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呼ばれる準備

リモートワークがフツーになると怖いなと思っているのは
存在感が薄れてしまう人はとことん薄れていってしまうということ。

よく1億総タレント化とか、総評論家とか、あれこれ言われているけど
個々人が容易に(そして安易に)発信が気軽になったということは
自分の発言にセーブをかけてくれ、編集してくれる人もいなくなり
自分の知性も品性も、なんのフィルタもなくダダ漏れになってしまうわけで
非常に恐ろしいことだよなと。

そういう中で、決められた依頼にだけ応えている人は
成果物生成マシーンであり、それはいつ自動化ブログラムに置き換わっても
モニタ越しにやりとりしてる側にはわからないことであって
実体としての自分の存在が他人から消えてしまうということにも
繋がっているんだろうなと感じる。

SNSでロムってだけいる人は、この世に認知されているの?
見ているという閲覧履歴をサービス側に把握されているだけで
フォロワーがいても、何も動きがなければ死んでるのも同じなわけで。

悪名は無名に勝るとはいうものの
悪名がとどろいていたら、やっぱりそれはプラスには働きにくいし
どうやって「〇〇なら、〇〇さんに声かけてみようかな」を生みだすか
というのを、良くも悪くも
各人が24時間365日考えなければならなくなった時代なんだと。

それは、自分が呼ばれたいことで、
いつ呼ばれても応えられる自分を創って準備しておくことに他ならず、
呼ばれてから準備してたら間に合わないのである。

モデルとして声かけられてからダイエットしても間に合わない。
通訳や翻訳してと言われてから外国語学ぶわけじゃないように。
私はこういうことが出来るし、分かってますよ
という事実があって、はじめてああいうことをやっていて
〇〇についてわかってるあの人なら、これ頼んでみようか
などという発想になるという別に当たり前の話なのだが。

1億総オーディション選抜化、と言った方がいいのかもしれない。
どこかに所属してれば、自動的に仕事が降ってきて
自動的に毎月お給料が振り込まれて
毎年じわじわ給料があがったり、後輩や部下ができる
なんていう進級みたいな就労はなくなる
…というかもうなくなってきてますが
まぁそういうことなんだろうなと。

それは個々人の専門性を持つということもあるけど、
そもそも誰からでも声かけられやすい自分でいるのか
常識的な配慮のある受け答えができ、
相手を待たせず、信頼してもらえるのか
ということを肩書や所属でなく個人で表現できるのか
ということでもあるんだろうなと思う。

リモートワークで家の中でまでスーツを着る必要もないし
ホテルのようなインテリアの部屋にする必要もないけど
健康的で清潔でキチンとした暮らしの中で
落ち着いて快活であるということは
とりあえずスーツ着てオフィスに行っていればごまかせてたものが
逆にごまかしがきかなくなるということでもあるんだろう。

これが世の中として
ラクになったのか、厳しいのか
ちょっと何とも言えないなぁと感じるところもあって
よかったと胸なでおろしている人と、ゲンナリしてる人とで
きっと見え方は違うのでしょうけど
全体としてこの流れも変えられないんだろうな
などと思いつつ、自分は呼ばれる準備が常にどこまでできてるんやと
頭を抱えながらあがく日々であります。