の僕が抱きしめるんです。

それをいつの間にか、幽体離脱したような不思議な感覚で客観的に眺めていて、あたたかい気持ちに浸っていると、気づく頃には朝日が昇った今の自分の部屋に居ました。

久しぶりに、目が覚めたんです。

以降、僕はまだ、人格の分裂をハッキリとは自覚していませんでしたが、自分の顔を使い分ける事を意識するようにはなりました。

新しい仕事を頑張った後は、シャワーを浴びながら自分に問いかけます。

「気分はどう?」

「少し疲れた」

「わかった、この職場では友達作りは程々にしておく」

それからは仕事を突然辞めるかわりに、60万ほど生活費を貯めてから、しっかり辞めて、自分に2ヶ月から3ヶ月ほどの長期休暇を与える生活。

姪と遊ぶ時間も増え、何も出来ずに過ごす時間は減り、結構順風満帆だったと思います。


分裂した人格が増え始めた話。


一方で、姉の精神状態は、あまりよくありませんでした。

通院を始めたのはいいものの、それまで癇癪で暴れ回っていたところに、「私は鬱なんだ」という正当性まで加わった事で、誰にも手がつけられなくなり始めていたんです。

姉は近所に部屋を借りて、寝る時や1人になりたい時にそこに帰るという生活を始めたのですが、その為にかかる費用は僕と父が負担することになりました。

僕はやっと見つけた過ごしやすい生活を手放す事になります。

そうなると、仕事を頑張る自分、従来の弱い自分の2人だけでは自分が保てず、今度は仕事を頑張る自分が、それぞれ“社交性に特化した自分”、”黙々とやるべき事をやる自分”に分裂してしまいました。

社交性に特化した自分はとにかく自分を着飾り、周りによく見せ、更に姉も含めた誰も彼もに親しく、優しく関わろうとします。

そうした皺寄せは黙々とやるべき事をやる自分任せで、彼ががむしゃらに働き、父や姉からの金銭的要求にも何も考えずに応じ、時に僕自身への褒美として散財をしてくれては、更に仕事を増やすというのを続けていました。

弱い僕は、弱い僕のまま、部屋の隅でうずくまって過ごします。

毎日気づいたら目から涙がこぼれていて、かと思えば何も無いのに大笑いしだして、自分で自分の情緒が理解できないまま、おかしいということだけには気づいていました。

それを野放しにして5年くらい過ごすと、目を閉じた時に、しっかりと自分の別人格と向き合えるようになっていたんです。

でも、少し変でした。

いつも通り、子供の頃に過ごした散らかったリビング。

部屋の隅の暗いところでうずくまる小さな僕、大きなソファに腰かけて楽しそうにするオシャレな僕、キッチンで何か家事を続ける無愛想な僕。

これはそれぞれ、誰がどの僕なのかがわかります。

でもそれ以外に、その部屋そのものに、根強い暗い感情が宿っていると感じるようになったんです。

いや、なんとなくやばい、気づかないフリをしておこう…そう思っていたのですが、当時の恋人がきっかけで、それが明確な存在になりました。

僕は誰にも多重人格じみた状態であることを教えていなかったのですが、始めたばかりのSNSで油断したり、ツイートという形で各々の自分が好き勝手な事を呟いて残すせいもあり、傍から見たら完全に情緒が安定していなかったんです。

「社会不適合者くん、怖い」

「え? なんか変なこと言ってた?」

「変なことは言ってないけど、話してるとコロコロ態度が変わり過ぎてて」

当時の恋人はひたすら浮気性で、母の浮気が原因で家庭環境がめちゃくちゃになった僕としては、それが許せませんでした。

やるべき事をやる僕が彼女を叱り、愛想のいい僕が落ち込んだ彼女を慰め、従来の弱い僕が弱さをさらけだして彼女に甘えるという、今文字にすると完全にイカれている流れが、常態化していたんです。

僕は彼女に、素直に自分の状態を説明し、別れることを提案します。

彼女は言いました。

「ううん、むしろ色んな人と話せてるみたいで面白い」

僕は本当の意味で自分が理解されたと錯覚し、心の中にある散らかったリビングに、彼女を客人として迎えることにしたんです。

色々な僕をそれぞれ受け入れてくれた彼女は、僕に、いや、僕らにとって、本当にありがたい、大切な人でした。

それぞれの僕が、初めて各個人ごとを認識されてもらえたことで、まるで順番を競うかのように彼女と話したがります。

でもその内、彼女の中で、僕の中の僕に優劣がつき始めるんです。

「私は真面目な社会不適合者くんが一番好き」

そもそも彼女が最初に告白したのは社交性の僕であって、作業的な僕じゃないのに、全ての僕を知った後、選んだのは作業的な僕でした。

作業的な僕は愛想こそ悪いですが、きちんと好きだと伝えるので、男らしくて好まれたのでしょうか?

社交性の僕はそれを笑って許しますが、弱い僕は混乱します。

だって、全部僕なのに、なんで優劣をつけるの?

そもそも全部知ったなら、本当の僕はこの僕なのに、なんでわざわざ作業用に生まれたなんの面白みもない僕を選ぶの?

弱い僕は初めて、感情的に誰かを責めました。

そして、彼女はまた、自分が好意を持つ男の家に遊びに行きました。

その時、彼女は僕の中に居たんです。

僕という、僕が子供の頃に過ごした、散らかったリビングに。

そこでうずくまる弱い僕に面と向き合ってくれたのは彼女が初めてで、そこでヘラヘラし続ける社交性の僕を直視してくれたのも彼女が初めてで、台所で作業し続ける作業的な僕の事をわざわざ見に来てくれたのも、彼女が初めてだったんです。

なのに、その全員を裏切った。

存在を知り、優劣をつけて不快な思いをさせただけじゃなく、何度も注意で済ませてきたことを、よりによって最悪な形でまた行った。

その時、僕の頭の中は真っ白になって、ひたすら口汚く、思いつく限りの罵倒で彼女をこき下ろし、その存在意義を尽く否定し、反対に自分はこれだけ価値があるんだと説明して劣等感を植え付け、ついには大嫌いな言葉「死ね」を使っていました。

その言葉を使った時、頭の奥が痺れて、気持ち良かったんです。

何度も人の嫌な部分に耐え、辛くなった時に自死を選択しては怪我や損ばかりしていた人生。

人に“死ね”と言った時、初めて感じられた快感がありました。

その時に気づいたんです。

かつて見て見ぬふりをした、散らかったリビングそのものに宿る、根強い暗い感情。

これこそが、本当の意味で、本当に手放しに自分自身だと断言出来る、客観的に見ることすらできないような、自由な僕自身なんだと。


僕は入れものだった話。


弱い僕ですら本当の僕ではなく、社交性に特化した僕ですら本当の僕ではなく、作業的な僕すら本当の僕じゃない。

度々誰が本当の自分で、誰を主軸に置けば人生が楽になるのかを悩むことがありました。

その度に、僕の中の僕らは、あくまで弱い自分を本当の自分として尊重した上で、全ての事を他の僕らがやる、という結論に落ち着いていたんです。

でもそんな悩みはそもそも必要の無いものでした。

だってどれも僕なんですから。

キレた僕は、まず社交性の僕を取り込み、彼女に見せつけるようにその場で浮気に繋がる相手を仕立てあげ、そのやり取りを見せつけました。

作業的な僕を取り込むと、その時に発した彼女の不満に基づき、彼女自身が僕にし続けて、それでもやめなかったことへの愚かさを説きます。

弱い僕を取り込むと、無邪気で甘えん坊な面もあったその僕の言葉で、彼女に「もう用はない」と断言するんです。

絶望してとち狂い、自殺をほのめかす彼女に、僕はむしろ罵声を浴びせます。

「死にたいなら勝手に死ね、ただ遺書を残せ」

「ただしその、お前の中の死にたくなるまでの自分可哀想でちゅなストーリーに、俺は登場させるなよ」

「理解できるか? 俺はお前にされたこととまったく同じことをし返しているだけ。 つまりお前は自分で自分の首を絞めただけ」

「俺は関係ない。 お前は自分が馬鹿だから死ぬんだ。 だから遺書にはそう書くしかないな。 パパママごめんなちゃーい、あたちは馬鹿だから死にマース、って! なぁwwwwww」

そんなのが3時間くらい続いた後、彼女は謝るか泣くか黙るかしかしなくなって、僕は飽きていました。

「じゃ、別れよ」

そう言って電話を切って、終わりです。

僕の暗い感情は嘘みたいに消え去って、普段の3人の僕が戻ってきます。

それぞれの僕が彼女にLINEで謝り、彼女も謝ってきて、すぐに復縁し、電話で慰めるやり取りが始まります。

するとまた、ドス黒い僕が出てきて、彼女を罵倒するんです。

3人の僕はやめてほしいと抵抗しますが、ドス黒い僕はそんな3人も説得して、抵抗する気力を奪います。

彼女を罵倒し尽くし、「それでも好き」と言われた時、殺意まで湧きました。

好きになる理由の具体的な説明を求め、実際にされるとそれを論破し、「ほら、好きな理由なんてねェーだろ?! 別れるか消えるか死ぬかしろ、俺に関わんな豚女!」と吐き捨て、電話を切ります。

冗談抜きに、僕は今まで生きてきて、他人…特に女性に対しては、こんな言葉を吐いたことはありません。

こんな自分が居ることに、僕の中の誰もが驚きました。

確かに学生時代は荒れていたり、弟を暴力で痛めつけている時期はありましたが、どれも最低限、当時の自分なりの正義があったり、やるにしても限度を考えてやってたんです。

だから、やっていたのはきっと、作業的な僕の元になった部分であって、当時はそれが必要な事だと錯覚していたからやってしまったんだろうな、もう二度とやらないように気をつけよう…と、傷つけてしまった人達の事をよく思い出しては、後悔と反省、それから気を引き締めて過ごすようにしていました。

それなのに、恋人相手に遠慮なく死ねと言ったり、明らかに言い過ぎなのに一方的な罵倒を長々と続け、謝られても聞く耳を持たない。

そんな自分が、こうも易々と出てきて、しかも昔からずっと居たかのように生き生きと振る舞う状態に、僕は心底怯えるようになりました。

弱い僕を守る為、社交的な僕と、作業的な僕が生まれたんだと思ってたんです。

でも違いました。

あくまで攻撃的な本当の自分を抑える為だけに、弱い僕は生まれ、その僕にできない事を補う為だけに、社交的な僕と、作業的な僕が生まれていたんです。

弱い僕の役割は、痛みを忘れないこと、愛情を求めること、それからあくまで自分に素直でいることだったと思います。

そんな自分自身を作り出す必要があったくらい、ドス黒い僕というのは、ずっと昔から、なんなら物心がついた時点で、既に存在していたんです。

例えば、僕は10代の頃はSEXが大好きで、社交的な僕はその気になればすぐに相手を用意しますが、本人にSEXまでする気はありません。

弱い僕も性的虐待の記憶があり、SEXどころか、他人が性的な目で自分を見てくること自体に嫌悪感があり、酷い時は空っぽの胃から苦くて酸っぱい液体を吐き出してしまうほどです。

なので作業的な僕が淡々と性行為をこなすのですが、そうなってくると、そもそも誰がSEXを求めていたんだ?という疑問が残っていました。

動物的な欲求だと思って気にしていませんでしたが、それもドス黒い自分の本性だと思えば納得がいきます。

僕は、多重人格だと思いきや、あくまで自分という部屋の中に、何人かの外面を同居させていた、ただそれだけだったんです。

この話にはなんのオチもありません。

ただ事実を述べただけで、創作ではありませんから。

ちなみに当時の恋人とは既に別れて、今は内縁の妻と、4年ほど同居し続けている状態です。

同じことを繰り返す気はないので、妻に対しては、全部の僕を堂々と見せるなんてことは、一切していません。

まぁ、隠している訳でもないのですが。


以上、“社会不適合者、【自分というシェアハウス】を語る”でした。


書いててイライラしています。

客観的に本当の自分を見るの、めちゃくちゃストレス溜まるんですよね。

普段はnoteとかも、社交的な僕が、あくまで頭の中の色んな意見を参考に書いてるだけですから。

すみません、お見苦しいところを。

思っていたより長くなってしまったのですが、それでもここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。

失礼します。

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