見出し画像

学者が馬鹿にされる理由

学ばない学者

学者に対するイメージは「分厚い本が何十冊も山積みになっている部屋で論文とにらめっこしている変人」というのが一般的だ。社会性に乏しいものの、特定の分野に対しては深い造詣を持つ知識人とされている。しかし本当にすべての学者が“学問”を追求しているのだろうか。

先日、一部の推薦者が拒否されたことによって日本学術会議の存在が話題になり、同時に学問の自由が問題視された。学問の自由は思想・良心の自由にも関わる部分があるので冷静な考察が必要と言えるが、一部の学者はどう見ても学問の追及に尽力しているとは思えない、なんちゃってインテリという本性を露わにした。その手の自称知識人は支給されている研究費を自身が入れ込んでいる組織や団体に貢ぎながら「研究するためのお金が足りない」と不平不満を並べている。

一般の人が考える学問と、特定の組織に研究費を上納する一部の学者が言う学問は大きな隔たりがあると言えるだろう。



画像1

『極左勢力に貢ぐ学者はVtuberにスパチャを行うカオナシと似ている?』


もっとも、いくら金を貢いでも自称学者が報われることは無い。金を貢がれる方に取ってその手の学者は小銭入れ程度の価値しかなく、上納金が滞ったら直ちに切り捨てる。空っぽの小銭入れなんて持っていてもしょうがないからだ。


この手の知識人・学者が軽蔑されるのは馬鹿だからだ。知識人や学者は本人が己惚れているほど知識は無いし、学ぶだけの知性も無い。そして他者から慕われたり敬意を抱かれるほどの人徳も持ち合わせていないので、研究費を貢いで自己顕示欲を満たそうとする。

俺は特別な存在だ、お前ら愚民とは違うという思い上がりを持っている以上、この手の知識人・学者が厚遇されることが無いだろう。


サポートしていただき、ありがとうございます